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世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.9 ヘレニズム時代

ギリシアのポリスを支配下におさめたマケドニアのギリシア人王国「マケドニア王国」では、前336年(今から2350年ほど前)にアレクサンドロスという若い国王が即位した。



高校生の中には、バンドのほうがまっさきに浮かぶ人もいるかなあ。


彼の野望は、ギリシアの宿敵であったアケメネス朝ペルシアを破ること。



前334年にギリシアのポリス(コリントス同盟)の軍とマケドニア王国軍を引き連れて、いわゆる東方遠征に出発した。


前333年にはイッソスの戦いで、アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世(在位前336〜前330)を倒すと、アレクサンドロスはエジプトに方向を変え、これを征服した。

さらに前331年のアルベラ(ガウガメラ)の戦いで、アケメネス朝ペルシアを滅ぼしたアレクサンドロスは、平和的に歴史ある都バビロンに入城。その豪華絢爛なパレードの模様は、古代の人々に強烈な記憶を残した。

ペルシアを支配するために自らペルシア人貴族と結婚。“箔をつける”ことで、ペルシア人の王族や貴族の支持を得ようとしたわけだ。ギリシア人の兵士たちにも、「現地妻」をあてがった。


その後さらに軍を東に進め、アケメネス朝の聖地「ペルセポリス」を破壊・炎上させている。けれども、配下の将軍の反対もあって、現在のインド西北部のアフガニスタンやパキスタンのあたりで引き返すことになった。

短い期間で大帝国を築いたアレクサンドロス「大王」は、しかしあっけなく前323年に急死。


「最強の者に帝国を与える」なんて遺言をのこしちゃったものだから、”後継者たち(ディアドコイ)”の部下の将軍による取り合いが勃発。

戦乱の末に、マケドニアはアンティゴノスという将軍、アケメネス朝ペルシアの領土だったところはセレウコスという将軍、エジプトはプトレマイオスという将軍が、それぞれ国を建てて治めることになった。


アレクサンドロス大王が亡くなっても、オリエントはギリシア人による支配が続いたわけだけれども、やがてローマ人によって、それぞれの王国が滅ぼされていくことになるよ

アレクサンドロスが東方遠征を始め、最後にプトレマイオスの王国が滅ぶ前30年(今から2050年ほど前)までの期間のことは、のちの歴史家ドロイゼンにより「ヘレニズム時代」と呼ばれるようになる。


ヘレニズム時代にもっとも栄えたのはエジプトの港町アレクサンドリア

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アレクサンドロス大王は各地にギリシア風の建築物をたくさん建てて「アレクサンドリア」と名付けたんだけれど、なかでもいちばん有名なアレクサンドリアは、このエジプトにあるアレクサンドリアだ。

まずトレードマークとなったのは、前3世紀に建てられたファロスの灯台。全長134メートルという、当時の世界でもっとも高い建造物の一つ。いわゆる世界七不思議の一つである。

商品の集まるところには、情報も集まってくる。ムセイオンという学問の王立研究施設や、古代最大の図書館(アレクサンドリアの大図書館)があったことでも知られるね。



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