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ソーセージ”B-side Story"

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ロックバンド「ソーセージ」https://www.souseizi.com/ 2021年で活動9年目。2020年にN@音(20歳)を正式メンバーに迎えたものの世の中はコロナ禍で手… もっと読む
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#リンチ

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑰サービス精神と反骨精神(5話) SEiZI/晴志

さて、前回の続き。 転校2日目の先生の仕打ちはトラウマにはなったものの、そんなもんでへこたれる俺ではなかった。 前回と同じ、また1から登ってゆくのさ。 親父は戦後満州から引き上げてきた家族の長男で、当時貧しくて、大学にも行くことができず、家族のために働くことを優先させ、電電公社に入社。 自分が働いて学費を稼ぎ、自分の弟を金沢大学に通わせた、そんな「根性」の人だ。 そんな親父だったので、とにかく勉強には厳しかったし、スポーツや勝負事も絶対に自分に負けるな!!と、わりと何事

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑯サービス精神と反骨精神(4話) SEiZI/晴志

俗に言う世の中の「普通」そんなもんは「多数」って意味でしかない。 普通を語る普通の人たちには「マイノリティ」は「異常」にしか見えないだろうが、こちら側からすると「普通」=「異常」ではないが「小さな世界」にしか見えない。 「小さな世界で生きていくことがある意味幸せなのかもしれない」とさえ思う。 さて、前回の続きだ。 転校のプロとはいえ 怒涛の転校初日の次の日、俺は学校に行く。 なぜならあの当時「学校に行かない」という選択はなかったからだ。 正直、誰の顔もわからない。 方

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑦プロの転校生(前編) SEiZI/晴志

俺は親父の仕事の関係で、小、中学校と転校を何度も繰り返した。 当時、親父の仕事は電電公社。今のNTTだった。 単身赴任も何度も考えたらしいが、「家族は一緒にいたほうがいい」っていう考えで俺たち兄弟も転校を余儀なくされたんだ。 正直、子供心に親父を恨んだよね。 せっかく仲良くなっても、必ず別れが来るわけだし それも最初から分かっているわけで 何度体験しても辛く、悲しく、さみしかった。 まだSNSなんてなかったし。 1回目の転校ならまだ前の学校の情報は届くけど 2回目にな

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑧プロの転校生(後編の前編) SEiZI/晴志

転校初日に集団リンチ。 これが俺の10代のすべてだった。 何度も体験した。 悲しい話じゃない。 どちらかというと、「鍛えてくれてありがとう!」な話。 最初の転校は転校じゃなくて転園。 幼稚園のことはもう書いた。 だから転校の話。 一回目の転校は金沢から敦賀。 石川県金沢市小坂小学校から福井県敦賀市松原小学校。 小学校3年生になるタイミングで転校した。 転校初日のことは今でもリアルに覚えてるなぁ。 とにかく悔しかったからさ。 当時、社会は転校生にはそんなに優しくな

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑨プロの転校生(後編の後半) SEiZI/晴志

転校生の日々も、まぁ、1年も経てばすっかり慣れて、それなりに勉強もスポーツも成績優秀だったので、友達も増えたよ。 敦賀市のマラソン大会に出るのに、毎日、朝晩と走り込んでいた。 親父が自転車で伴走して、朝3キロ。夜も3キロ。 敦賀市が主催したマラソン大会小学生の部 11位だった。 悔しかったなぁ・・・。 10位以内に入りたかったのに。 でも約500人中11位だからかなりいいほうなんだけどさ・・・。 でも実は俺は「サッカー」をやりたかったの。 でも田舎の小さな港町、そんな