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【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ⑩ 紀元前後~200年の世界


―この時代にはユーラシア大陸では「西の横綱」ローマ帝国(地図中の「」)と「の横綱」中国(後漢、地図中の「」)が、それぞれ巨大な国の代表格となっている。
 
 ユーラシア大陸では各地をつなぐ陸と海の貿易もますます盛んになっている。

南北アメリカ大陸ではどんな感じですか?

―単純に進み具合が「速い」とか「遅い」とか決めることはできないけど、ユーラシア大陸に比べるとスローペースだよね。鉄、馬、戦車がないことが一番の理由だろう。
 南北アメリカは南北(タテ)方向に長いから、長い距離を移動するとなると気候の変化が大きく大変だし、ユーラシア大陸に比べると季節風もあまり使えない。

 一方、ユーラシア大陸では地図中の「1」~「4」のように、貿易ビジネスで利益をあげる国が、陸でも海域でも現れる。

 「1」エチオピアからアラビア半島にかけての勢力(注:アクスム王国

 「2」南インドの王国(注:サータヴァーハナ朝

この時代に建てられたサータヴァーハナ朝の建築物(注:ナシック洞窟

 「3」:現在のメコン川下流にあった扶南(ふなん)

現在のオケオ(扶南のかつての港)近くの水上住居


ユーラシア大陸では東西を結ぶ交易が盛んに行われていたんですね。 

―もちろんアメリカ大陸でも貿易は行われているけど、規模が違うね。

 ユーラシア大陸の巨大な国では支配システムを整備して繁栄を迎えるけど、しだいに問題点も見えてくる。
 ローマにしろ中国にしろ、「拡大することが繁栄につながった」面があるけど、拡大には限界があるから、そこで行き詰まってしまうというわけだ。

社会が安定すると人口も増えそうですね。
―うん。
 でもたとえ人口が増えたとしても、食料の生産にはスピードに限界がある。
 これは一般論だけど、ふつう食料の生産スピードは、人口の増加スピードに追いつかないんだ。だからどこかで結局無理が生じるわけだ。スピードに追いつこうとすれば開発のしすぎで環境破壊になるしね。

アメリカ大陸には「大きな国」は生まれなかったんですか?

―この時期には北アメリカのメキシコ(地図中の「」(マヤ地方)の左上あたり)に大都市が出現。
 王様はトウモロコシの農耕や貿易ルートを支配し、巨大なピラミッドを建てて「すごさ」をアピールしていた。

当時のテオティワカンの様子シカゴのフィールド自然史博物館の展示より)

すごいにぎやかですね!

―当時の世界有数の規模の都市だったんだよ。
 ピラミッドも見えるよね。

 地図中の「」のところには、マヤ文明も引き続き栄えている。
 都市ごとに王がいて、それぞれ独立していた。
 同じような文化を共有していたけど、一つの国にまとめるだけの勢力は育たなかった。

南アメリカはどうですか?

―アンデス山脈の方面で、神殿を中心に広い範囲をコントロール下に収める指導者が引き続き活動している(注:モチェ文化(「」)、ナスカ文化(「」))。


太平洋にも人がいますね。

―南太平洋の気候に適応したポリネシア人たちは、少しずつ東(北を上にして右方向)に移動をすすめているよ。
 オーストラリアの先住民は外界との連絡なしに、狩りや採集で生活を送っている。


ユーラシア大陸の遊牧民エリア(オレンジのところ)はどんな感じですか?

―中央ユーラシアの遊牧民は、西のほう()ではサルマタイ人やそこから分かれたアラン人というグループ、中央部()にはフン人や大月氏、東のほう()では匈奴(きょうど)や鮮卑(せんぴ)というグループが勢力をキープしているよ。

アラン人をルーツに持つといわれる北オセット人(Russia Beyondより)


この時代の日本はどうなっていますか?

 ⇒ "世界史のなかの"日本史のまとめ 紀元前後~200年の日本
―日本では小さな国同士が争う戦争の時代となっているよ。「自分のほうが偉いんだ!」とアピールするために、中国の皇帝を“親分”として頼る国も登場。
 この国が中国に送った使い(注:奴国)は、日本に関する史上最古の記録となった(日本には文字がなかったので、中国の記録に頼るしかにないのだ)。

 その頃、中国では一時期だけ皇帝が倒されている(注:)けど、短期間で復活!
 でも皇帝の力はとても低く、地方の有力者が高いステータスを求めて上京し、豪遊する状態となっていた。
 自由に役人を選べないので彼らを止められない皇帝はめげずに改革に専念し、儒教によって国をまとめようとしたんだ。


中国では儒教が唯一の「オフィシャル」な考え方だったんですか?

