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【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ ⑧ 前400年~前200年

はじめに

―この時期のユーラシア大陸は、国の「巨大化」の時代だ。

 遊牧民も定住民も競うようにして国のサイズを大きくしていくよ。

どうして大きくなるんですか?

―植物の栽培(農業)や家畜の飼育(牧畜)によって、より多くの人を養うだけの食べ物を調達することができるようになったからだよ。

じゃあみんなで分け合えばいいじゃないですか。

―そうだよね。
 そういうことができる社会もある。

 食べ物の量がギリギリで、メンバーの数がそんなに多くない場合には、リーダー的存在の人が現れたとしても、みんなに無理やりいうことを聞かせるほどの力がないことがほとんどだ(注:首長制)。

 そういう社会では、「気前の良さ」とか「人望」「血縁」が優先される。とりわけ「みんなをまとめる力」が重視され、メンバー間のポジションもわりかし平等だ(注:動画は現代にも首長制の残るエスティワニ(2018年にスワジランドから改名)の例)。

 一般的に、食料の生産が増えるとそれを管理・独占する人が現れ、その経済的な力を背景に人々の理解を超えた「パワー」に対する信仰を集めつつ人々を支配する組織(=)がつくられるっていう説明がされることが多い。

 でも、南アメリカ大陸では食料の生産が始まる前から、人々の理解を超えた「パワー」に対する信仰はあって、その信仰をもとにして人々をまとめていた人たちがいたこともわかっている。

世界のどの場所でも、人類が同じように「発展」していったわけではないってことですね。 

―そう。
 モデルパターンがあるわけじゃないんだよね。


遊牧民がパワーアップ

―例えば、農業なんてとてもじゃないけどできない地域だってあるけど、そういうところでは、家畜を連れて移動生活をする。
 で、その移動生活の単位となるグループをいくつも束ねる指導者が現れるようになるわけ。

遊牧ですね。

―そう。

 ユーラシア大陸ののほうでは、いくつもの遊牧民グループを大同団結させることに成功した「匈奴」(遊牧民の親玉グループ)が、この時代の終わりに「皇帝」という称号によって統一された中国の定住民の国と対立する。
 「皇帝」というのは、中国では天の神様に認められた最強の支配者(と考えられた支配者)のことだ。

 で、ユーラシア大陸の西の方ではスキタイ人っていうグループがいるよね。
 そのスキタイ人も同じように定住民の豊かな世界への進出をねらって、軍事行動をしかけている。

 アフリカではサハラ砂漠エリアにベルベル人と呼ばれる遊牧民が活動している。

 地中海沿岸では海上貿易を生業(なりわい)とする民族が港町を建設していたけど、ベルベル人の中には彼らと関係を持ち、定住して農業を営む者もいた(注:マッシュリー人とマサエシュリ人(のちにローマにヌミディア人と呼ばれる人々))。

 一方、サハラ砂漠の南には草原地帯が広がっていて、農業もできた。ここでは雑穀やお芋を栽培しつつ、ウシやヤギを飼う人々(注:バントゥー人)が東アフリカから、さらには南アフリカ方面へと活動エリアを広げている。

バンツー人はビクトリア湖のあたりまで進出していた。中にはそのまま南に下がって熱帯雨林を通過し、コンゴ川(Congo River)付近に至る人たちもいた(Bantu Migrationより)

定住民のほうが強そうですけど。

―安定しているように思うかもしれないけど、定住民って「拠点にしている場所をとられちゃったら終わり」でしょ。
 でも遊牧民は「移動生活」ができるし、さまざまなことに活用できる動物とともに動くことができるところが強みなんだ。

馬とかですか。

―そう。それに羊とか山羊とか。
 あんまり雨が降らなくても、ちょっとした草場と水場があれば生きていけるわけ。

* * *

ギリシャ発の巨大国家


スキタイという遊牧民は定住民の世界に進出できたんですか?


