世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.10 ギリシアの生活と文化
文化を勉強するときは、それぞれの時代や民族の「キャラクター」に注目することが重要だよ。
さらに、どうしてそういう「キャラクター」が生まれたのかという、「バックグラウンド」にも必ず注目してみようね。
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今回は、ギリシア人の文化をポリスの時代から順に見ていこう。
ギリシア人のポリスの文化
ギリシア人のキャラクターの特徴といえば、“合理的” & “人間中心的” の2点に集約される。
人間臭いギリシア神話
たとえば彼らの神様も人間と同じような姿をしていて、人間と同じような感情を持つものと考えられていた。
さまざまな自然現象や人間の文化と結びつけられ、火の守り神、美の守り神
といったようなさまざまな神が信仰の対象になった。メインの神様どうしの家系図は、やがてゼウスを主神とする「オリンポス12神」としてまとめられていったよ。
合理的な自然哲学—世界の根源をめぐって
でも、「なんでもかんでも神様で説明するのはおかしい!」と、合理的な考えをする思想家が前6世紀(今から2500年ほど前)のイオニア地方というところに現れた。この地方はギリシア人の植民市がつくられた場所で、商売も盛んだった。
常識を覆すようないろんな情報も入ってくる。経済的に豊かになればなるほど、暇(ギリシア語でスコレー)もできる。暇がなければ、学問なんてできないからね(ちなみにスコレーというのは、学者(スカラー)や学校(スクール)の語源だよ)。
広い視野と時間的な余裕こそが、合理的な考え方を育てたのだろう。
「神々の意志がなくては何事も起こらない」ーこの考え方に挑戦した学者たちのことを「自然哲学者」(フィロソフィー・オブ・ネイチャー)という。
日食を予言したことで知られるミレトス出身のタレス(前624〜前546?)は、「神々が万物をつくったというのでは、自然がどうなっているのかを説明したことにはならない。そもそも万物は水からできているのだ。万物の根元(アルケー)は水なのだ」と説明し、“最初の哲学者”と呼ばれる(ちなみに、ギリシャの外に出自を持つとされ、外来の思想をギリシアに伝える役目を果たしたのであろう)。
この議論を“哲学のはじまり”として伝えるのは、のちの世の哲学者アリストテレスである。
原理というのは「はじまり」とも訳される。
この世界に「はじまり」があったとして、その「スタート地点」においては、果たして、何が、「あった」のか?
世界には、さまざまな自然現象、動物や物が存在するが、それらはいったい、いつ、どのようにして生じたものなのか?
それらは、はじめに「あった」と考えられるものと、どのような関係にあるのだろうか?
—こういった「存在」をめぐる問いをめぐり、さまざまな論者が現れたのだ。
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イオニア地方のサモス島出身のピタゴラス(前582?〜前497)は、「宇宙は音階だ! 宇宙は数でできている!」と主張。数学と音楽を研究することが、魂を浄化することにつながると説明した。
また、エフェソスというところ出身のヘラクレイトス(前540?〜前480?)は、もっと深い洞察を加える。「万物の根元は“これだ!”なんて、いうことはできない。だって、すべてのものは、絶えず移り変わっていくんだから、世界の姿なんて考えている間にどんどん変化していってしまう。つまり、万物の根元は、移ろい続ける「火」なのだ!」。
このような議論が繰り返され、最終的にはデモクリトス(前460?〜前370?)のように、「万物の根元は「原子(アトム)」だという説も現れた。原子が離れたりくっついたりすることによって、物の質は変化していくんだっていう考え方だ。実に合理的だけれど、それじゃあ「物」ではない「魂」や「心」がどうなっているのかということを説明するのは、やっぱり難しい。その後も議論は続いていくよ。
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演劇はポリス団結の証
さて、ポリスに住むギリシア人の好きだったものは、演劇だ。
演劇は、民主政における最重要項目で、神話や政治・戦争を題材にした悲劇を観ることは、ポリスの市民にとっての大事な義務でもあった。
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスは、当時の花形劇作家として有名だ。
一方、政治や社会を諷刺するコメディーも、アリストファネスによって人気となっているよ。現代人が観てもピンとこないけど、当時の人が観ると「あ、これはあの政治家を笑い者にしているんだな」ってことがわかる作りになっていたんだ。
例えば彼の『女の平和』という代表作は、ペロポネソス戦争に明け暮れる男たちに対し、女性たちがパルテノン神殿に籠城して「もうあんたたちと寝ないよ!」と男に対する”ストライキ”を起こすというストーリー。最近でも舞台をシカゴにうつした映画も公開されている。
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話術が必修科目!?
