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介護の終わりに(2)

noteの下書きをした。

それを読んでいるうちに、いやになった。父親にどれだけのひどい仕打ちを受けたのか、散々書き尽くしたと思っていたのに、まだあったのか、と思うと、暗澹たる気持ちになる。いつになるとこれは終わるのか。

今日、父親の遺品のPCから自分のデータを消去した。新しいものを買ったから、引き取ってもらうのだ。父の遺品は父が作った、自作PCというものだ。この正面にあるポート。これを見てUSBが使えないなど、だれが思うだろうか。とにかく、これをはじめとしてやたら使いにくいのだ。

背面にも正面同様の、ダミーのUSBポートがある。メーカーのものでもありうるので、おかしげなことではない。でも、ダミーかよ、と腹立たしさ満載だ。

父が亡くなる前に、このPCの使用説明書をもらった。亡くなった後で読んでも何が書いてあるのか、わからないのだ。日本語なのに。私のPCの知識がないのだと思って、夫に読んでもらったが、彼もわからない、と一言。

要するに、父は誰ともやり取りできる人ではなかった。彼自身の世界に死ぬまでいた。だれかとの交流で、その世界が変化することはなかった。

そこに、私を巻き込んでいた。父親の世界のルールからはみ出そうとすると、私を暴力と暴言のなかにたたきつけた。

私は、父親と一緒の生活をするために、父親の世界のルールを知った。精通したが、それは全く父親以外には通用しなかった。そして、まったくのゴミになった。

父親の自作の、このPCもいずれゴミになる。ざまあみろ、と私が言う。その言葉がうすい紙のように飛んでいく。ざまあみろ、そんなものではすまないのに。もっと、なにか、と思いながら、私もいずれゴミになるのだ。

「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。