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首里城は焼失によって、その世界遺産としての価値を失ったのか。

首里城焼失の映像を目にして、私は今、深い悲しみの中にいる。私にとって沖縄はアジアの歴史や文化を学ぶ上で極めて重要な地域であるのみならず、その風土や風習は、常に特別な輝きを放ち、魅了されてきた場所なのだ。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、2000年に世界遺産に登録された。世界遺産に登録するためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value=0UV) が必要であることは、これまでも幾度となく触れてきたが、今回は、少し角度を変えると見えてくる、琉球王国の世界遺産の価値について考察してみたい。

琉球王国は、1429年に、北山、中山、南山とよばれていた3つ国が統一されて誕生した。首里城は、琉球王国の居城として15世紀から廃藩置県まで約500年にわたり琉球王国を統治し、沖縄の政治経済・文化の中心地であった。同時に、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。
首里城は沖縄戦を含め4度焼失。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後、復元事業が推進され現在に至っている。復元された首里城は、18世紀以降のものをモデルとしている。

「焼失した首里城の建築物(地上に見える部分)は世界遺産の構成資産ではない。」

今回、「世界遺産焼失」の報道を受けて、「世界遺産の価値が失われたのか」という質問を複数の方からいただいた。パリのノートルダム大聖堂の尖塔の焼失の際も同じ質問をいただいたが、実は、この2つの建物の焼失は、登録されている構成資産が何かという点で異なっている。


ノートルダム大聖堂は、焼失した尖塔を含め大聖堂全体が世界遺産であるのに対して、首里城は、「首里城跡」が構成資産の価値として認められている。どういうことか。本殿の下の「遺構」、すなわち、石積みの部分に世界遺産の価値が認められているのである。従って、地上の建物の焼失をもって世界遺産としての価値を失ったことにはならない。
(仮に遺構が損傷していたとしても、それをもって世界遺産の価値を失うことはなく、ノートルダム大聖堂についても尖塔の焼失で価値を失うことはないと考える。)


世界遺産の価値を失わないと考えるもう1つの理由は、世界遺産の登録名称にあるとおり、この構成資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」であること、すなわち、この世界遺産は、首里城跡を含め合計9箇所の構成資産を琉球王国とその人々の歴史という1つのストーリーで結び、御嶽(うたき=聖地、拝所)のスピリチュアルな領域として、その全体の価値が認められて登録されたからである(と以前の私なら説明戦略を立てる準備を開始していたかもしれない)。

しかし、私の心が痛んでやまない理由は、首里城が世界遺産であるか否かには全く関係ない。関係者の方々の叡智と努力の結晶で、長い年月を費やし本年3月にすべての復元整備工事が完了した直後に、沖縄の方々の心の拠りどころであり、かつ、私を含む世界中の多くの人々に慕われている琉球王国の象徴の1つを焼失したことである。

ご存知の方も多いと思うが、琉球王朝の栄華は一路順風ではなかった。それは、琉球王国が270年もの長きに渡って中国と日本の支配を受けたことにある。その象徴として、正殿の両側にある北殿と南殿は、それぞれ中国と日本の様式に分けられ、全体が赤に染められた中国様式の北殿は中国使節を受け入れる場所として、ほぼ着色がない(侘び寂びのように私には感じる)日本様式の南殿は薩摩藩の使節を迎える場所としてつくられている。


すなわち、列強勢力に挟まれた国が、国家の存亡をかけて、もてる外交力を最大限駆使しなければならない状況にあった訳である。しかし、それは同時に、近隣国と良好な関係を構築することで、貿易や人的交流が活発化し、独自の文化を育み、平和と繁栄を築く原動力となったと考えることもできる。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

これはユネスコ憲章の序文である。今回の首里城の焼失は本当に無念な出来事であったが、この機会に、是非、沖縄を訪れ、琉球王国の歴史に触れ、御嶽にて平和の砦となる新しい首里城をたてるために、自分が何ができるか考え行動していきたい。

高橋政司
ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント
1989年 外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局にて経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。2009年、領事局にて定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、UNESCO業務を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」など様々な遺産の登録に携わる。

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