―なんどか進出をこころみたけどね、遊牧エリアをおさえながら定住民の世界も支配するような「器用」なことはまだできなかったんだ。

 西アジアには、やはり馬に乗った技術で現在のイラン高原を中心に、遠くエジプトまでを支配した巨大国家(注:アケメネス朝)ができるんだけど、最後はギリシャの北にあったマケドニアという王国(注:アレクサンドロス大王の帝国)にやられてしまう。
 どちらも遊牧民の地域までを支配することはできなかった。

それにしても、ギリシャ発祥の帝国はものすごく広い範囲を支配していますよね。

―そうだね(下図の「」)。
 地中海とインド洋をまたいでいるでしょ。


 まさに「空前の大帝国」だ(下図 Wikicommonsより)。



 でもまあ、もともとペルシア人が整備していた国道や貿易ルートをなぞるように征服していったことを考えると、そこまで難しくはなかっただろう。この大王は後世になって伝説化されたこともあって、「実像以上に評価されすぎ」という面もある。

要するに、貿易のルートを握りたかったんですね。

―そうそう。
 もともとギリシャ北方の片田舎で生まれた国だからね。
 マケドニアの若い王(注:アレクサンドロス大王)はペルシア人の巨大国家を見習って、王を神としてあがめさせたようだ。王の言葉への絶対服従が求められたのだ。

この超巨大国家はその後どうなりますか?

―王が若くして死ぬと部下たちが領土を取り合うことになった。

またどうしてですか。

―亡くなった王の「跡継ぎ」をめぐっての争いだ。
 跡継ぎ候補は先王の子も含め2人いたんだけど、適任ではなく、王とともに数々の戦(いくさ)で躯(むくろ)を越えてきた将軍たちが「われこそが王にふさわしい」と名乗りをあげることに。

こわそう。

―はじめ、部下同士で領土を分け合う取り決め(注:トリパラディソスの軍会)が結ばれて、大王の領土はエジプト、シリア、バビロニア、マケドニアなどに分けられた。
 でも、この取り決めは早々に決裂。
 各地の担当官どうしの争いが始まった。

 マケドニアを押さえた将軍(注:アンティゴノス)と、バビロンの将軍(注:セレウコス)の決戦後、互いに「王」を名乗ると、エジプトに拠点を置いた将軍(注:プトレマイオス)が領土をひろげ、「三つ巴」(みつどもえ)の形になってしまう。

じゃあ、結局3つに分かれてしまったということですか。

―そう。
 そんな中、バビロンの将軍はみるみるうちに、インド方面まで遠征を開始する。
 おそらく前の王様の一大プロジェクトである「東方遠征」をマネするとともに、交易ルートをにぎって経済的な基盤をゲットしようとしたからだろう。

* * *

北インドに広い国ができる

えっ、そうしたらインド人と戦ったってことですか?

―当時のインドには?

えーと、インダス文明ですか?

―もうインダス文明は滅んでいて、その後に北から移動してきた遊牧民出身の人たちが、北インドの川沿いで定住して農業をするようになっていたよね。
 前の時代にはいくつもの国が建てられていた(注:十六大国)。

インド人はギリシャ人に勝てたんでしょうか?

―記録によると、このころ国王に即位したばかりの人物(注:マガダ王国マウリヤ朝のチャンドラグプタ)が、大群を率いてインダス川流域まで軍を進めていたようだ(上の地図の「」)。

 結局、両者(注:セレウコス朝とマウリヤ朝)は「和平協定」を結ぶことに。500頭のゾウがインドから贈られたようだ。

ゾウを戦争に使うんですか!

―そう。戦う象と書いて、戦象というよ。

 彼(注:セレウコス)はゲットした象で、エジプトと将軍と組んで、マケドニアの将軍を倒すことに成功(注:イプソスの戦い)。


Total war より)

 でも戦後はエジプト(注:プトレマイオス)との対立が始まることになる。

なんだか、ドロドロな感じですね。

―家畜をフル活用した軍事力によって、北の武装遊牧民たちの拡大をおさえつつ、広い範囲の定住農耕エリアを支配しようとしたわけだ。

* * *

アメリカにはユーラシアのような広い国はできない

―こういう形の「広い国」は、家畜の力があまり活用されなかったアメリカ大陸では見られないね。

 北アメリカのミシシッピ川周辺(注:巨大な墳墓(マウンド)で知られるアデナ文化)、中央アメリカ(注:オルメカ文化の都市国家、マヤ地方の都市国家)、南アメリカのペルー沿岸(注:パラカス文化)には、巨大なモニュメントをともなう社会があって、農業によって人口も増えている。
 互いに交流がなかったわけじゃないんだけど、南北に移動すると気候が変わってしまうこともあって、交流はユーラシア大陸ほど盛んとはならなかったんだ。



地中海ではローマが急速に成長していく

そろそろ「ローマ」が出てくるころですよね?

