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世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.4 市民と奴隷

ポリスに住んでいる人たちは、決して平等な関係じゃなかった。

自分で自由に生きることができる自由人(市民)と、その言うことを聞かなければいけない奴隷に分かれていたんだよ。


ここでいう市民というのは、横浜市民のような意味ではなく、ポリスの中での政治的な権利の認められたメンバーという意味だから注意しよう。


とはいえ、市民であってもそのメンバー内は一様ではなく、待遇には差があった。

土地をたくさん持っている人とそうじゃない人との間には、当然経済的な格差が出てくるからね。
彼らはふつう奴隷を保有し、農地を耕して収穫物を販売することで生計を立てていた。
農地はポリスの中心部にある”都市エリア”(市域)の周囲に広がる”田園エリア”にあって、経済的なポジションや家柄によって、市民には”持ち分地”が割り当てられていたんだ。

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この持ち分地のことをクレーロスというよ。
「クレーロス」はもともと「くじ」という意味。
「くじ」によって平等に分配されたことが語源だ。

現在のクロアチアの島(フヴァル島)に建設された植民市には、クレーロスの面影がしっかりと残されているよ。

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そんなギリシアの人々は、生活のために「働く」ことだけでなく、公的な場所で「政治に参加する」ことが、人として名誉あることだと考えていたから、ポリスの市域でおこなわれる政治集会や公的な役職も、彼らにとっては大事な務め。



しかし、当初そうした役職を牛耳っていたのは、経済的に豊かで家柄の良い「貴族」だった。


神の子孫とされた「貴族」とは違い、ぱっとしない出自の人々は「平民」とされ、その差は歴然だ。

前7世紀(今から2600年ほど前)までのポリスははっきりいって貴族たちの支配するポリス(貴族制ポリス)だったんだ。
とはいえ「平民」たちにもプライドはある。

奴隷と違って「貴族」のいうことに従う義務はなかったけれど、のちのち「貴族」に対する「平民」の不満が、ポリスの社会を大きく変えていくこととなるよ。


いちばん悲惨なのは奴隷だ。
戦いで負けた民族や海外から連れてこられた異民族の人たちが多かったんだよ。
ポリスが奴隷を当たり前のように使う習慣はその後も続く。前4世紀のギリシア人思想家アリストテレスでさえ、「奴隷っていうのは、生まれつき奴隷になるべくして生まれたやつらなんだ」と述べているくらいだ。


なお、18世紀の思想家ルソーはこんなふうに述べている。
アリストテレスは[中略]、人間の本性はまったく平等ではなく、奴隷として生まれる者と、支配する者として生まれる者がいると主張したのだった。アリストテレスの議論が間違っていたわけではない。ただ、原因と結果をとり違えたのだ。奴隷の身分として生まれた者は、誰もが生まれつき奴隷になる。これほど確実なことはない。奴隷は鎖に縛られているうちにすべてのものを失う。そして鎖から逃れて自由になりたいという希望まで失ってしまうのだ。オデュッセウスの仲間たちは獣のままでいることを望んでいたが、それと同じように奴隷たちも、みずからの隷属の状態を好むようになるのだ。だから生まれつきの奴隷というものがあるとしたら、それはその前に自然に反した形で奴隷が作りだされたからだろう。最初に奴隷を作りだしたのは暴力であり、奴隷たちはそのあとは無気力になって、奴隷でありつづけたのである。

出典:ジョン・ロック(角田安正・訳)『市民政府論』光文社新訳文庫、2011年。太字は筆者による。


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