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15.2.2 アメリカ合衆国の繁栄 世界史の教科書を最初から最後まで

大戦後のアメリカ合衆国の歴史を、1950年代前半まで見ていこう。

ソ連との対立が深まり「封じ込め」政策がスタートする

トルーマン〉大統領(任1945~1953)の任期中に「冷戦」が激化しました。

国務長官〈バーンズ〉(任1945~1947)は、従来のドイツの戦後政策(工業化を阻止するモーゲンソー=プラン)を見直して、工業化させる方針(『ドイツ政策の見直し』1946年9月)へと転換。
しかし原爆の使用も辞さない強硬な姿勢が嫌われ、〈トルーマン〉大統領にクビにされた。

その後、1947年1月に就任した〈マーシャル〉国務長官(任1947~1949)は、6月にハーバード大学で講演しヨーロッパ復興計画である「マーシャル=プラン」を発表した。
「アメリカの援助によって、ヨーロッパがソ連の“子分”となることを防ごう」というもの。


このプランの実行をもって、のち1953年にノーベル平和賞を受賞する。

トルーマン大統領は1948年の大統領選挙では「フェアディール政策」を掲げ、ニューディール政策を受け継ぐ姿勢をハッキリと示した。公共事業などを通して政府がじゃぶじゃぶお金を使うことで経済を回し、多くの労働者にとってフェア(公正)な世の中にしていきますよというアピールだ。
今のアメリカでは信じられないかもしれないけど、当時のアメリカは福祉国家を築こうとしていたんだ。

しかし一方、1947年に制定された労働組合を規制するタフト=ハートレー法の撤廃を訴えるが、これには失敗。

 しかし、1949年に中国における国共内戦が終結して中華人民共和国が建国されると、中国政策に対しては上院議員〈マッカーシー〉(任1947~1957)からの批判が強まり、大規模な反共産主義運動である「赤狩り」がスタート。この運動を彼の名をとって「マッカーシズム」ともいう。

 1950年には、朝鮮民主主義人民共和国(1948年建国)が大韓民国(1948年建国)に軍事侵攻し、朝鮮戦争が始まる。


 〈マーシャル〉は国防長官(任1950~1951)に就任するも1951年に辞任。
連合国軍最高司令官〈マッカーサー〉(任1945~1951)が原爆の使用や中華人民共和国への戦線の拡大を主張したのに対し、国務長官〈アチソン〉(任1949~1953)は〈トルーマン〉大統領とともに反対。


〈マッカーサー〉は1951年4月に解任された。後任の連合国軍最高司令官は〈リッジウェイ〉だ。


朝鮮戦争中の1951年9月8日にはサンフランシスコ講和条約が署名され、1952年4月28日に発効、連合国軍による日本の占領が終結した。しかし、旧・日米安全保障条約により、アメリカ合衆国軍は「在日米軍」として駐留を続けた。



さて、中華人民共和国の建国やインドシナ戦争の苦戦、朝鮮戦争の状況から、〈トルーマン〉大統領への批判が強まると、民主党の〈トルーマン〉は大統領選挙への不出馬を決定。
 1952年の選挙で当選したのは共和党の〈アイゼンハワー〉大統領(愛称はアイク、任1953~1961)だった。


 〈アイゼンハワー〉大統領は、国務長官〈ダレス〉(任1953~1959)の下「巻き返し政策」でソ連の影響力の削減に努める


しかし、1953年3月にソ連の〈スターリン〉が死去すると、米ソ関係(アメリカとソ連との関係を「べいそかんけい」という)は、緊張緩和(「雪どけ」)に向かうことになった(国際政治では対立がゆるむことを「緊張緩和」という)。


さてこの間、平時においても巨額な軍事費が予算に計上され、原子力、ミサイル、航空機、電子などの産業に莫大な補助金が投入された。
国が最先端の軍事産業と密接につながっていったのだ。

すでに1942年以降には極秘で莫大な資金が投入されて研究開発が進められ,1945年に実を結んだ「原爆」という兵器は、世界の「平和」のあり方を大きく変えていた。
戦時下のアメリカ合衆国では連邦政府の支出が跳ね上がり(1939年は89億ドル→1945年は952億ドル)、戦時生産局を中心に大企業が中心になって軍事物資が大量生産され、軍部・政府・産業界のつながりが強化。
これはやがて「軍産複合体」(Military-industrial complex,MIC)と呼ばれ、強い政治的な力を持つに至った。


なお、大戦後のアメリカ社会では、人種をめぐる問題にも変化が見られた。

もともとアメリカでは黒人差別が当たり前のようにはびこっていて、白人と黒人の通う学校も別々だった。しかし第二次世界大戦での黒人の活躍や、その後の国際連盟が「人権」を全面に押し出すようになると、黒人に対する処遇も変化(1948年に世界人権宣言が出されている)。

1954年には連邦裁判所で公立学校の人種隔離が憲法違反とされたのだ。このブラウン判決をきっかけに、黒人が白人との平等な権利を求める公民権運動が始まっていくことになる。



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