―どちらかというと儒教は、国のために働く役人が守るべきものという意味合いが強いね。
 普通の人たちはご先祖や不老長寿をめざす仙人(せんにん)の教えなどにご利益(りやく)を求めてお祈りをしていたし、この時代にはインドからはるばる仏教も伝わるよ。
 皇帝は天の神様への儀式も欠かさなかった。

洛陽(現在の洛陽市伊浜区)にのこされた儀式用の丘(「每日頭條:源於洛陽的冬至,皇家天壇圜丘祭祀、扁食風俗中河洛文化元素」より)
 
仏教はインドからどうやって伝わったんですか?

―当時の中国は西の砂漠地帯を支配下におさめていたから、インドから北まわりでオアシスの国々を通りながら伝わったと考えられているよ。

インドの西北のアフガニスタンというところには、ギリシャ文化の影響を受け、この時期にはすでに仏像が多数彫られるようになっていた(写真はバーミヤン

 お経はまだ漢字に翻訳されていなかったから、よっぽど勉強しないと意味はわからなかったけど、しだいに広まりをみせていく。

 海を渡る交流もさかんで、この時代の中国の南の方(ベトナム。地図中の「3」の港)にはローマ帝国の皇帝の使者を名乗る船もたどり着いている。



中国の繁栄は長続きしたのでしょうか?

―毎度毎度だけど、そういうわけにもいかないよ。
 皇帝を「操り人形」のように思い通りに利用しようとする人たちが現れるんだ。
 皇帝のおそばにつかえた家来(皇帝の関係者との男女関係が生まれないよう、大事なところを取った男の人(注:宦官(かんがん))が多かった)や皇帝のを立て…ということが繰り返されるようになったからもうメチャクチャ。奥さんの親戚、儒教の学者、それに地方から出世した豪族らが、「自分のこと」ばかり考えて、文句を言わない少年皇帝を“お飾り”として立て、気に入らなければ今度は“赤ちゃん皇帝”を立て…ということが繰り返されるようになったからもうメチャクチャ。

 おまじないで農民を救おうとした宗教グループ(注:太平道)が大反乱(注:黄巾の乱)を起こすと、皇帝はこれを鎮圧することすらできない。
 各地で有力者たちが自分たちの土地を守ろうと一斉に立ち上がり、巨大国家は分裂に向かうこととなるのだ。


そのころ、ユーラシア大陸の西側にも大きな国がありますね。

―ローマ帝国だね。

 西アジアのパルティアとの間でメソポタミアをめぐって戦いつつ、地中海周辺に広大な領土を築き上げた。

 ローマの文化は“先輩”のギリシャを受け継ぎ、文系・理系・芸術にいたるまで多岐にわたって発展し、その後のヨーロッパにおける「教科書的文化」となっていく。

宗教はどんな感じですか?
―ローマではさまざまな神様が大切にされ、皇帝も神様の一人とされていたよ。
 一方で、「この世界をつくった神様はひとつ」とするユダヤ教という宗教も、ローマの国内では信じることが認められていた。ユダヤ教の人たちはローマの神々の儀式には参加しなかったけど、伝統的な宗教ということで一応みとめられていた 
 でも、ユダヤ教の中にはこんな意見を出した人がいた。
 「ローマ人だって神様がつくった人間なんだから、神様はすべての人間のことを大切に考えているはずだ。そのことに気付くべきなんじゃないかな」
 支配者のローマ人だって、同じ人間だ。敵味方関係なく愛し合おう。
 この考え方はローマからも、ユダヤ教の多数派からも「ヤバい考え」としてにらまれた。

 結局この考えを広めようとした人は十字架にかけられ、亡くなってしまったらしい。
 でもその死後、「あの先生の言っていたことは、正しかったんじゃないか。見殺しにしてしまった僕たちが、こんどはこの考えを広めるべきだ」と弟子たちが各地に出向いて活動するようになった。
 そのうちに、彼らの考えはユダヤ教とは別の考え方に発展していったんだ。


それが「キリスト教」ですね?

―その通り。
 でもローマでは次第に皇帝から目をつけられるようになり、大きな弾圧事件も起きた。


 それにもめげずに、キリスト教のグループはローマ中に勢力を広げていくよ。


で、ローマはどのくらい強い国だったんですか?

―広さでいうと最大時には日本の10倍以上の面積にまで広がった。

 「ローマのおかげで戦争もなく平和な世の中になった」(注:パクス・ロマーナ)と、讃えられたほどだ。


 でも、広くなればなるほど維持費はかかるし、平和になったらなったで大事な労働力である奴隷も得られなくなる。戦争で負けた敵が奴隷になることが多かったからだ。
 ライン川とドナウ川の北にはゲルマン人という別の民族が生活していて、アジア方面からは騎馬遊牧民の侵入を受ける可能性もあった。

 ローマはしだいにゲルマン人の兵力に頼るようになるけど、しだいにそうしたことが次の時代には大きな課題となってのしかかってくることになるよ。

最後に、この「マレー人」って何ですか?

―この時期かどうかは確定的ではないけど東南アジアのマレー人が、長距離を船で移動してマダガスカル島にまで移動したと考えられているんだ。だからマダガスカルの人々は、今でもマレー系の言葉を話しているんだよ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