SDGsとは一体、何だったのか?【世界史でよむSDGs】はじめに
いまや日本のSDGsは、空虚な「記号」である
2015年に採択されたSDGs(国連持続可能な開発目標)は、スタートしてから早9年目を迎えようとしている。
SDGsの実施年限は2030年だから、まだあと6年ちょっと、残されていることになる。
にもかかわらず「SDGsとは一体、何だったのか?」などと問うのは、ちょっと時期尚早ではないかと思われるかもしれない。
最初に筆者の立場を明確にしておけば、日本におけるSDGsはすくなくとも本来の趣旨に沿った受容には失敗していると言わざるをえない。
もちろん新たな価値観が、新しい世代を中心に社会に根付くきっかけとなった点は、21世紀の「生活改善運動」ともいうべき一定の効果があったとみることもできる。
各施策の最前線で情熱を注がれている方が大勢いることは事実だ。
だが、そもそもの経緯の理解なきまま官民それぞれにキャンペーンが打たれた結果、かえって分断や反発を生んだ面もあったのではないだろうか。
「持続可能な開発」という考え方や「SDGs」が、それがどのような経緯で生まれ、目標として結実したかという歴史的経緯がほとんど紹介されないまま、国連が太鼓判を押した”舶来品” としてトップダウンで推進された不自然さにある。
今後かなりの確度で予想されるのは、日本ではSDGsが、このまま一時のバズワードとして忘れられていくのではないかということだ。
猫も杓子もSDGsが叫ばれたわりには、なぜ推進され、どのような成果が見られたのかもしっかりと検証されないまま、たんに忘却されていく。
そのような未来が、すぐそこにある。
ポストSDGsにただよう暗雲
わが国だけではない。
周知のとおり、SDGsの採択された2015年以降の世界は、短い間に大きく様変わりをした。
パンデミックがあり、戦争も始まった。
疫病には終息宣言が出されたが、戦火はなおも人々をさいなんでいる。
分断は深まり、2010年代に一縷の光の見えていた「連帯」の夢は、急速に色褪せつつある。
もちろん国連の施策に動きがないわけではない。
2019年には、国連はSDGsに紛争問題などを加えた「我々の共通の課題」(Our Common Agenda)を発表。
さらに2020年のパンデミックの際には緊急宣言、2022年のロシア・ウクライナ戦争に際しても、SDGsを踏まえた緊急声明を発表している。
そして今年2024年には、グテーレス事務総長のイニシアティブで、「未来のためのサミット」(Summit for the Future)が開催され、次期開発目標について話し合われる見込みだ。
このサミットについてアフリカ日本協議会は、次のように伝えている。
2024年、すでにSDGsは「後半戦」に突入している。にもかかわらず国連が2023年に発表した報告書では、ターゲットのうち「順調に推移している」と言えるのは15%のみだという。
もはや腰を据えて地球規模の問題解決に取り組む状況や機運ではない。世界が2015年とは異なる状況にあることはたしかだ。
うごめくSDGs批判
そんな中、日本ではいたるところでSDGsのカラフルなロゴマークが踊り、キャンペーンが展開されている。
その中で多くの人は、それがなんらかのキャンペーンであるとは認識しつつ、それらが深く具体的な思想に基づいているというより、政策や事業のPR的に扱われていることにも感づいている。
この様相は他国での受容のされ方とも違う、いわば日本的SDGsとでもいうべきものだ。
もちろん認知度はこの5年ほどの間にずいぶんと高まってはいる。2020年頃に「SDGs 批判」とGoogle検索をかけても、それらしい内容はほとんどヒットしなかったことと記憶する(英語圏ではすでに批判的な論調は存在した)。
だが現在では、SDGsを掲げる活動に対して、さまざまなタイプの疑念や批判も挙がるようになり、SDGsへの注目度もいささか減速気味となっている。
そうしたものも含め、私はこの8年の間に刊行されたSDGsに関する書籍や主なウェブサイトのほとんどに目を通してきた。
そのなかでもたとえば、SDGsに批判的な論調の例をいくつか列挙しておこう。
なかでも2020年に刊行された経済思想史研究者・斎藤幸平氏の「SDGsは大衆のアヘンである」との主張が、さまざまな反応をもって迎えられたことは記憶に新しい。
むしろ疑念を抱く論調が、推進側の語りよりも、多くの人の視界に入るところにまでせり出してきているというのが2024年の現状だろう。
