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SDGsとは一体、何だったのか?【世界史でよむSDGs】はじめに


いまや日本のSDGsは、空虚な「記号」である



 2015年に採択されたSDGs(国連持続可能な開発目標)は、スタートしてから早9年目を迎えようとしている。

 SDGsの実施年限は2030年だから、まだあと6年ちょっと、残されていることになる。
 にもかかわらず「SDGsとは一体、何だったのか?」などと問うのは、ちょっと時期尚早ではないかと思われるかもしれない。

 最初に筆者の立場を明確にしておけば、日本におけるSDGsはすくなくとも本来の趣旨に沿った受容には失敗していると言わざるをえない。
 もちろん新たな価値観が、新しい世代を中心に社会に根付くきっかけとなった点は、21世紀の「生活改善運動」ともいうべき一定の効果があったとみることもできる。
 各施策の最前線で情熱を注がれている方が大勢いることは事実だ。
 だが、そもそもの経緯の理解なきまま官民それぞれにキャンペーンが打たれた結果、かえって分断や反発を生んだ面もあったのではないだろうか。


 「持続可能な開発」という考え方や「SDGs」が、それがどのような経緯で生まれ、目標として結実したかという歴史的経緯がほとんど紹介されないまま、国連が太鼓判を押した”舶来品” としてトップダウンで推進された不自然さにある。


 今後かなりの確度で予想されるのは、日本ではSDGsが、このまま一時のバズワードとして忘れられていくのではないかということだ。
 猫も杓子もSDGsが叫ばれたわりには、なぜ推進され、どのような成果が見られたのかもしっかりと検証されないまま、たんに忘却されていく
 そのような未来が、すぐそこにある。


ポストSDGsにただよう暗雲


 わが国だけではない。
 周知のとおり、SDGsの採択された2015年以降の世界は、短い間に大きく様変わりをした。
 パンデミックがあり、戦争も始まった。
 疫病には終息宣言が出されたが、戦火はなおも人々をさいなんでいる。
 分断は深まり、2010年代に一縷の光の見えていた「連帯」の夢は、急速に色褪せつつある。

 もちろん国連の施策に動きがないわけではない。
 2019年には、国連はSDGsに紛争問題などを加えた「我々の共通の課題」(Our Common Agenda)を発表。
 さらに2020年のパンデミックの際には緊急宣言、2022年のロシア・ウクライナ戦争に際しても、SDGsを踏まえた緊急声明を発表している。

 そして今年2024年には、グテーレス事務総長のイニシアティブで、「未来のためのサミット」(Summit for the Future)が開催され、次期開発目標について話し合われる見込みだ。

 このサミットについてアフリカ日本協議会は、次のように伝えている。

 この流れは、2030年以降の「ポストSDGs」に向けたものであるが、この流れが主流化し、その一方でSDGsが「死に体」となると、困った問題が生じる。地政学的対立によって世界の分断が加速し、地球規模課題への包括的な取り組みに向けた国際連帯が弱体化しているところで、「新しい目標」を作ろうとしても、「持続可能な世界」の達成に向けて本来必要な資金・資源・労力に対して格段に低い目標にしかならない可能性が高い。そのような状況で、世界の焦点が「次の目標」作りに流れ、SDGsが後景化すれば、世界は長期間にわたって、本来必要な高いレベルの目標が事実上存在しないまま推移する、ということになりかねない。

SDGs中間年に採択される「政治宣言」最終草案の「沈黙期間」破られる、https://ajf.gr.jp/covid19_29jul2023/


 2024年、すでにSDGsは「後半戦」に突入している。にもかかわらず国連が2023年に発表した報告書では、ターゲットのうち「順調に推移している」と言えるのは15%のみだという。
 もはや腰を据えて地球規模の問題解決に取り組む状況や機運ではない。世界が2015年とは異なる状況にあることはたしかだ。


うごめくSDGs批判


 そんな中、日本ではいたるところでSDGsのカラフルなロゴマークが踊り、キャンペーンが展開されている。
 その中で多くの人は、それがなんらかのキャンペーンであるとは認識しつつ、それらが深く具体的な思想に基づいているというより、政策や事業のPR的に扱われていることにも感づいている。
 この様相は他国での受容のされ方とも違う、いわば日本的SDGsとでもいうべきものだ。


