見出し画像

人気シリーズ第三弾!! 今回は「互酬性バトル」に挑戦しました。

前回、前々回と互酬性について議論してきました。今回は、”互酬性バトル”ということで、具体的な互酬の事例を出し合い、参加者も巻き込みながら互酬性のあり方について討論しました。前回に引き続き、SEKAI HOTEL代表 矢野浩一さんと、文化人類学を専門とされる大阪国際大学准教授の早川公さんを招き、ディスカッション繰り広げられました。

渡辺:みなさんこんばんは〜!文化人類学から地域を考える第三弾をスタートしていきます。今回モデレーターを務めさせていただきます渡辺です。よろしくお願いします。過去2回、互酬性について話してきたのですが、今回は私たちの事例を出し合いながら討論していけたらなと思っています。では、最初に早川さんからお願いします。

スクリーンショット 2020-06-26 14.45.32

早川:先に理屈から話していきたいと思います。互酬は、お互いに与え合うこととざっくりと捉えてもらえたらと思います。互酬には3つの要素があります。

「送る義務」「あげたものを受け取る義務」「返礼する義務」

これが互酬性というものをベースとした贈与交換で、コミュニケーションの大事なところです。お金をやりとりして終わりという市場交換とは対比的なものとして、どの人類社会にもある物だと100年前に言ったのがマルセル・モースです。

互酬の例として文化人類学から話をするときに必ず出てくるのが、クラ交換という儀礼です。このクラ交換は地図にもあるように、パプアニューギニア諸島で島と島の間を交易するやりとりのことです。
首飾り(SOULAVA)が時計回り、腕輪(MWALI)が反時計回りというように、島と島を綺麗に回して歩いて、物をあげたりもらったものを次の島に渡す、という様な一連のコミュニケーションを通じて島のあいだで友好関係をつくるというものです。

スクリーンショット 2020-06-25 12.34.18

このクラ交換は互酬の特徴的な例としてとりあげられますが、世の中的には互酬は特別な行為ではなく、広く人間社会の中にみられると思いますので、この辺を皆さんと話し合っていけたらなと思います。

渡辺:ありがとうございます。これを現代ではどのような形で表現できるかを話し合っていきましょう!では矢野さんお願いします。

互酬性の事例

矢野:はい。最初に紹介する互酬性の事例として、まずこの写真をみてください。SEKAI HOTELで朝食を提供してくれている喫茶店、夜はスナックをしているパートナーショップでの一枚の写真です。

パートナーショップpg

このお母さんはSEKAI HOTELに対して、いつも応援してくださっている方です。実はこの方、店員さんではなくスナックの常連さんなんです。いつも協力的で今回もYouTubeに出てもらえないかとお願いしたら「一緒にやるよ〜!」と協力してくれました。

まれに駅からSEKAI HOTELに行く途中、道に迷った外国人に遭遇したら、SEKAI HOTELへ連れて来てくれるんですよ。今までこの方にお礼を言うことはあっても報酬は一度も払ったことはありません。市場交換なしにうちを支えていただいている良い互酬だと思っています。

ここからは持論なのですが、集団を動かす時や組織を動かす時は2種類しかないと思っています。それは何か計画しようとしたときには規則・ルール・施策で動かすとき。もう一つは風土・雰囲気・文化で動かす時、この2種類だと思っています。それ以外は集団の中においても人が人に指示命令をして動くことしかない。

社内にしてもSEKAI HOTELで関わる方に定量的ではなく、風土のような定性的なもので動いていただくための仕組みづくりやコミュニケーションを大切にしています。このお母さんがうちを助けたくなる、応援したくなるというところも非常にお互いのニーズが合致した良い事例だと思っています。

何がカッコ良くて、何がダサいか

早川:実際にこのお母さんは何に惹かれてここまで協力してくれてるんですかね?

矢野:意識的に、すごく大きいことをしているというわけではなく、気がついたからやっておいたよくらいではあると思います。僕たちは住民の方と向き合う時に必ず、この街で「こういうことをしていきたい」と伝えるようにしています。新参者はよく「この街の問題は…」とか、「若い子減ってきていますよね」とか言ってしまうのですが…。

そうではなく、”よそ者だけど先陣切ってこういうことをやりたい”と伝え、協力してもらったり、応援してもらうことが大事だと思います。その中でもこれだけ行動してくれる人も稀ではありますが、会社の枠組みがないのに繋がっているところがすごく良い互酬の事例だなと思います。

早川:風土って素敵な言葉ですが、伝える難しさはないですか?また、どのように風土を伝える工夫をしているのですか?

