【実はすごいよ日本人!!】虫の鳴き声を「声」と認識するのは日本人とポリネシア人だけだった
虫の声を聴くと風流だなぁって思いますよね。
それって日本人特有の感覚だという事をご存知ですか?
そんな日本人の不思議な感覚についてまとめました!
早速見ていきましょう!
▷ なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?
誰しも一度は耳を傾けたことがある、虫の声。
実は、この虫の鳴き声を「声」として認識できるのは、世界中で日本人とポリネシア人だけなのです。
▷日本語が作る脳
東京医科歯科大学の角田忠信教授が、1987年1月にキューバのハバナで開かれた第一回国際学会「中枢神経系の病態生理学とその代償」に参加した時の事。
キューバではいまだ戦時体制が続いており、西側諸国からの参加者は角田教授一人でした。
開会式の前夜に歓迎会が開かれ、東欧圏から大勢の科学者が参加していました。
キューバ人の男性が力強いスペイン語で熱弁をふるう中、教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていたのです。
なるほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないといいます。
教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!
午前2時頃、ようやくパーティが終わって、キューバ人の若い男女二人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどよりももっと激しく虫の音が聞こえる。
教授が何度も虫の鳴く草むらを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るのだが、何も聞こえないようだ。不思議そうに顔を見合わせては、お疲れでしょうからゆっくりお休みください、というばかりであった。
教授は毎日、この二人と行動をともにしたが、3日目になってようやく男性は虫の音に気づくようになった。
しかし、それ以上の感心は示さなかった。女性の方は、ついに一週間しても分からないままで終わった。どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだ。
▷左脳と右脳
こうした聴覚の違いを切り口に、角田教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求し、その結果が驚くべき発見につながりました。
人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があります。
右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。
左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。
ここまでは日本人も西洋人も一緒である。
ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかりました。
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、ということが、角田教授の実験であきらかになりました。
日本人は虫の音を「虫の声」として聞いているという事になるのです。
キューバ人にとっては、会場を覆う激しい虫の音も、いつもの騒々しい雑音だと慣れてしまえば、意識にのぼらなくなってしまう。
我々でも線路沿いに長年住んでいれば、騒音に慣れて、電車が通っても意識しなくなってしまうのと同じ現象なのでしょう。
しかし、虫の音は日本人は人の声と同様に言語脳で聞いているので、雑音として聞き流すことはできないのです。
▷日本人とポリネシア人特有のもの
このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示すそうです。
さらに興味深いことは、日本人でも外国語を母国語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母国語として育つと日本人型になってしまうこと。
脳の物理的構造というハードウェアの問題ではなく、幼児期にまず母国語としてどの言語を教わったのか、というソフトウェアの問題のようです。
▷左脳か、右脳かの実験
この違いを考察する前に、こうした結果がどのような実験で得られたのか、簡単に見ていきます。
人間の耳から脳への神経系の構造は、左耳から入った音の情報は右脳に行き、右耳から入ると左脳に行く、という交叉状態になっています。
そこで、左右の耳に同時に違ったメロディーを流して、その後で、どちらのメロディーを聴きとれたかを調べると、常に左耳から聴いた方がよく認識されている事が分かります。
これで音楽は、左耳、すなわち、右脳の方が得意だと分かるのです。
同様に、違う言葉を左右から同時に聴かせると、右耳、すなわち左脳の方がよく認識します。
我々がほとんどの場合、右耳に受話器をあてるのは、このためだそう。
さらに複雑なテスト方法もあるが、これが最も基本的な実験方法です。
こういう実験で、いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べると、音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本人も西洋人も共通であるが、違いが出るのは、
母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音などは、日本人は言語と同様の左脳で聴き。
西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かりました。
▷ 虫の音に聴き入る文化
日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化があります。
現代でもコオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、飼育法を解説した書籍まで無数にありますし、「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例です。
あれ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ 鈴虫も鳴き出した
リン リン リン リン リーン リン
秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声
この伝統は古代にまで遡ります。
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分で)
また虫の「声」という表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発見と符合しているのです。
松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。
それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知られる、というのです。
人も虫もともに「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという日本人の自然観がうかがわれます。
虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、という日本人の特性は、この文化に見事に照応しているのです。
▷ 犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」
角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語脳で聞いているといいます。
これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自然観に合致しているのです。
幼稚園から小学校の4、5年ぐらいの日本の子供に、犬はなんといって鳴くかというと、ワンワンというにきまっているのです。マツムシはチンチロリンという。外国人に聞きますと、ひじょうに困るのです。なんというていいか一生懸命考えて記憶を呼び出して、ウォーウォーといったり、ワーワーと言ったり。
(『右脳と左脳』p122 対談者の園原太郎・京都大学名誉教授(心理学)の発言)
日本の子供が「ワンワン」と答えます。
親が犬を指して「ワンワン」と教えるためです。
同様に猫は「ニャーニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は「ビュウビュウ」。
まるで自然物はすべて「声」をもつかのようですよね。
このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという点が、日本語の特徴だそうです。
幼児がこれらを最初から学んでくれば、虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部として、言語脳で処理するというのも当然かもしれません。
あるいは、逆に、言語脳で処理するから、言語の一部として擬声語、擬音語が豊かに発達したのかもしれません。
いずれにしろ、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、さらに自然物にはすべて神が宿っているという日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃っているのです。
▷ 人種ではなく、母国語の違い
角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母国語として最初に覚えたかどうかという点で決まるということです。
その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがあります。
これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母国語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。
逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、日本で日本語を母国語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。
こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母国語の違いである可能性が高いといえます。
「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきでしょう。
角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていません。
▷ 違うがゆえに独創的なものが生まれる
日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意味を持つのでしょうか?
つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。
そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授との対談でこう語る(『右脳と左脳』p114)。
「違うがゆえに独創的なものが生まれる」
とは、独創的な中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけに重みがあります。
日本語の脳の違いは人類の多様性増大に貢献しているわけで、「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化をより豊かにする独創的なものと言えるのです。
こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾けるという自然に対する敬虔な姿勢は、今後「宇宙船地球号」の中ですべての生命と共生していくために貴重な示唆を与えるでしょう。
▷ 日本人と自然の豊かな関係
八百万の神という言葉があるように、日本人は古来より自然を愛で、森羅万象を尊ぶ思想が根付いてます。
虫の声を雑音ではなく自然の声として認識し、季節の移り変わりを楽しむ姿勢が、こういった脳の違いを育んていったに違いありません。
現代は都市の開発が進み、子どもたちが虫の声を聞く機会も少なくなってきていると言えます。
ゆくゆくは日本人も、虫の声を雑音としてしか認識できなくなってしまう可能性もないとは言い切れません。
我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に極め、その独創性をよりよく発揮していくことは、我々日本人の全世界に対する責務とも言えそうです。
▷まとめ
私も田舎に帰ると虫の声を聴きながら眠ります。それはとても心地の良いものです。
今後も日本人はこの文化・感覚を受け継いでいきたいですね!
おまけ
▷ ポリネシア人のルーツは縄文人?
京都大学大学院の片山教授は、「ポリネシア人のルーツであるラピタ人には、縄文人が関係している」と、考えているようです。
「ラピタ人のルーツには日本人の祖先である縄文人が関係している」
片山教授の仮説である。太いまゆ、二重まぶたで立体的な顔立ちだった縄文人はラピタ人同様、高い航海技術を持つ漁労採集民族だった。そんな彼らが古代の大航海の出発点にいたのではないか、というのです。
あまり知られていないが、縄文人も高い航海能力を持つ民族だった。伊豆大島や八丈島にも縄文時代の遺跡が残っており、縄文人が船を使って数百キロ沖の離島まで行き来していたことがわかっている。この事実はラピタ人=縄文ルーツ説を支える論拠の一つになっている。
ラピタ人はこの南十字星やオリオン座、スバルなどを頼りに東西南北を確認し、目標の島にたどりついたという。
3000年前、この星空を見上げた人々が縄文人の末裔とすれば、われわれ日本人と現代ポリネシアの人々は遠い親類のような関係ということになるという仮説が成り立つのです。
▷ ラピタ人
ラピタ人は、優れた航海技術と独自の文様土器文化を持った古代民族。約3300年前にニューギニア北東部の島から東へ航海を始め、ポリネシアの島々に次々と植民した。
基本的には漁猟採集民族だが、東南アジア原産のタロイモなど根菜類を栽培し、イヌ、ブタ、ニワトリを家畜として飼い、食料にもした。また植民した島々を往来し、盛んに交易も行っていたとみられる。
ラピタ土器は線や円などの幾何学模様や人の顔などが装飾され、窯を使わず、600〜800度の低温で野焼きで焼かれた。時代が下るにつれて土器の文様が次第に単純化。ラピタ文化の衰退とともにラピタ人も消滅した。
子孫を含めると、航海範囲は東はイースター島、北はハワイに至る広大なエリアに及び、「石器時代のバイキング」とも呼ばれる。
いかがでしたでしょうか?
まるで天空の城ラピュタを彷彿とさせますよね✨
日本人は実はとても歴史が深い国です。
もしかしたら遠い昔に忘れてしまった能力が私たちの中には秘められているのかも・・・?
信じるか信じないかはあなた次第です。
▷参考
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/12520396/
https://www.hitori-shizuka.jp/archives/15790
https://トレンド旬情報.biz/3134.html
https://www.t-cinepara.com/【天空の城ラピュタ】その後を描いた幻のエンデ/
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