 もちろん認知度はこの5年ほどの間にずいぶんと高まってはいる。2020年頃に「SDGs 批判」とGoogle検索をかけても、それらしい内容はほとんどヒットしなかったことと記憶する(英語圏ではすでに批判的な論調は存在した)。

 だが現在では、SDGsを掲げる活動に対して、さまざまなタイプの疑念や批判も挙がるようになり、SDGsへの注目度もいささか減速気味となっている。


Googleトレンドによれば「SDGs」の人気度は、2021年をピークに減少傾向にあり、「SDGs疲れ」と言葉も聞かれるようになった。
タイトルにSDGsを含む書籍の刊行点数(国立国会図書館サーチから筆者作図)
2019年に100点を突破し、2021・22年には200点を超えたが、2023年には初めて減速した。


 そうしたものも含め、私はこの8年の間に刊行されたSDGsに関する書籍や主なウェブサイトのほとんどに目を通してきた。

 そのなかでもたとえば、SDGsに批判的な論調の例をいくつか列挙しておこう。

・SDGsは外国(欧米人)から押し付けられた取り組みであり、日本の伝統文化を壊すものだ。

・SDGsは、一部のグローバル企業や富裕層の利益のためにつくられたものではないか。

・SDGsは問題を根本的な解決から遠ざけ、ごまかしはぐらかせるような内容になっている。

・SDGsには、普通の人々にはわからないような、何か裏の目的があるのではないか。

 なかでも2020年に刊行された経済思想史研究者・斎藤幸平氏の「SDGsは大衆のアヘンである」との主張が、さまざまな反応をもって迎えられたことは記憶に新しい。


 むしろ疑念を抱く論調が、推進側の語りよりも、多くの人の視界に入るところにまでせり出してきているというのが2024年の現状だろう。


推進側も批判側も、SDGsを記号化していないだろうか


 だが、こうした批判のなかで語られる「SDGs」とは、その多くが「日本におけるSDGsの受容のあり方」に関するものであって、SDGsの生まれた経緯や趣旨を踏まえているとは言いがたいものもある。

 「またSDGsか。単なる利権じゃないか」
 「SDGsにつながる素晴らしい取り組みだ」

 推進する側においても批判する側においても、そこで語られるSDGsは、自分の主張に沿うように、どこか単純化された記号のようなものになっていないだろうか。

 これからこの記事で述べるのは、そうしたSDGsを単に記号的に批判・推進しようとするものではない。 
 SDGs自体について議論をしたいのであれば、SDGsにからみついたイメージを削ぎ落とし、対象そのものを注視する必要があるということだ。

 そのためにまず、「持続可能な開発」(SD)という言説を、SDGsから引き剥がして考える
 その上で、そうやっていかにSDGsが国際社会での議論の俎上そじょうにのぼるに至ったのか、SDGsの成立過程をみることで、SDGsそのものを日本におけるSDGsのイメージや受容のあり方から分離させて考えてみる

 こうすることによってはじめて、SDGsを世界史の文脈のなかに位置付けなおし、改めて、なぜ「持続可能な開発」(SD)なのか、なぜ「SDGs」なのかということを生産的に議論することができるのではないか。

 これが筆者の提案だ。

 その作業を通して明らかになるのは、SDGsがいかに「つかみどころのない」ものであるかということであるとともに、そのつかみどころの背景に、国際社会の複雑で熾烈な対立構図があることだ。

 SDGsは欧米人(白人)の押し付けでもなければ、「誰も取り残してはいけない」と叫び、日本国内の問題を解決すればそれでめぐりめぐって「三方良し」といった単純なものでもない。
 国際社会がみんなで地球がこの先も続くように、みんなで力を合わせて決めたという「予定調和」的パートナーシップの証というわけでもない。



SDGsはどのように語られてきたか?