ペルシア戦争が終わると、アテネではすべての青年男性市民に参政権が与えられたよね。
そうなると、公の活動をするにあたって「しゃべりの技術」が要求されることは避けられない。
そこで、いかに相手を説得させるかということを教える、スピーチの先生が流行した。彼らのことを「ソフィスト」というよ。
今でいえば、上手なスピーチやプレゼンの方法を教える先生のような職業だ。
それに対し、ソクラテス(前469?〜前399)という人は、「ソフィストたちは自己中心的で、ポリス全体のことは眼中にない。このままではポリスにとっての正義が、ソフィストの教える弁論術によって崩壊してしまう」と、危機感をつのらせた。そこで彼はソフィストたちに対して質問責めすることで、彼らに自分たちの「無知」に気づかせよう(無知の知)とする作戦をとったんだ。
しかし、ソフィストにとってソクラテスによるツッコミは、いわば上から目線の“クソリプ”。ソクラテスはソクラテスで、民主政には批判的。ポリスにいる人間にとっての絶対的な正義があると確信して譲らない。結局、誤解や反感を受けて、死刑となってしまった。
"あっち"のプラトン vs "こっち"のアリストテレス
彼の「哲学」を受け継いだのが、弟子のプラトン(前429頃〜前347)だ。彼は、師匠ソクラテスの言っているような「正義」は、対話を通じて誰にとっても共有可能なものだと考えていた。
「善い」「美しい」「正しい」基準というのは、誰に聞いても同じだというわけだ。
でも、どうしてそうなるのだろうか?
それは、あらゆる現実に存在する物事の背後には、目に見えない「イデア」という「本当の実在」があるからだーというような主張を展開した。つまり現実世界にあるものは「不完全」で「かりそめの姿」。それでもこんな汚くて間違っている不完全な世界に生まれ落ちた人間が、「完全なもの」を求めて生きようと思えるかというと、人間には皆「イデア」の世界の記憶をが備わっているからだ、というわけだ。
理想主義者のプラトンにとっても、民主政はやはり「不完全」な政治制度だった。「完全」な価値観を持つ選ばれしエリートによる政治こそが、理想の政治であるという国家論も打ち立てている。
現代的には「絶対に正しい判断をする(とされる)AI(人工知能)に総理になってもらえばいいんだ!」という議論ともつながりうるトピックだ。
さて、そのプラトンの塾であるアカデメイア(英語のアカデミーの語源)で学んだ弟子がアリストテレスだ。
彼は師匠とは違って経験と観察を重視。たった一人で、国語・算数・理解・社会をカバーするという古代世界随一の”天才学者“だ。
「目に見える物」を扱う学問と、「目に見えない物」を扱う学問(形而上学)のように、学問の種類をキッチリと分類し「万学の祖」とも呼ばれる。彼による”一切の矛盾を認めない“情報整理法は、のちのイスラーム教徒による学問(関連:イブン=ルシュド)を通して、ヨーロッパの中世という時代の学問(スコラ学)にも影響を与えているよ。
16世紀にルネサンス時代の巨匠ラファエロによる『アテネの学堂』という絵画に、プラトンとアリストテレスの姿が描かれている。
左側のプラトンは空の方を指して「イデアの世界」を、右側のアリストテレスは手のひらを地面に向け「現実世界」に注目している。2人の哲学者のキャラクターをよく表しているといえるよね。
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ギリシア人は、古くから歴史を文字で残そうとしたことも知っておこう。ペルシア戦争についても説明しているヘロドトス(前484頃〜前425頃)や、ペロポネソス戦争についても説明するトゥキディデス(前460頃〜前400頃)の歴史書は、「第三者から聞いた話」と「自分が観察した話」がゴッチャになっていることも多いけれど、それぞれが「本当の情報なのか?」ということを、しっかり突き詰めようとする姿勢が現れているよ。