―そのとおり。
 この頃地中海では新興国ローマが勢力の拡大を始め、手始めに地中海ビジネスの覇者フェニキア人と地中海の貿易ビジネスをめぐって大戦争を起こしているね。

 この戦いで貿易拠点をゲットし、一気に「出世」したローマだけど、戦い方や考え方の面では、西アジアや北アフリカの影響を強く受けている。
 ローマというと今は「ヨーロッパ」のイメージが強いかもしれないけど、当時のヨーロッパはまだまだ「ど田舎」なんだ。
 この時代も引き続き、西アジアとオリエントが世界の最先端をいっているわけだ。


* * *

西アジアでは遊牧民がイランをまとめる

ローマは西アジアのほうには拡大しなかったんですか?

―この時期にはまだ「東方遠征」をくわだてる人は出てこない。

 西アジアでは、北のほうから遊牧民グループが南下して、ギリシャ人の支配に抵抗してイラン高原を中心に新しい国を建てる人たちが現れている(注:パルティア)。

パルティア人はこんな顔(現在のウズベキスタンで出土)。
下は現在のイラン男性の顔。


 ただ、彼らは初めのうちはギリシャの文化に染まるけどね。

初代国王が発行したコイン。ギリシャ文字が鋳造されている。


 のちにローマと対決しうる強国に発展する。

彼らの強さの秘密は?

―後ろ向きにウマを走らせながら矢を射ることができたんだ。
 このほうが敵にまっすぐ向かいながら攻撃するよりも、勝算が高い。


* * *

中国でも「統一国家」ができる

ユーラシア大陸ではウマに乗って戦う技術が、どんどん発達するんですね。

―そうだね。
 中国でも、定住農耕民の国が北の遊牧民の軍事技術を導入し、「騎馬軍団」を組織するようになる(注:胡服騎射)。

 ウマを戦いに導入した各国で軍拡が進む中、中国の西方にあった国(注:秦)が、ルールに基づく強い国づくり(注:法家)を進めて一気に強国に発展。

あ、マンガになっているやつ。

―それそれ。実写映画化(2019.4.19)されるんだって。


 で、この国(注:秦。下の地図の「」)が中国の黄河と長江エリアを歴史上はじめて統一し、イラン高原の国(注:アケメネス朝)と同じように、全土をいくつかの区画に分けて役人を派遣したんだ。でも厳しい支配は農民の反乱を招き、すぐに滅亡してしまうよ。

初代皇帝のお墓。

 その後、中国をもう一度統一しようとする2つの武装集団の争いの末、(かん)という国が建てられ、王は「皇帝」を名乗った。
 中国を統一した者は「皇帝」を名乗る伝統がつくられていったわけだね。

* * *

東南アジアは貿易がさかんに

―ちなみにこれら中国にできた2つの国は、南のベトナムにも進出しているよ。

どうしてですか?

―ベトナムでは稲作によって力をつけた指導者が、村や町の支配を進めていた。また海岸地帯には中国やインドの船がやって来て、珍しい物を持ち込んだり、求めたりするようになっている。

豊かなんですね。

―東南アジアは熱帯気候が多いから、温帯では生えない良い香りのする植物や、熱帯の海でしか獲れない貝殻やサンゴがめじろ押し。しだいに東南アジアの特産物は、レア物として中国やインドの支配者たちに注目されるようになっていくよ。

 ちょうど地中海でローマとフェニキアが争っていたように、東南アジア周辺の海でもインドや中国、それに現地の商人たちがビジネスをめぐって盛んに取引をすすめていくようになる。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