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15.3.7 ヴェトナム戦争とインドシナ半島 世界史の教科書を最初から最後まで

アメリカの赤字が積み上がっていったもう一つの理由は、インドシナ半島におけるヴェトナム戦争の開始だ。
その口火を切ったのは、〈ケネディ〉大統領(任1961~63)。

彼は南ヴェトナムに“軍事顧問団”を送り込んでいるのだが、実はこれはアメリカ陸軍特殊部隊群というゲリラ戦を得意とする組織に属する人たちだった。


実戦が始まったのは〈ジョンソン〉大統領(任1963~69)のときのこと。
アメリカ合衆国政府は、トンキン湾事件を口実に65年から北ヴェトナムを空爆(北爆)。

当時の南ヴェトナムでは、アメリカ合衆国の支援する〈ゴー=ディン=ジエム〉政権(任1955~63)が独裁体制をしき資本主義体制を守っていたが、共産党の指導で1960年に組織されたベトコン(南ヴェトナム解放民族戦線、NLF)が、北ヴェトナム〔ヴェトナム民主共和国〕の支援を受けて反政府のために抵抗運動・一斉蜂起を開始。


ベトコンと北ヴェトナムは68年1月のテト攻勢により勢力を強め、北ヴェトナムを甘く見ていたアメリカ軍を圧倒し、ヴェトナム戦争は泥沼化していった。


1968年3月にはアメリカ陸軍の歩兵師団が南ヴェトナムのソンミ村で無抵抗の農民504人を虐殺(ソンミ村虐殺事件)。現場の悲惨な写真が戦場ジャーナリストにより公表され、反戦の機運に影響を与えた。


財政悪化に苦しむアメリカでは、68年に共和党の〈ニクソン〉(1913~94、在任1969~74)が大統領に就任。
国内では、若者世代を中心としたヴェトナム反戦運動が盛り上がり、その動きは1969年のウッドストック=ロックフェスティバルという野外フェスで最高潮に達した。
〈ニクソン〉大統領はヴェトナム戦争の長期化にともなう財政赤字を背景に、1970年に「同盟国に対する防衛費を減らし、防衛費は同盟国によって負担してもらう」というニクソン=ドクトリンを発表し、幕引きを図る。



人類が月面に到達する

時代が前後するが、戦後推進されていたアメリカ合衆国による宇宙開発計画は、1966年にソ連がルナ9号を月面着陸させたことに対する危機感もあり、1969年7月にソ連に先駆けた人類初の月面着陸に実を結んでいる。
アポロ11号の搭載した月面着陸船イーグルによって、〈アームストロング〉船長(1930~2012)と〈オルドリン〉大佐(1930~)が月面に着陸。宇宙服を着用して歩行することに成功した。



なお、1968年にはアポロ8号が宇宙から初めて「地球の出(で)」を撮影した写真が公開され、人々に衝撃を与えたことも重要だ。



アメリカ合衆国は北京政府の国連代表権を承認へ

ヴェトナム撤退を探る〈ニクソン〉大統領の補佐官〈キッシンジャー〉(1923~)は、ニクソンにこのようなアドバイスをした。

ヴェトナムから撤退するなら、同じ社会主義国である中華人民共和国と関係を改善させておいたほうがいい。
国連の代表権を与えれば、中華人民共和国は納得してくれるだろう。
さらに、ソ連とも交渉して核兵器を減らしていく。
ソ連も財政的に厳しいのはわれわれと同じだ。こうして中国とソ連との関係を改善させておけば、北ヴェトナムへの支援が弱まる。北ヴェトナムをさらに追い詰めるために、ホーチミン=ルートと呼ばれるラオスやカンボジア方面の補給路を攻撃しておいたほうがいい。そして、すべての後始末は南ヴェトナムに任せよう。


その頃、1971年1月の世界選手権大会(名古屋)に中国が参加。
さらに2月に中国はアメリカ合衆国の卓球チームを北京に招待した(ピンポン外交)。
続く、同年10月に中華人民共和国は国連代表権を獲得。この措置は中華人民共和国と友好であったアルバニアの提案なので、「アルバニア決議」ともいわれる。
1972年2月に〈ニクソン〉は中華人民共和国をアメリカ合衆国大統領として初めて訪問(ニクソンの訪中(ニクソン=ショック))。メディアは、コートを着込んで北京郊外の万里の長城を歩く大統領夫妻を映し出している。

こうした米国の方針転換によって中華民国は国連代表権を失うこととなった。

史料 「漢賊並び立たず」(台湾の歴史教科書の記述より)

中華人民共和国政府が中国を統治し続けている現実を踏まえ、国際社会もその存在を重視するようになり、英、仏などがそれと国交を結んだ。一方我が国は1960年代に「漢賊並び立たず」との外交政策を採ったため、国際情勢は不利に傾いていった。

(薛化元編(永山英樹・訳)『詳説台湾の歴史 台湾高校歴史教科書』雄山閣、2020年、176頁)





