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15.2.1 軍拡競争の激化 世界史の教科書を最初から最後まで

朝鮮戦争については、5.1.3を見てください。


オセアニアも、アメリカの「封じ込め」の舞台になる

サンフランシスコ講和条約に先立つ1951年9月1日、オーストラリア (A) ,ニュージーランド (NZ) ,アメリカ (US) の3国は,太平洋安全保障条約(ANZUS,アンザス,アンザス条約) に署名した。

ANZUSはアンザスと読む。


ソ連を筆頭とする東側諸国の拡大に備えたほか、アメリカ合衆国が9月8日に日米安全保障条約を締結するため、日本の再・軍国主義化を恐れるオーストラリア、ニュージーランドを“説得”させる必要があったのだ。

なお,オセアニアの島々の多くは植民地の地位に留まるか,国際連盟の委任統治領を引き継いだ国際連合の「信託統治領」として統治され続けた。



西アジアもアメリカの「封じ込め」の対象に

戦後,パフレヴィー朝イラン王国で,民族主義的な姿勢を強めていた〈モサッデグ〉(モサデグ)首相。

1953年に,これを問題視したアメリカ合衆国の諜報機関CIAの介入により逮捕され,〈モハンマド=レザー=シャー=パフラヴィー〉(位1941~79)が新首相を任命した。イランに対するアメリカの介入は,公然の事実だ。

シャー(国王)はその“恩返し”にアメリカ合衆国を初めとする西側諸国に国内の石油利権を潤沢に供与。
1955年にはイギリス,トルコ,パキスタン,イラクとともに中東条約機構(METO,メトー)に加盟し,アメリカ合衆国を中心とする反共の役割を担うようになっていく。


日本もアメリカの「封じ込め」の対象に


1952年に主権を回復した日本は,米ソの冷戦構造の中でアメリカ側の体制に組み込まれていった

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50年代には,終戦直後の戦後改革によりいったん民主的になった制度を,もう一度国家権力を強化した制度に戻そうとする「逆コース」の動きが起きる。

軍備を禁じる日本国憲法を改憲しようとする勢力(護憲派。右派)に対し,日本国憲法を守ろうとする勢力(改憲派。左派)の勢力が対立。
アメリカ合衆国の占領下につくられた憲法を改めようとする勢力と,それを守ろうとする勢力との対立は,そっくりそのままアメリカ派 vs ソ連派の対立でもあった。

1955年に前者(派)の立場の政党がくっついて「自由民主党」となり,アメリカ合衆国の軍事力によって日本の安全を保障しながら,外国からの投資と援助を受けつつ経済成長を図ろうとする道を選択した。
しかし,派の政党(日本共産党と日本社会党など)も寄せ集めても憲法を改正する議席数には達しなかったため(右派の約半分),日本の再軍備を憲法に規定する動きは持ち越されることになった。


一時期,核爆弾への反対運動が広がった


Arthur Stuart Michael Cummingsによ「相互確証破壊」(MAD)に関する風刺画(Daily Express Edition. Aug. 24, 1953)



1954年のマーシャル諸島(現在のマーシャル諸島共和国)のビキニ環礁(◆世界文化遺産「ビキニ環礁―核実験場となった海」,2010)におけるアメリカ合衆国の水爆実験の被害を受けた第五福竜丸事件は,反核運動の盛り上がるきっかけとなる。



ビキニ環礁では計23回の核実験のために住民の強制退去が行われ,現在でも居住できない島もある。
水素爆弾「ブラボー」によりできた直径2kmのブラボー=クレーターも残されている。

1955年に第一回原水爆禁止世界大会が広島で開催され,

同年には哲学者〈ラッセル〉(1872~1970)と科学者〈アインシュタイン〉(1879~1955,署名後,約1週間後に死去)が核の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言が発表された。

史料 ラッセル・アインシュタイン宣言(1957年)
ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)
​人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。
私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。
政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない 生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。
私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。
私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである
水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。
信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。
著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。
さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。
戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。
この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。
大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。
およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。
1955年7月9日 ロンドンにて
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

出典:日本パグウォッシュ会議、https://www.pugwashjapan.jp/russell-einstein-manifesto



ユダヤ人であるアインシュタインは,亡命先のアメリカ合衆国大統領に,自身の理論を実用化した「核爆弾の開発によるドイツ攻撃」を進言した科学者でもある。

1957年にはカナダで科学者〈湯川秀樹〉(1907~81),〈朝永振一郎〉(ともながしんいちろう,1906~79),〈ボルン〉(1882~1970)らによりパグウォッシュ会議が開かれ核兵器廃絶を訴えた。
この会長を務めたイギリスの物理学者〈ロートブラット〉(1908~2005)は1995年にパグウォッシュ会議とともにノーベル平和賞を受賞している。



しかし,核爆弾に対する世界的な反対運動は,やがて政財界を中心とする「核の平和利用」の動きに取って代わられていくことになった。

すでに1953年にアメリカ合衆国の〈アイゼンハワー〉大統領(任1953〜1961年)が,「平和のための原子力」と題して演説。

1955年には原子力基本法が制定され,1956年に〈正力松太郎〉(1885〜1969年)が同年設立の原子力委員会に就任した。


「核兵器」は未来のクリーンなエネルギーだという旗印のもと,1960年代以降,日本にもアメリカ製の原子力発電所が設置されていくことになる。




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