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風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑱サービス精神と反骨精神(6話) SEiZI/晴志

さて陸上部に入った俺は将来を約束されたような気分だった。
毎日部活の時間が待ち遠しい。


でも相変わらず格闘技は好きで
部活の前のちょっとした時間に高跳びのマットの上で
プロレスをやるのが毎日の日課だった。

プロレスは正規軍と維新軍の抗争の真っただ中。
そんな中でも俺はタイガーマスクが大好きで
バック転、バック中もお手の物だったこともあって
数々の技をマスターしていった。

部活の時間にはウォーミングアップは完全に終わっていた。

さてさて、肝心な陸上の方だが
ある日悲劇が起こった。

200メーター全力疾走した後200メーター軽く流す。
それを6本3セットみたいな練習の途中だったと思う。
(たしかインターバルっていう練習)

2セット目の途中で、膝がガクンと落ちて全く立てなくなった。
俺は両脇を先生と先輩に抱えられてそのまま病院へ。

「疲労骨折」

レントゲン写真では、両足の膝の上にきれいに一本線が入っていた。
両足疲労骨折。
考えてみりゃそりゃそうだ。
毎日、部活の後、両足で3キロ(1.5キロ)の鉛つけて5キロ走ってたんだもんね。
今思うと当然、そうなっても仕方ない。

「無茶を通り越してやり過ぎちゃう」このころからそうで、でも反省しなかったから、今の病気になるまで俺はやってしまう。

そこには親父の教育論
「根性」「努力」があった。
うらむぜ!!親父(笑)

さて、そんなこんなんで、そこで、俺の陸上人生はいったん止まる。

2カ月くらい、休んだかな?

もう一つ問題があった。
中学といえば成長期。
こんな子供の時から阿保みたいに筋力トレーニングしたせいもあるだろ?
「俺だけ身長が伸びない」
中学一年生のころ同じくらいの身長だった奴が、中二になってどんどん背が伸びる。

俺は160センチから全然伸びなくなった。
みんなどんどん170センチ代まで伸びる。

これは陸上選手には致命的だった。
みんな身長が伸びる分、比例するようにどんどん記録が伸びるのだ。
俺は、伸びない身長と比例するように身長も記録も横ばい。
記録は伸びなくなっていった。

大好きだった巨乳のMちゃんも、1年生のころは俺にベッタリで、部活の後一緒にランニングデートしたりしていたが、気が付くと短距離のホープ川〇君に奪い取られていた(泣)

「人生はじめての挫折」

中学二年の半ば、俺は陸上をほとんど諦めかけていた。
だってレギュラーになれないんだもの。
あの栄光の第一位はもはや「過去の栄光」でしかなかった。
そして、少しずつ部活をサボりがちになっていった。
陸上からフェードアウトして行った。


当時、中学には「部活」と「クラブ」があってさ。
部活動は毎日だったが、クラブ活動は週に一回あった。
しかも、クラブは生徒の提案で作ることができた。
「ローラースケートクラブ」
たまたま先生の中でローラースケートが趣味の先生がいたのである。

俺はなぜか?転校する前の時からローラースケートをやっていて
かなりうまかった。
で、作ったのさ!
「ローラースケート、スケートボードクラブ」
クラブ員もかなりいた。
当たり前のように俺は中2で部長になった。
正直、先生よりも俺はうまかった(笑)

だって、ローラースケート履いたままバック宙ができた。
もうちょいタイミングが遅ければジャニーズに入れるくらいだった、と思う(笑)

だって、光GENJIが出てきたときに、「こいつらへたくそだな!」って思ったからさ(笑)

調子に乗った俺は、今度はお年玉でスケボーを買った
元々運動神経もバランスも良かったからすぐにできた。
クラブでもみんながスケートの練習する中、俺はたった一人でスケボーにのめりこんだ。

だいぶ後になっての話だが、10代の後半にパンクスの間でスケボーが流行った時も俺はすでにいろんな技をマスターしてた。
この頃からいろいろ早すぎたんだよなぁ(笑)

さて、反骨精神のお話し。

とにかく、誰にも負けたくなかった。
何かで負けたら、すぐに勝てる何かを探して、クソみたいな「根性」「努力」で俺は自分の居場所を作っていった。

でもね、その居場所は毎回「転校」によって奪われるのだ。
作り上げてきた立場も、名誉も、栄光も、好きな子も・・・。

中学三年生
受験の大切な時にまた転校が決まるのだ・・・。

ではまた次回😁


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