矢野:段階的にあると思うんですよね。もちろん信頼関係が大前提ですが、そのコミュニティにおける何が称賛される、”何がかっこいい”、”何がダサい”かというポジティブとネガティブ両方をはっきり示していく、イメージすることが大事だと思います

会社でも同じで、例えばスタッフで一人めちゃくちゃ寝坊する子がいたんですよね。別に寝坊は良くないとはいえ、珍しいことではない。でもある日その子が寝坊をしなくなったんです。僕は寝坊について罰則を設けたことは一度もありません。なぜ改善されたかというと、それを周りの人達から「本当にダサいで!」と数回言われた続けた結果、この会社の中で恥ずかしい思いをしたくないということで自己変革してきた良い例です。

なので僕は何がカッコ良くて、何がダサいかということをはっきりとクリップしていくことが風土で物事を進めていくときに重要なことかなと思っています。

早川:なるほど〜。美学みたいな感じがあるんですね。

矢野:地域コミュニティにもあると思います。こういうことする人は、地域の慣し状かっこいいみたいな。優さん、うちの会社ルール少ない方だよね?

スクリーンショット 2020-06-26 14.48.59

渡辺:そうですね。ルールというより美学の部分、数値化できるようなところはあまりないですよね。数値化というよりも納得感や心で感じていく、道場みたいなところはあると思います。それが前職は、バリバリの評価制度だったのでそこが今とは違うところかなと思います。

早川:評価制度は互酬性とは真逆な感じがしますもんね。

矢野:価値観ではないですかね。うちは社内で何がかっこいいか4つの項目に分かれていてそれが行動する上での判断軸ともなっています。この項目は数値になることはないのですが、それを繰り返しやっていくうちに地域の方にも繋がっていきました。

渡辺:今回フィジーから参加してくださっている方からコメントがきています。南太平洋の言葉で「ラウ」という言葉があります。mineとyoursを合わせた言葉です。あなたのものは私のもの、私のものはみんなのもの。

早川:フィジーぽくていいですね〜。結局みんなのものなど「公共」という言葉で語られるんですが、ラウみたいな話で、これは市場の論理でも自治体が管理するものでもなく、みんなで大事にしていくものだよねという考えはすごく大切だと思います。

では次、優さんいきましょうか!

田舎で感じた損得感情なしの関係

渡辺:私には、大好きな場所があります。それは福岡県の八女の星野村というところです。日本一星が綺麗に見えるという場所でもあります。もともと大学時代に林業が有名な場所としてお手伝いに行ったことがきっかけです。

この活動は国際ワークキャンプと言うのですが、海外の方も参加しながら私がリーダーとして地元の方々と一緒に山の中に入り、間引きをするという体験をしました。一番上の2枚の写真ですね。毎年、ワークキャンプを主催してくれている方からこのシーズンになるとお茶が入った洋館や飴などを送ってくださります。私も今年は大阪から何を送ろうかなと考えながら毎年送りあっています。

ちょうど、昨年の11月にこのワークキャンプが20周年だったこともあり、20年間のうち参加したキャンパーが星野村に集まって、お祝いをするというイベントがありました。これもみんな独自で集まり、各々に食べ物を持ち寄り、当時楽しかったことや大変だったことなどを語り合いました。

毎月星野村に行くことは難しいので、”星野村を何かしら支えれないか”ということで基金を作る動きをしています。キャンパーに毎年少しずつでも支援をすることでキャンプが続けられないかなということで動いています。これも一つの互酬性のあり方だと思います。

早川:この星野村の話は、星野村に負っているものがあるというか、貰ったものが多いみたいな感じですか?

渡辺:そうですね。私が地方を好きになったきっかけの場所でもあるので。星野村を通して、日本には素晴らしい場所がたくさんあるんだなと思うようになりました。また、そこにいる人たちが大好きになり、また会いにいきたいという思いが強いのと、星野村の自然を守りたいという思いがあります。

矢野:損得っていう物差しを外した状態で過ごしたというものが大きいのではないですかね。どうしてもコスパや損得というメガネをかけて見ると見えないものや感じれないものがあります。田舎っていうのが良かったのか、そこにいる人たちが良かったのか、たまたま優さんの心情がそういうタイミングだったのか原因はわからないけど、損得の物差しを外した状態だったことでそのように純粋に感じることができたのではないかな。

