介護の終わりに(8)

危篤の、今にも死にそうと母から父のことを聞いた時、私は前頭葉でしか考えてなかった。理性的に、娘であれば父親の危篤の際にこのようにものを言い、このように行動するのだ、ということをそのまま実行した。

そうしたかったのではない。もちろん違う。だけど、自分の中の名前を付けることのできないでいた(今もつけてない)何かが、「そのようにせよ」と命じていたのだ。

さて、そのなにかは大変無責任なことに、危篤の父親を目の前にして、「このように振舞いなさい」と命令することがなかった。私は、全くどうしていいのかわからないまま、父親の入院している病棟に到着し、うろうろしていると不審者と思われてしまうので(うむ、ここは一応命令があったかもしれない)、ナースステーションに父のことを聞いた。

てきぱきとした看護師さんが病室を教えてくれた。ナースステーションから離れたところだった。なーんだ、まだまだ死なないじゃない。私はそう思ったが、口にしなかった。命令なのか…。

父親の病室に入って、父親に言った。「こんばんは」。

それ以上、なんといっていいのか。私は、この後からずうっと、恐ろしいほどに自分が平らだった、父親に対して全然、感情が動かないのだ。



「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。