 手元にSDGsについて書かれたいくつかの書籍がある。

 まずはそれらのページをめくりながら、どのようにSDGsが語られているのか、特徴的な「語り」に着目してみることにしよう。

 まず、SDGs本格的推進期(2017〜20年)に、特に手にとられた中高生向けのハンドブック『未来を変える目標—SDGsアイデアブック』を読んでみよう。
 みずからも慶應義塾大学SFC研究所xSDG・ラボ代表、日本政府SDGs推進本部円卓会議構成員を務める蟹江憲史は、冒頭で次のように述べている。

蟹江憲史「2030年の経済・社会・環境を考えよう」、Think the Earth編『未来を変える目標—SDGsアイデアブック』2018年、紀伊國屋書店、8頁。


 SDGsは、すべての国が参加して合意した目標で、変化の激しい世の中で「みなさんが何をして、どんな社会を目指せば良いか、その「道しるべ」となるのがSDGsです」、とある。
 その前にある「変化の激しい社会に対応し…」というのは、ビジネス系の媒体でよく使われるフレーズだ。この後にはSDGsという目標に合わせて自己変革をすることそれ自体がビジネスチャンスであり、そのために各国に「より良い成績を収めようという競争心」が芽生える(蟹江、上掲書、9頁)。それこそがSDGsの目指すところという説明が続く。


 この影響だろうか、「道しるべ」というワードは、その後もいたるところで使われるようになった。

池上彰も「SDGsは未来への道しるべ」とし、イノベーションの必要性を説いています。


 肩ひじ張らず、がんばらなくてもできるのだと強調するのも、SDGsの語りの特徴だ。

バウンド『60分でわかる! SDGs超入門』バウンド、2019年、36-37頁。


 この「がんばらなくてもよい」という語りは、SDGsは国外の問題だけでなく、国内の問題を解決することに重点を置くものだとする主張とも関係していると思われる。

 「海外にいる貧しい人を助けよう」だけではなく、「国内にいる困っている人を助けよう」でもOKなのだという語りだ。

 後述するように、本来SDGsの目標・ターゲットの多くには、途上国側の意向が反映されている。

 にもかかわらず、SDGsの説明において、世界の「貧困」「飢餓」「感染症」「国外の環境問題」といった問題は、かつて(たとえば飢餓が注目された1980年代やアマゾンの伐採が注目された1990年代、そして『100人村』が注目された2000年代)のようには大きくとりあげられることはない。


 SDGsに関する政府や企業の取り組みや、関連する一般書においても、「まちづくり」「地方創生」「産業振興」「時代に合った新しい教育」といった地元に関わるキーワードが強調され、その解決に資するテクノロジーや事業モデルが踊っている。
 学校教育における「SDGs」のとりあげかたにも、同様の特徴がある。少なくともかつてのように「途上国の問題を解決しよう」という面は、ローカルな問題よりも、後景にしりぞけられるようになった。

コロナ禍の中、2020年8月に中公新書、11月に岩波新書から相次いでSDGsをタイトルに関する新書が発売された。現在(2024年3月)にいたるまでSDGsそのものを扱った新書はこの2冊のみである。 


 一方、開発経済の学会やシンクタンクなどの専門誌・業界史においては、かなり早い時期からSDGsが導入された経緯について詳細な特集が組まれている。
 そこでは途上国でのインフラ需要が高まっていること、それに途上国における人間開発(教育やジェンダー、健康の指標を改善すること)に関する話題が主に紹介され、後述するように、新しい開発目標(SDGs)がなぜ必要とされているのか、何が課題となっているのか、正確に文脈が把握されている。



最初は関心の薄かったSDGs


 しかし、そういった事情は一般向けにひもとかれる機会はほとんどなかった。
 そうこうしているうちに2015年のSDGs採択に至るのだが、新聞やテレビ等のマスメディアの報道は薄かった。
 後でみるようにSDGsの直接の起点である「リオ+20」については、その実りのなさが報道されたものの、その後3年間の経緯にかんするフォローはなく、2015年のSDGs採択直前と直後のごく限られた時期に、再び報道が再開される。だが採択にいたる経緯についてはまったく報道はなく、採択されたらされたで、その後しばらくの間は1年以上ほとんど報道のない沈黙の期間が続いたのだった。 

 報道がようやく再開されるようになるのは、2017年に入ってからのこと。
 政府や企業・大学が対策の拠点を整備し、官民それぞれにSDGsを銘打つ大々的なキャンペーンが始まる(年表を参照)。
 「SDGs」なるものに関するマスメディアの報道は、この頃から突如として加熱していった。



SDGs-1グランプリ(吉本興業)

国連本部でのピコ太郎による「SDGs版PPAP」


” とにかく国連で決まった目標なんです。みんなで決めたすべての国が集まったんです。だからSDGsは、大切なんです。いま大変な様々な問題が国内にも国外にもあってとっても大切。ビジネスにとっても乗り遅れないうちに取り入れなければおいていかれる。なんでみんなで取り組む必要があるんです。無理せず身近なところからやりましょう。国外だけでなく国内も ”


 こういった語りが、SDGs関係のウェブサイトや書籍、テレビ番組に踊るようになっていった。そして2015年から約8年の間に、さまざまなトピックがSDGsに関連づけられて語られた。なかには大きな物議を醸したものもある。



やはりここで、SDGsとは何なのか、いったん整理してみる必要があるのではないか?