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また、ギリシア人による”バランス重視“ ”完璧主義“の傾向は、美術や建築にも見られる。たとえば柱。ただ単に柱がドーンと立っているよりは、上のほうに飾りをつけた方が全体のバランスがとれることに気づいたんだ。現代の日本でも、どの町にも探せば必ず見つかるシンプルな「ドーリア式」(国会議事堂はこれ)、ヤギの巻き角のような「イオニア式」、植物装飾の「コリント式」のような様式が誕生したよ。ちなみに東京ディズニーシーの中ですべて見れるから、待ち時間の間に探してみよう。
ドーリア式の柱で知られるのはアテネのパルテノン神殿。ここにはアテネの守神アテナの女神像が稀代の彫刻家フェイディアスによって作られた。黄金比が重視され、関節と関節の間の比率とか、体のパーツのバランスも数学的に調整されたんだ。
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ヘレニズム時代の文化
さて、ヘレニズム時代になると、ポリス時代のような「形式的な表現」から脱皮するような、自由な表現が見られるようになっていくよ。
たとえば哲学では「ポリスの政治」と結びついた思想は衰退し、「市民としての幸せ」ではなく「人間としての幸せ」をどうつくっていくかという新しい哲学が流行するようになる。
アレクサンドロス大王の遠征の結果、これまでは「わけわからんことを話すやつら」と見下していたバルバロイが、「意外とすげえやつらだ。っていうか同じ人間じゃん」という気づきは、ギリシャ人たちの視野を大きく広げさせたのだ。各地のギリシャ人の共通語としてコイネーが用いられるようになっている。
でも、これまで所属していたポリスが、絶対的に正しいものではなかったっていう気づきは、それはそれでけっこう辛いものがあるよね。
とにかく「会社のこと」だけを考えて、数十年間バリバリ働いていた人がいるとするよね。でも定年退職後が問題だ。どうやって生きていけばいいのかって、考えざるを得なくなる。 「老い」と「死」にどうやって向き合っていくか? ということを考えざるをえなくなっていくでしょ。
エピクロスの答え
それに対する、エピクロス(前341〜前271)の答えを見てみよう。
「退職金を湯水のように使って、良いホテルに泊まって、贅沢をして...」というのは、必ずしも「快楽」には結びつかない。物質的・肉体的な快楽なんて、ほどほどが良い。だって肉を食べても、すぐにお腹は減ってしまうじゃないか。
他人と自分を比べたり、心を悩ませることのないような精神的快楽こそ、ほんとうの「アタラクシア」(平静な心境)への道なのだ。
これが「精神的快楽」こそが「幸せ」への道とするエピクロス派の考え方だ。
ゼノンの答え
それに対し、ゼノン(前331?〜前263?)はこう言う。
「感情というのは、衝動が大きくなりすぎちゃうと出てくるものだ。適度な理性からはみ出してしまうと、それに従おうとしない衝動が生まれ、そこから感情が出てきてしまう。人間にとって、理性に従うこということが、自然に備わった生き方だ。感情が表に出るような生き方は、自然に反する魂の働きだ。」
感情(パトス)を抑えて禁欲することで、初めて「平静な境地(アパティア)」に達することができるんだよという考え方を、ストア派というよ。
禅とか、アンガーマネジメントみたいな考え方だね。「禁欲」っていうところが取り上げられた結果、「禁欲主義」(ストイック)の語源にもなっているけど、実際にはかなり深い考え方なんだ。
ミロのヴィーナス
ヘレニズム時代の美術についても触れておこう。彫刻ではミロのヴィーナスやラオコーンが代表例だ。アテネ時代の”バランス”や”均整”重視の作風は失われ、「動き」「うねり」をともなう表現が、どこかグロテスクにも思えたりもする。
自然科学の分野では、エジプトのアレクサンドリア(プトレマイオス朝の王都)の王立研究所ムセイオン(ミュージアムの語源)で、超一級の科学者たちが研究活動をした。たとえば、幾何学(ユークリッド幾何学)を集大成したエウクレイデス(前300年頃)、てこや浮力の原理を発見したアルキメデス(前287年〜前212)、太陽中心説つまり地動説を説明したアリスタルコス、地球の演習を計算したエラトステネスが有名だ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