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世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.2 エーゲ文明

地中海を2つに割った東半分のことを、ふつう「地中海」と呼ぶ。

折返し地点にあたるのは、現在のチュニジアあたりだ。

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そこより東側というと、まず注目すべきはナイル川の河口付近に栄えたエジプト文明だ。
いちはやく都市国家が拡大し、ファラオと呼ばれる強大な権力を握った王による支配が生まれたエリアだね。

東地中海では、当然このエジプトの影響力を無視することはできない。

地中海世界の中でも、エジプトに近いエーゲ海において、はじめて「青銅器」を使用する文明が栄えるんだ。

これを現在ではエーゲ文明と呼ぶ。


平和なクレタ文明

最初に王様が現れたのはエーゲ海に浮かぶクレタ島だ。

クレタ島には、エジプトから穀物を輸入し、代わりに果樹などの特産品を輸出する商人たちの集まる良い港がたくさんあった。

神々の権威を盾にして権力を握った王は、クノッソスという都市に壮大で複雑な宮殿を建てたんだ。
そして、王の側についた支配層グループは、神々の信仰のもとに団結し、奴隷や商工業者、島の各地に住む農民たちを支配した。

いったいどういう言葉を話していた人たちなのか不明な点は多いけれど、ひとつ目を引くのは、宮殿に城壁がなかったことだ。

どう考えても、防衛のためには城壁が必要なはず。
それがないということは、外からやって来る民族に対する警戒心が薄く、オープンで開放的なメンタリティを持つ人たちだったんじゃないかとも推測できる。
実際に宮殿の壁画を見てみると、イルカやタコといった海の生き物が、さかなクンばりに生き生きと描かれている。

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そういうわけで、平和で明るい ”うみんちゅ”の文明だったんじゃないかと考えられているんだ。

なお、クノッソスの宮殿内部は迷路みたいな複雑な構造を持っている。
ギリシア神話に登場する迷宮ラビリントスは、クノッソス宮殿がモチーフなんじゃないかとも考えられる。
英語のラビリンスの語源でもあるね。


ギリシア人の登場

でもその後状況は一変。
前2000年頃(今から4000年ほど前)に、北のほうから現在のギリシア人のご先祖が到来したんだ。



彼らギリシア人は、クレタ文明やオリエント(エジプトやメソポタミア)の文明の影響を受け、前16世紀(今から3500年ほど前)になると独自の特徴をもつ文明をつくっていく。
これがミケーネ文明だ。

その名の付く都市ミケーネや、ティリンス、ピュロスには、クレタ文明時代とはうって変わって、頑丈な城壁を持つ王宮が建設された。どうやら王は権力を独占して支配組織を作り、役人が付近の村の農民からフルーツや羊、それに青銅器の製品や布などを貢ぎ物として要求していたようだ。
王宮にも多数の奴隷や職人がいたというから、さながらエジプトやメソポタミアの文明のようだ。

どうして当時の王国の姿がわかるかというと、線文字Bと呼ばれる文字が遺されているからだ。
「B」というからには「A」があるわけだけれど、クレタ文明のときに使われていた線文字Aのほうは未解読だ。
線文字Bのほうは、1950年代にイギリスのヴェントリスによる涙ぐましい努力によって解読されている。

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暗黒時代に突入

さて、そんなミケーネ文明も、前1200年頃(今から3200年ほど前)に突如崩壊。
どうやら当時の東地中海一帯を襲った「海の民」の民族移動の影響を受けたようだけれど、人口増加・船の作りすぎにともなう森林伐採といった環境要因も指摘されているよ。

ともかくこうしてミケーネ文明が姿を消すと、しばらくの間、文字による記録がほとんど残らない混乱時代に突入する。
これを一般に「暗黒時代」というよ。


鉄器の使用がはじまった時期と重なることから、戦乱の時代に突入したようだ。

ギリシャ人たちはもともとの都市を捨て、エーゲ海をわたって小アジア西岸(現在のトルコがあるところ)や島々に移り住んでいった。
そうするうちに、しだいにギリシア人は地域によっていくつかの方言グループに分かれていったんだ。「イオニア人」「アイオリス人」「ドーリア人」と呼ばれるよ。


それでもギリシア人たちから、共通のギリシア人意識が消えることはなかった。
共通の神話(ギリシア神話)を信仰し、オリンポス12神を大切にした。




また、各地で防衛のためにポリスと呼ばれる都市国家が有力者によって建設された。
有力者は自分の家柄を「神々につながる血筋」であると主張。
見晴らしの良い丘(アクロポリス)には神殿が築かれ、重要な事項は広場(アゴラ)で話し合って決められた。
戦いの負けた人々は奴隷となり、周辺の農民・牧畜民や商工業者たちを従えることで発展していくポリスも現れるよ。


多くのポリスを巻き込む大戦争の記録も、当時の様子の一端を伝えるとみられる叙事詩(出来事をうたった詩)『イーリアス』や『オデュッセイア』から読みとれる。


小アジアのギリシア人の都市国家トロイアをめぐる大戦争に関連する2つの叙事詩は、伝説的な詩人ホメロスによるもの。

日本人にとっては親しみが薄いけれど、神話と実際の出来事の交錯する、ロマンあふれる内容で、欧米人にとってのある意味『古事記』的なお話だ。

アキレス腱”や”トロイの木馬”、英雄”オデュッセイアの冒険”など、その後のヨーロッパの文明の ”元ネタ”の宝庫となっている。

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これ(キュクロプス)とか。

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これとか(ラオコーン)。



少年時代に読み聞かせられたこの物語の舞台、トロイアは実在する!

―こう信じた19世紀のドイツ人アマチュア考古学者シュリーマンによる、トロイア遺跡の発見によっても一躍有名となった。




彼は、先に紹介したクレタ文明を発掘したことや、マルチリンガルであった(らしい)ことでも知られるけれど、発掘の方法が乱雑で出土品の転売や改竄など、現在から見ればかなり問題の多い人物といってよい。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