 だが、これら出来事のひとつひとつは、果たして実際にどこまで「SDGs」と関係があったのだろうか?
 その効果や関連について、ちゃんと検証されることは少ない。話題はその都度忘れ去られ、論争的で面倒なイメージだけが降り積もっていく。

 相手になんらかの主張を受け入れてもらうために使われるキメの言葉を「マジック・ワード」と言う。SDGsはまさに、なんとなくエコで、エシカルで、社会のため、世界のためになる善い活動を指す、きわめてふんわりとしたイメージをもつ言葉として広まった。もはやSDGsは、推進側・批判側のいかなる主張も包み込む、圧倒的マジック・ワードとなっている。

 筆者はこれを問題だと考えている。



連載の流れ



 前置きが長くなった。
 SDGsの「正体」を、次のような4つの問いに答える形で、順にたどっていこう。

 そもそもSDGsのいう「持続可能な開発」って一体何なのだろう?・・・【1
 また、しばしばSDGsの「前身」とされるMDGsと、SDGsは、一体どんな関係性にあるのだろうあ?・・・【2】

 さらに、SDGs、いったいどのようにして決められたのだろうか?・・・【3】
 そして最後に、何が書いてあるのか一番わかりにくいとされる目標17の「パートナーシップで目標を達成しよう」って、一体何なのか?・・・【4】


 これらを検討することで、SDGsについて日本で語られていることが、どれだけSDGs本来の趣旨や策定過程、そして世界史の潮流と合致したものとなっているのかを、明らかにしていくことにしたい。


参考資料

 なお、特に参考とした資料は、フェリックス・ドッズの "Negotiating the Sustainable Development Goals" だ。

Felix Dodds 2016 "Negotiating the Sustainable Development Goals" 


 また、SDGsの成立過程の資料は、2024年3月現在、いまもインターネット上で公開されている。より細かに確認されたい方は、こちらを参照されたい。

 本文中に示したもののほか、特に参照した文献は、こちらに記しておく。

  • Chakrabarty,Dipesh. 2021. The Climate of History in a Planetary Age. University of Chicago Press.

  • Escobar, Arturo. 2011. Encountering Development: The Making und Unmaking of the Third World(Revised edition), Princeton University Press.

  • Hopkins, Anthony G., 2002, Globalization in World History, Pimlico

  • Malm, Andreas and Alf Hornborg 2014 " The geology of mankind? A critique of the Anthropocene narrative", The Anthropocene Review, Vol. 1(1), pp.62–69. (= マルム,アンドレアス、アルフ・ホアンボー(西亮太・訳)「人類の地質学―人新世ナラティブ批判」、『現代思想』45(22)、142-151頁)

  • McNeill, J. R. and Engelke,Peter 2016. The Great Acceleration: An Environmental History of the Anthropocene since 1945, Belknap Press.

  • Rockström, Johan, and Will Steffen et al. 2009. "Planetary Boundaries: Exploring the Safe Operating Space for Humanity, Ecology and Society, 14(2).

  • Steffen, Will et al. 2015. "The Trajectory of the Anthropocene: The Great Acceleration", The Anthropocene Review, 2, pp.81-98.

  • The World Commission on Environment and Development. 1987. Our Common Future, Oxford University Press.

