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モーツァルトに失恋した私がウィーンに行ってみた

私は4歳の頃にピアノを習い始めて以来、ずっと「ちょっと上手な子」でした。
理由は集中力がピカイチだったから。
できないところをできるようになるまで狂ったように弾き続けるので、小学校低学年にして3〜4時間勝手に練習し続ける子供でした。

それだけ練習すれば多少は上手くもなるもので、先生に勧められ毎年コンクールへ出場するも落選。コンクールは私のような「ちょっと」どころではない「ものすごく」上手な子が、私よりもさらに沢山練習して賞を勝ち取る場所でした。

私は「好きだから上手く弾けるようになりたい」というシンプルな理由でピアノを弾いていましたが、
周囲からの期待も感じていたので、コンクールで自分の演奏が評価されないことは、毎度かなりキツかった記憶があります。

そんな気持ちの中で挑んだ、小学生最後のコンクール。
課題曲を決める際にモーツァルトの「ピアノソナタ第16番ハ長調」に出会いました。

初めてメロディーを聴いた瞬間から、その曲だけがキラキラに輝いて聞こえて、一目惚れならぬ一耳惚れのような状態。
なんだこの綺麗な世界は?お花畑?天国?どうしよう大好き!って感じ。
何度も何度も聞き返し、自分が弾いてる姿を想像してはうっとりしました。

文字通り朝から晩までピアノの前に座って「ここはどういう感情で弾くべきかな」「どんなタッチが合うだろう」と模索したり、他のモーツァルトの曲を聴きあさりまくったり。「どんな人だったんだろう」「どんな生活をしていたのかな」などと200年以上前の人物に思いを寄せ、文献を読んではまた練習に立ちかえるという日々でした。

コンクール当日、練習してきたことを全て注ぐことができた自分史上最高の演奏でしたが、結果は落選。
同時に「ここまで全力でやってダメだったから、ピアノの道を志すのはやめよう」とスッキリした気持ちになりました。
当時12歳の私がそう思えたのは、初めて自分でした「諦める」という大きい決断の裏に、「最大限に努力したぞ!!!」と自分を認められた背景があったからだと思います。

そして27歳の今、そこまで夢中になれたモーツァルトの、聖地が数多くのこるウィーンの街に降り立つことができ胸がいっぱいです。

〈フィガロの結婚〉を作曲したアパートや、かつてマリアテレジアの前で演奏したシェーンブルン宮殿・鏡の間、公園に立つモーツァルト像、名前を残したカフェモーツァルト…
街全体が音楽を愛していること・モーツァルトを誇りに思っていることが伝わってきて幸せな気持ちでした。

しかも高級ピアノメーカーのベーゼンドルファーで、サロンの方にお願いして弾かせてもらうことまで出来てこれ以上ない幸せ。

まさか12歳の私は、27歳になってモーツァルトの聖地巡礼しているなんて想像していなかったな。
人生なにがあるか、なにができるかわからない!

もうすぐ旅も終わりですが、残りも楽しみたいと思います。

おしまい

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