損得でやりとりする贈り物ではないだろうし、相手に何が届くかというgiveの精神がすごく感じれる写真とストーリーでした。

渡辺:そうですね〜。「お互い頑張っているよ」と伝えるためにメッセージを送り合ったり、手触り感的なものは大事かなと思います。送るという行為そのものが、やはり時間をかけて選んだり贈ったりしているわけなので、その点で物には紐付いてきますよね。

矢野:パプアニューギニアの事例にもあったように、その土地の風習として根付いていない場合、今から作りたい互酬は、みんなで一つのものを共有したり、一つのものを目指したりする体験が必要なんだと思います。

早川:先ほど矢野さんがおっしゃっていた損得感情や昔からそうなっているという話をすると、文化人類学は伝統も元からあるものだけではなく今の流れとの関係性の中で作られていくものであるというような見方をします。

僕の好きな学者(C. トーレン)は、伝統と近代を固定的に捉えているのではなくて、関係性の中でフィジアンウェイみたいなものを自分たちで作り出していくみたいな、そのフィジーらしさを新しく作っていくということを主張しています。何か新しいものを作ろうという時に一つは何かとの関係の中で、僕たちはこうだよみたいな道を示していく。僕は昨年まで福井にいたのですが、福井ならではのものを作っていくときに、例えば既存のB級グルメや既存のやり方を模索するのでなく、何が福井スタイルなのかという話を別のスタイルとの関係の中で構築していくことが必要なのではないかなと思います。

渡辺:それって対するものがあるからこそ自分たちらしさが引き立つみたいな感じですか?

早川:異文化と自文化はどうじに作られるものなんですよね。その意味で共創は重要な概念だと思っています。
市場交換と贈与交換もそうなんですが、どっちかにしなきゃいけないというものではない。状況に応じて市場交換のやり方が良いときもあれば互酬のコミュニケーションのほうが適している場合もある。複数のスタイルを用意してあげることが大切なことなんだと思います。

SEKAI HOTELにとって大事なマテリアルやイベントはあったりしましたか?

矢野:そうですね。例えば僕らがビジネスしていくための存在意義、存在価値の話になるのですが、自分の地域の大切にしたい価値や歴史や技術は認識しているが、認識の仕方が地元の人だからこそ表面的だったりする場合も多いなと思っています。

例えば、東大阪だと町工場の町、下町ロケットみたいと呼ばれることが多い。たしかにすごく素敵な町工場もあり、老舗の店もたくさんありますが、それを大切にしたいマテリアルにしてしまうと、似たものがいっぱいある。僕らが外部から行って町工場が大事にすべき一番一義的なものかという視点でみてみると、実はその町工場を支えてきた何かがあって、それが表面的に成り立っているというところに行き着きます。

布施の「粋」

コロナ自粛中に僕を中心に話し合う中で、町工場の人もそうだし、布施の商店街にいる人達もめちゃくちゃ「粋」な先輩が多いよねという結論になりました。この街のカッコ良さは粋な大人がたくさんいる。SEKAI HOTELとして、僕らもまたこの街の住人として、「粋」な大人にならないといけないし、よそ者として僕らなりに「粋」というところにブーストかけられるようなイベントや粋を表現したクリエイティブをしていきたいなと思っています。

過去を振り返り、掘り起こしていくことも大事だが、未来に繋げていくべき価値はもう一度抽象化して、研磨するみたいな作業がコミュニティを再形成する上で必要かなと思います。

早川:大阪の布施の「粋」って具体定にどのようなイメージなんですか?

矢野:”おせっかい”な方が多いというところに、ナチュラルに良さを感じていますし、おせっかいをされて嫌ではない人も多いと思います。

SEKAI HOTELを経営しているだけで、お菓子やご飯を持って来てもらえたりと、すごく良くしてもらってます。そういった少し暑苦しくもハートフルで、かっこいいなと思える内容であれば未来にもエッジをかけていきたいので僕らは「粋」というところにフォーカスしていきたいと思っています。今度、「粋」を目で見れるものに表現していこうと制作にうつっています。

早川:ソリッドな一人を想定して何か考えようとすると、いつもその硬い殻に覆われた個人と個人が何か物や贈り物をやりとりしているみたいな形をイメージしてしまうがそれは概念でしかない。やりとりをしていく中で人格が溶け合ったり繋がり、新しい自分が発見できる。