  • アーリ,ジョン(須藤廣、濱野健・訳) 2018 『オフショア化する世界―人・モノ・金が逃げ込む「闇の空間」とは何か?』明石書店

  • 秋田茂 2017 『帝国から開発援助へ―戦後アジア国際秩序と工業化』名古屋大学出版会

  • 秋田茂編 2019 『グローバル化の世界史』(MINERVA世界史叢書2)ミネルヴァ書房

  • 秋田茂・脇村孝平編 2020 『人口と健康の世界史』(MINERVA世界史叢書8)ミネルヴァ書房

  • 五十嵐元道 2014 「植民地統治における開発への思想的転換―貧困の発見と革新主義」、日本政治学会『日本政治學會年報政治學』65(2)、271-290頁

  • 五十嵐元道 2016 『支配する人道主義―植民地統治から平和構築まで』岩波書店

  • 池上甲一 2019 「SDGs時代の農業―開発客体から発展主体としての農民像へ」、『国際開発研究』28(1)、1-17頁

  • 伊藤亜聖 2020 『デジタル化する新興国―先進国を超えるか、監視社会の到来か』中央公論新社

  • 稲田十一 2000 『国際開発の地域比較』中央経済社

  • 稲田十一 2013 『国際協力のレジーム分析―制度・規範の生成とその過程』有信堂猪俣哲史 2019 『グローバル・バリューチェーン―新・南北問題へのまなざし』日本経済新聞出版

  • 岩崎正洋 2012 「なぜガバナンスについて論じるのか―政治学の立場から」、秋山和宏・岩崎正洋『国家をめぐるガバナンス論の現在』勁草書房、3-18頁

  • ウェスタッド,O.A.(佐々木雄太、小川浩之、益田実、三須拓也、三宅康之、山本健・訳)2010『グローバル冷戦史―第三世界への介入と現代世界の形成』名古屋大学出版会

  • 上田信 2006 『東ユーラシアの生態環境史』山川出版社生方史数 2017 「「緑」と「茶色」のエコロジー的近代化論―資源産業における争点と変革プロセス」、井上真編『東南アジア地域研究入門 1環境』慶應義塾大学出版会、215-236頁

  • 大橋正明 2014 「特集に寄せて:ポスト2015開発枠組みへの航路―ポストMDGsとSDGsのプロセスをマクロな視点から振り返る」、『国際開発ジャーナル』23(2)、1-10頁

  • 大平剛 2008 『国連開発援助の変容と国際政治』有信堂

  • 大村敬一・湖中真哉編 2020 『「人新世」時代の文化人類学』(放送大学教材)NHK出版外務省(外務省・仮訳) 2015 「我々の世界を変革する: 持続可能な開発のための 2030アジェンダ」、https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000101402.pdf

  • 外務省 2016 『2015年版開発協力白書―日本の国際協力』、https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/files/000137905.pdf加藤剛 2014 「「開発」概念の生成をめぐって―初源から植民地主義の時代まで」、『アジア・アフリカ地域研究』13(2)、112-147頁

  • 加藤里紗 2018 「エコロジー的近代化論の発展と多様性」、『経済科学』65(3-4)、31-44頁

  • 加藤里紗 2020 「環境・経済・福祉の統合に向けて―エコロジー的近代化からエネルギー貧困」、『経済科学』67(3)、29-39頁

  • 蟹江憲史 2020 『SDGs(持続可能な開発目標)』中央公論新社

  • 川田順造 1997 「いま、なぜ「開発と文化」なのか」、川田順造編『いま、なぜ「開発と文化」なのか』(岩波講座 開発と文化1)岩波書店、1-57頁

  • 亀山康子 2010 『新・地球環境政策』昭和堂

  • 環境と開発に関する世界委員会(大来佐武郎・監修) 1987 『地球の未来を守るために―Our common future』福武書店

  • 金基成 2019 『持続可能な発展の政治学―The Politics of Sustainable Development』三恵社

  • 木村宏恒・近藤久洋 2014 「特集:ポスト2015年開発戦略におけるガバナンス」、『国際開発研究』23(1)、1-6頁

  • 木村宏恒 2018 「開発途上国における国家体制」、国際開発学会編『国際開発学事典』丸善出版、212-213頁

  • 木山幸輔 2022 『人権の哲学―基底的価値の探究と現代世界』東京大学出版会

  • 小池治 2016 「開発援助における「パートナーシップ」とガバナンス―国際保健を事例に」、『横浜国際社会科学研究』21(3)、155-169頁

  • 国際開発学会編 2018 『国際開発学事典』丸善出版

  • 国連開発計画(UNDP) 2020 『人間開発報告書 2020 概要―新しいフロンティアへ:人間開発と人新世』、https://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human_development/hdr2020.html