一方、1972年に米ソは第一次戦略兵器制限交渉(SALTⅠ、ソルト=ワン)に調印し、同年に発効させている。
莫大な軍事費が、両国の財政を圧迫させていたのだ。


国際政治が一気に動く中、1973年にパリ〔ヴェトナム〕和平協定で北ヴェトナムと南ヴェトナムの停戦と、アメリカの撤退が決められた。

「アメリカはヴェトナムから手を引く。今後はヴェトナム人で解決してくれ」ということだ(ヴェトナム戦争のヴェトナム化)。〈キッシンジャー〉は1973年にベトナム戦争の和平交渉が評価されてノーベル平和賞を受賞している。


一方、1975年に北ヴェトナムとベトコンが南ヴェトナムの首都サイゴンを占領1976年に南北が統一されてヴェトナム社会主義共和国が成立した。最終的にヴェトナムは社会主義国化したのだ

なお、アメリカ合衆国の〈ニクソン〉大統領は、経済的にも大きな方針転換を迫られている。
1971年に、金とドルの交換停止を発表(ドル=ショック)したのだ。
国際的な為替はのちに、変動相場制に移行することになり、金と交換可能なドルを基軸通貨とする国際経済体制は崩壊した。


そんな中、1972年の大統領選挙で、共和党陣営が民主党本部のあったウォーターゲート=ビルを盗聴していた疑惑への関与が高まり、〈ニクソン〉大統領は1974年8月に任期半ばで辞任する前代未聞の事態に。
これをウォーターゲート事件という。


後を継いだのは副大統領の〈フォード〉だ。



ヴェトナムの戦後

1975年にサイゴンは〈ホー=チ=ミン〉のヴェトナム民主共和国が陥落し、1978年にヴェトナム社会主義共和国が成立した。

南北統一は〈ホー=チ=ミン〉(ただしホー=チ=ミンはすでに亡くなっている)のほうに軍配が上がったのだ。


フランスとアメリカとの一連のヴェトナム戦争によりヴェトナム全土は荒廃し、アメリカ合衆国の使用した化学兵器(ダイオキシン類を主成分とする“枯葉剤”)によって、現在に至るまで重い後遺症を残したり、形態異状児を産んだ住民も多数出ている。


また戦難を逃れて船で海上に脱出した人々(ボート=ピープル)が東シナ海や南シナ海を通り、日本にも到達した。


一方、中華人民共和国はカンボジアで〈毛沢東〉を信奉する〈ポル=ポト〉(1928~1998)を支援し、ソ連の支援を受けるヴェトナム社会主義共和国を“挟み撃ち”しようとしていた。
東南アジアに中ソ対立の影響がおよんでいたのだ。

〈ポル=ポト〉は「カンボジアでは全員が思想を改造し、農業に従事することで原始共産制による“みんな平等”の理想社会をつくることができる」と宣伝。
都市民を農村に集団移住させ批判する知識人や抵抗勢力を大量殺害した。

援助を拒み、独力での開発にこだわったポル=ポトの思想によって、おびただしい人命が犠牲になった。

これに対し、1978年にヴェトナムはカンボジアに侵攻し親ヴェトナム政権を樹立。


国際的批判にさらされたヴェトナム社会主義共和国は、〈ポル=ポト〉派を支援していた中華人民共和国との間に1979年に中越戦争を起こした。


「どうして同じ社会主義国どうしの中華人民共和国とヴェトナム社会主義共和国が戦うんだろう?」と思うかもしれないけれども、その背景にはインドシナ半島をめぐる中ソの南下問題があったのだ。

とはいえ、社会主義国どうしの戦争は、同時代の世界に衝撃を与える。
同じ体制にある国同士は争わないだろう、社会主義は平和の体制だろうという暗黙の前提が崩れたのだ。


アメリカ合衆国はカンボジアの反ヴェトナム勢力を支援したため、カンボジアは周辺国と大国による代理戦争の舞台に成り果てていく。

その後もカンボジアでは内戦が続いた。
中国がバックにいるポル=ポト派、ソ連がバックにいるヴェトナム派、それにアメリカがバックにいるグループ派間の3派の抗争だ。


少し先の話までしておこう。
内戦による疲弊を経て、1991年にはASEAN諸国が主導しカンボジア和平協定が結ばれることになった。


平和維持活動が展開する中でカンボジアのすべての勢力が参加する総選挙が実施された結果、1993年に立憲君主制のカンボジア王国が成立。
復興への道が始まった。


国内には内戦時代の爪痕が残り、多くの地雷が埋められています(1999年に対人地雷禁止条約が発効)。


1995年以来、〈フン=セン〉首相が政権を維持しており、2018年の総選挙でも再任が決まっている。


なお、カンボジアとヴェトナムに接するラオスでは、1975年に社会主義国のラオス人民民主共和国が成立し、マルクス=レーニン主義に基づくラオス人民革命党の一党独裁制がとられることに。
しかし、1986年には1986年、新経済政策がとられ自由化が始まり、関係の悪化していた中華人民共和国と隣国のタイとも関係を改善。
1997年にはASEANに加盟した。1997年のアジア経済危機の影響を受けたものの、順調に経済成長を果たしていはいるものの、以前として農業人口が7割占めており、工業化は遅れ消費財はタイからの輸入に依存する状況だ。


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みんなの世界史
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