「粋」みたいな部分も、合理的でコスパを考えた個人からは出てこない発想だと思います。あえて個を引っ張ってその余裕の部分を相手に渡したりとか、それにより関係性が生まれたり、そこにコミュニケーションが生まれてきたり、互酬の中で純粋贈与に近いようなものがあり面白いなと感じましたね。

矢野:幸福のアプローチの範囲ですよね。自分までで止めるとか。では、次の互酬性の事例を話ますね。

スクリーンショット 2020-06-26 14.23.30

これは、うちのスタッフがお世話になっているカウンターのみの居酒屋さんです。実は僕はまだここの主人であるこうたろうさんとあまりしゃべれていないのですが、スタッフはめちゃくちゃお世話になっていて、良い話しか聞きません。

素敵なエピソードとして、うちの事業責任者が深夜仕事が終わり、こうたろうさんの所へ行くと、ワンコインでまかないをつくってくれたみたいで。よくよく聞いてみるとうちのスタッフの財布事情に合わせてご飯を作ってくれているという話でした。頭の中で一捻りしてくれる、一歩踏み込んだ優しさがすごく互酬だなと感じました。

普段からの関係性と、”いつもお世話になってるから今日はうちが何かするよ”というところがまかないとして生まれているのかなと思い、すごく好きな事例の一つですね。

「粋」の話にも繋がりますが、地域に兄さん姉さんみたいな人がいるところは日本っぽい互酬の関係性だなと思います。こうたろうさんとうちのスタッフはそんな関係性なのかな、とも思っています。

早川:少し話は変わるんですが、方言って素敵だなと思います。僕は茨城県の筑波に長い間いて、その商店街でフィールドワークや研究などもしてきました。この地域には「ごじゃっぺ」という言葉あります。「ごじゃっぺ」とは愛すべきバカみたいな意味ですかね。まちづくりに携わり、商店街のおじちゃん達が学生をお客さんとしてではなく自分たちの仲間だと認識してくれた時に「お前らごじゃっぺだな〜」と言ってくれて、ようやく仲間に入れたというきっかけがありました。

言ってもらえた時にやっと”学生と商店街の人”、”地域住民と学生”などのカテゴリーの関係が壊れていく瞬間。そういった地元ならではの言葉は、色んな地域の様々なところにあると思っています。地元の言葉を活動していく中で見つけていくのも大切なのかなと思いました。

矢野:言葉とか地域を連想させる何かがトリガーになる感じですよね。

コメント:日本の助け合いって、最初に頼る人がいないから進まないように感じます。頼られたあと頼りやすいけど、最初に頼る人を増やすためにはどうしたらいいでしょうか?

早川:教育の分野でそのようになっているのだと思います。肩書きの中で生きたり、自分で何とかしようと思うと「助けて」と言えない。今コロナの関係もあり、遠隔授業で日本の学生や教員が一生懸命やっています。

教育立場を崩さないままに生きようとするのは難しい。「大変なことも踏まえて許してね。」、「Zoomで授業をやるときも何か不具合があったら言ってね。」などと言うように、教師であるという前提を持ちつつも、そこにこだわらない。関係を溶かしていくみたいな…。弱みを見せることで、すんなりと運ぶことができるときがあります。なので自分が我先に弱みを見せるということは教育の中では意図的にやっていますね。

あと地域に学生を連れていくときも、地域の方が話している事柄について知ったかぶりをしないというのは自分のルールにしています。「そんなことも知らないのに教師してるのかよ〜。」などと言われながらも、それで関係が解けたりすることもあります。

矢野:助けてもらうのか甘えるのかという線引きは難しいですよね。僕はあくまで困っている側を主体に考えたとき、その人に根本解決を求めるのであれば、避けて通れないのが自己責任の範囲だと思っています。その辺が定義されずに議論されるから難しいのであって…。

特定の障害や障壁を持っていない一般的な選択肢を持つ大人であれば、自己責任の情勢なくして、人に甘えやすくなる、助けを求めやすくなるというところは支援しづらいなと思っています。

自己責任を理解している人だと、助けてもらうというよりは、その人に頼るだったり悪い言葉でいうとうまく利用するというニュアンスに変わるります。自己責任が曖昧のままだと、自分に原因があるのか、外部に原因があるのかわかりずらい。それが助けてもらうなのか甘えさせてもらうなのか。解決方法もばらけていくなと思います。

根本的に日本は「助けて」と言いづらいという風潮を押し進めるのであれば、僕は社会にでる上で最低限、自分の夢や人生、自己責任などの教育をもう少し確立した方がいいのではないかと思いますね。

渡辺:質問がたくさん来ているので読みますね。市町村や国、行政などに支援を頼るというのは、どのくらい現実的で、考えても良いとお考えですか?