  • 佐々木豊 2020 「開発援助における「近代化」と「開発」をめぐる言説の変遷―冷戦期から現代まで」、『研究論叢』95、39-60頁

  • 佐藤仁 2002 「「問題」を切り取る視点」、石弘之編『環境学の技法』東京大学出版会、42-75頁

  • 佐藤仁 2016 『野蛮から生存の開発論―越境する援助のデザイン』ミネルヴァ書房

  • 佐藤仁 2019 『反転する環境国家―「持続可能性」の罠をこえて』名古屋大学出版会

  • 佐藤仁 2021 『開発協力のつくられ方―自立と依存の生態史』東京大学出版会

  • 篠原雅武 2018 『人新世の哲学―思弁的実在論以後の「人間の条件」』講談社

  • 杉原薫 2020 『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会

  • 杉原薫・藤田幸一・田辺明生・脇村孝平編 2012 『歴史のなかの熱帯生存圏―温帯パラダイムを超えて』京都大学学術出版会

  • 関根佳恵 2023 『ほんとうのサステナビリティってなに?』農文協

  • 武内進一 2009 『現代アフリカの紛争と国家―ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』明石書店

  • 谷口洋幸 2022 『性的マイノリティと国際人権法―ヨーロッパ人権条約の判例から考える』日本加除出版

  • 谷口真人・杉原薫 2019 「ネクサスの可能性を俯瞰する」、『Humanity & Nature』76、9-13頁

  • 寺田匡宏、ダニエル・ナイルズ編著 2021 『人新世を問う―環境、人文、アジアの視点』京都大学学術出版会

  • 土佐弘之 2000 『グローバル/ジェンダー・ポリティクス―国際関係論とフェミニズム』世界思想社

  • 戸堂康之 2015 『開発経済学入門』新世社中尾世治 2020 『西アフリカ内陸の近代―国家をもたない社会と国家の歴史人類学』風響社

  • ドライゼク,ジョン・S.(丸山正次・訳) 2007 『地球の政治学—環境をめぐる諸言説』風行社

  • 中村尚司 1992 「過剰開発か永続的な発展か」、レッドクリフト,マイケル(中村尚司、古沢広祐監訳)『永続的発展(サステイナブル ディベロップメント)―環境と開発の共生』学陽書房、9-17頁

  • 信田敏宏 2010 「開発のメタファーとしての学校教育―オラン・アスリ社会における低就学と教育格差」、長津一史・加藤剛編『開発の社会史―東南アジアにおけるジェンダー・マイノリティ・境域の動態』風響社、353-388頁

  • 平野克己 2009 『アフリカ問題―開発と援助の世界史』日本評論社

  • 藤原辰史 2020 「国連用語に依存しない環境史叙述を求めて」、『西洋史学』270、59-63頁、63頁

  • ボヌイユ,クリストフ・フレソズ,ジャン=バティスト(野坂しおり・訳) 2018 『人新世とは何か ―〈地球と人類の時代〉の思想史』青土社

  • 前田幸男 2020 「構造的暴力論から「緩慢な暴力」論へ―惑星平和学に向けた時空認識の刷新に向けて」、日本平和学会編『「沖縄問題」の本質』(平和研究54)早稲田大学出版部、129-152頁

  • 松下洌 2016 「グローバルな世界における〈サウス〉のゆくえ 上」、『立命館国際研究』29(1)、45-73頁

  • 水野祥子 2016 「イギリス帝国の環境史」、『歴史評論』799号、47-58頁

  • 水野祥子 2020 『エコロジーの世紀と植民地科学者―イギリス帝国・開発・環境』名古屋大学出版会

  • 山崎公士 2019 「SDGsの光と影――「誰も置き去りにしない」?」、『神奈川大学評論』92、65-74頁

  • 山下範久 2003 『世界システム論で読む日本』講談社

  • ロレンツィーニ,サラ(三須拓也、山本健・訳) 2022 『グローバル開発史―もう一つの冷戦』名古屋大学出版会

  • 脇村孝平 2018 「『南北問題』再考-経済格差のグローバル・ヒストリー」、『経済学雑誌』118(3・4)、21-41頁

  • 渡辺昭一編 2014 『コロンボ・プラン』法政大学出版会

  • 渡辺昭一 2017 「冷戦体制下における国際開発援助体制の確立とアジア─1950~60 年代の趨勢」、『ヨーロッパ文化史研究』18、1-32頁


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