推進側も批判側も、SDGsを記号化していないだろうか
だが、こうした批判のなかで語られる「SDGs」とは、その多くが「日本におけるSDGsの受容のあり方」に関するものであって、SDGsの生まれた経緯や趣旨を踏まえているとは言いがたいものもある。
「またSDGsか。単なる利権じゃないか」
「SDGsにつながる素晴らしい取り組みだ」
推進する側においても批判する側においても、そこで語られるSDGsは、自分の主張に沿うように、どこか単純化された記号のようなものになっていないだろうか。
これからこの記事で述べるのは、そうしたSDGsを単に記号的に批判・推進しようとするものではない。
SDGs自体について議論をしたいのであれば、SDGsにからみついたイメージを削ぎ落とし、対象そのものを注視する必要があるということだ。
そのためにまず、「持続可能な開発」(SD)という言説を、SDGsから引き剥がして考える。
その上で、そうやっていかにSDGsが国際社会での議論の俎上にのぼるに至ったのか、SDGsの成立過程をみることで、SDGsそのものを日本におけるSDGsのイメージや受容のあり方から分離させて考えてみる。
こうすることによってはじめて、SDGsを世界史の文脈のなかに位置付けなおし、改めて、なぜ「持続可能な開発」(SD)なのか、なぜ「SDGs」なのかということを生産的に議論することができるのではないか。
これが筆者の提案だ。
その作業を通して明らかになるのは、SDGsがいかに「つかみどころのない」ものであるかということであるとともに、そのつかみどころの背景に、国際社会の複雑で熾烈な対立構図があることだ。
SDGsは欧米人(白人)の押し付けでもなければ、「誰も取り残してはいけない」と叫び、日本国内の問題を解決すればそれでめぐりめぐって「三方良し」といった単純なものでもない。
国際社会がみんなで地球がこの先も続くように、みんなで力を合わせて決めたという「予定調和」的パートナーシップの証というわけでもない。
SDGsはどのように語られてきたか?
手元にSDGsについて書かれたいくつかの書籍がある。
まずはそれらのページをめくりながら、どのようにSDGsが語られているのか、特徴的な「語り」に着目してみることにしよう。
まず、SDGs本格的推進期(2017〜20年)に、特に手にとられた中高生向けのハンドブック『未来を変える目標—SDGsアイデアブック』を読んでみよう。
みずからも慶應義塾大学SFC研究所xSDG・ラボ代表、日本政府SDGs推進本部円卓会議構成員を務める蟹江憲史は、冒頭で次のように述べている。
SDGsは、すべての国が参加して合意した目標で、変化の激しい世の中で「みなさんが何をして、どんな社会を目指せば良いか、その「道しるべ」となるのがSDGsです」、とある。
その前にある「変化の激しい社会に対応し…」というのは、ビジネス系の媒体でよく使われるフレーズだ。この後にはSDGsという目標に合わせて自己変革をすることそれ自体がビジネスチャンスであり、そのために各国に「より良い成績を収めようという競争心」が芽生える(蟹江、上掲書、9頁)。それこそがSDGsの目指すところという説明が続く。
この影響だろうか、「道しるべ」というワードは、その後もいたるところで使われるようになった。
肩ひじ張らず、がんばらなくてもできるのだと強調するのも、SDGsの語りの特徴だ。
この「がんばらなくてもよい」という語りは、SDGsは国外の問題だけでなく、国内の問題を解決することに重点を置くものだとする主張とも関係していると思われる。
「海外にいる貧しい人を助けよう」だけではなく、「国内にいる困っている人を助けよう」でもOKなのだという語りだ。
後述するように、本来SDGsの目標・ターゲットの多くには、途上国側の意向が反映されている。
にもかかわらず、SDGsの説明において、世界の「貧困」「飢餓」「感染症」「国外の環境問題」といった問題は、かつて(たとえば飢餓が注目された1980年代やアマゾンの伐採が注目された1990年代、そして『100人村』が注目された2000年代)のようには大きくとりあげられることはない。
SDGsに関する政府や企業の取り組みや、関連する一般書においても、「まちづくり」「地方創生」「産業振興」「時代に合った新しい教育」といった地元に関わるキーワードが強調され、その解決に資するテクノロジーや事業モデルが踊っている。
学校教育における「SDGs」のとりあげかたにも、同様の特徴がある。少なくともかつてのように「途上国の問題を解決しよう」という面は、ローカルな問題よりも、後景にしりぞけられるようになった。