矢野:各々が抱えている助けて欲しい根本的要因の解決は行政の施策では成り得ないので、また別だなと感じます。

少し話は逸れるかもしれませんが、困ったときに模範とする人生の先輩が少なすぎる問題はあると思います。人間は模範としている人がいるとそこそこのハードルは乗り越えれると思うし、昔はそういったものがあったように感じます。

しかし現代はコミュニケーションが分断されてきたり、ワークライフバランスみたいな感じで、個人は個人、個人のプライバシーには突っ込まないみたいところがあるので、その辺は互酬からも遠ざかるし頼りたいという欲求に対する、頼れる人の存在もゼロにしていっていると思いますね。

早川:官僚制の限界点は線を引くという機能にあります。ここからは助けられませんよ、ここまでは助ける、みたいな。官僚制にできることもあればできないこともある。

一方で僕らは、社会的弱者と呼ばれるような人たちを国(か自治体)が助けるか、自己責任で何とかするかなどすごく狭いところでしか考えられなくなって30年くらい進んだと思います。その部分を互酬であったり共助であったり、お互い様というものをもう一度埋め込み直すためにはどうしたらいいのかというところが問われていると感じます。

だからこそビジネスの分野でSEKAI HOTELさんの取り組みは参考になるのではないかと思いますね。

渡辺:(官僚制においては)どうしても説明責任などの、グレーな部分が漏れちゃうのかなと思いました。

早川:コンプライアンス、説明責任など、自分たちの行動で難しくしている部分もあるからこそ認めつつ、解決できる方策、具体的な実践方法を考えないといけないと思います。

矢野:地域コミュニティを作ろうなどと動かそうと思ったとき、一番最初にぶつかる現実的な課題ですよね。いつも早川さんがおっしゃっている、”無関係の方とは市場における経済価値の交換”をするし、”上下関係にある国や行政とであれば再分配”という関係性だし、”友好関係であれば互酬”というこの3つのバランス。コミュニティをつくるのか、自分が飛び込むかを考えたとき、お金を払って対価を得る無関係におこる経済的価値の交換なのか、再分配なのか、互酬なのか、というところのバランスを見ていけると良いのではないかなと思います。

でも実際は難しいところでもあるんですよね。SEKAI HOTELでも何のメリットもなしに人を集めようというのは難しい。なので「ドリンクを無料にします」などといったきっかけは作るようにしています。

きっかけは定量的なものでいいが、本質的なところを定量的なメリットにしてしまうと崩れてしまうので、常にきっかけとして使うようにしています。

早川:互酬って美しいピュアな世界でなく、生存戦略という部分はあると思います。いざというときに助け合える。まさに今まで僕らは経済が定常的に動いている時代を過ごして来たからなかなか感じづらくなっています。

例えば今回の新型コロナウイルスのように極端に制限されるときに関係性を作っておくことは、お互いがお互いを支え合うというところで、生きる際のプラットフォームになるんですよね。それは普段からメンテナンスをしていないと関係性も崩れていくので、優さんの話にもあったように、定期的に贈り物を送り合うメンテナンスみたいなところも大切だと思います。

お金をもっていれば何とかなる、という極振りしてしまっているところから、また色んなボリュームを調整して、ミキサーの音源みたいにちょうどいい値を作っていくことが今求められていることなんだろうなと感じます。

渡辺:なんか人間臭い部分というか、そこを改めて大事にする、そこに個性がでるというか…。

早川:個性はでるんですよ。SEKAI HOTELのやり方として、今は布施で展開しているけど、それを宮崎に展開したらすぐ成功するかというとそうではない。

やはりローカライズが絶対に必要で、ローカルの文脈をよく知ってないといけないんですよね。とはいえやっていることが役に立たないというわけではない。互酬はビジネスモデルではないので、それを分かっていればそれぞれの地域的個性が発揮される互酬的ビジネスのあり方が作られていくのではないかと思います。何か一つの互酬をキーワードにして、違うようで似ているというものが国内国外での取り組みが繋がっていけたらいいのではないかなと思います。

渡辺:ありがとうございます。ではお時間がきたのでこの辺で終わりたいと思います。本日もたくさんのコメント、ありがとうございました。このあと矢野さんから告知がありますので少々お付き合いください!

拍手

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?