介護の終わりに

2年前の3月に父親が死んだ。同じ年の7月に義母が亡くなった。去年の12月に飼い犬が死んでしまった。

同じ事柄を言っているのに、表現を変えている。日本語は便利だ。自分がその程度までには日本語を使いこなせているということなんだろう。

父親の死んだその時には、まったく後悔はなかった。むしろ、家まで走って帰りたいほど突き抜けた、爽快な気持ちだった。「やったー!」「ざまあみろ」というような気持だった。職場で父のその知らせを聞いた。自宅まで42キロ強の距離だ。どのくらいフルマラソンの記録が出るものなのか、試してみてもよかったかもしれない。

仕返しの手始めだった。私は父のその知らせを聞いても、仕事を切り上げたり、帰宅したいと上司に願い出たりしなかった。

この日をずっと待っていたのだから。なぜもっと早くにこの日が来なかったのか、それを疑問に思うほどだ。


「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。