一方、開発経済の学会やシンクタンクなどの専門誌・業界史においては、かなり早い時期からSDGsが導入された経緯について詳細な特集が組まれている。
そこでは途上国でのインフラ需要が高まっていること、それに途上国における人間開発(教育やジェンダー、健康の指標を改善すること)に関する話題が主に紹介され、後述するように、新しい開発目標(SDGs)がなぜ必要とされているのか、何が課題となっているのか、正確に文脈が把握されている。
最初は関心の薄かったSDGs
しかし、そういった事情は一般向けにひもとかれる機会はほとんどなかった。
そうこうしているうちに2015年のSDGs採択に至るのだが、新聞やテレビ等のマスメディアの報道は薄かった。
後でみるようにSDGsの直接の起点である「リオ+20」については、その実りのなさが報道されたものの、その後3年間の経緯にかんするフォローはなく、2015年のSDGs採択直前と直後のごく限られた時期に、再び報道が再開される。だが採択にいたる経緯についてはまったく報道はなく、採択されたらされたで、その後しばらくの間は1年以上ほとんど報道のない沈黙の期間が続いたのだった。
報道がようやく再開されるようになるのは、2017年に入ってからのこと。
政府や企業・大学が対策の拠点を整備し、官民それぞれにSDGsを銘打つ大々的なキャンペーンが始まる(年表を参照)。
「SDGs」なるものに関するマスメディアの報道は、この頃から突如として加熱していった。
SDGs-1グランプリ(吉本興業)
国連本部でのピコ太郎による「SDGs版PPAP」
” とにかく国連で決まった目標なんです。みんなで決めたすべての国が集まったんです。だからSDGsは、大切なんです。いま大変な様々な問題が国内にも国外にもあってとっても大切。ビジネスにとっても乗り遅れないうちに取り入れなければおいていかれる。なんでみんなで取り組む必要があるんです。無理せず身近なところからやりましょう。国外だけでなく国内も ”
こういった語りが、SDGs関係のウェブサイトや書籍、テレビ番組に踊るようになっていった。そして2015年から約8年の間に、さまざまなトピックがSDGsに関連づけられて語られた。なかには大きな物議を醸したものもある。
やはりここで、SDGsとは何なのか、いったん整理してみる必要があるのではないか?
だが、これら出来事のひとつひとつは、果たして実際にどこまで「SDGs」と関係があったのだろうか?
その効果や関連について、ちゃんと検証されることは少ない。話題はその都度忘れ去られ、論争的で面倒なイメージだけが降り積もっていく。
相手になんらかの主張を受け入れてもらうために使われるキメの言葉を「マジック・ワード」と言う。SDGsはまさに、なんとなくエコで、エシカルで、社会のため、世界のためになる善い活動を指す、きわめてふんわりとしたイメージをもつ言葉として広まった。もはやSDGsは、推進側・批判側のいかなる主張も包み込む、圧倒的マジック・ワードとなっている。
筆者はこれを問題だと考えている。
連載の流れ
前置きが長くなった。
SDGsの「正体」を、次のような4つの問いに答える形で、順にたどっていこう。
そもそもSDGsのいう「持続可能な開発」って一体何なのだろう?・・・【1】
また、しばしばSDGsの「前身」とされるMDGsと、SDGsは、一体どんな関係性にあるのだろうあ?・・・【2】
さらに、SDGsは、いったいどのようにして決められたのだろうか?・・・【3】
そして最後に、何が書いてあるのか一番わかりにくいとされる目標17の「パートナーシップで目標を達成しよう」って、一体何なのか?・・・【4】
これらを検討することで、SDGsについて日本で語られていることが、どれだけSDGs本来の趣旨や策定過程、そして世界史の潮流と合致したものとなっているのかを、明らかにしていくことにしたい。
参考資料
なお、特に参考とした資料は、フェリックス・ドッズの "Negotiating the Sustainable Development Goals" だ。
また、SDGsの成立過程の資料は、2024年3月現在、いまもインターネット上で公開されている。より細かに確認されたい方は、こちらを参照されたい。
本文中に示したもののほか、特に参照した文献は、こちらに記しておく。
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