素人が漫才のレビュー2

最近思うのが漫才って奥が深いなって思うんですよ。全く同じ漫才でも演者の気分や観客の気分によって受け方が変わってくるんですよね、これがちょっと謎だなって思いましたので、考える習慣のひとつとしてノートにまとめてみます。

今日は昨日の続きとなります。

まだの人はこちらから↓
4分くらいで読めます☆
素人が漫才のレビュー1|sekun #note https://note.com/seiyakun/n/n5cff054330cf

怒りずらし

ここから、ミルクボーイさんの流れコーンフレークかと思ったら違う、コーンフレークかと思ったら違うの繰り返しで後半になるにつれて笑いを倍増していくスタイル。

私が思うに会話のやり取りの中で「怒り」を含んでいることが笑いにとって重要な要素で、この場合駒場さんの怒りは「母親」に向いている構図ですね?あくまでも駒場さんはおかんに言われたことをそのまま内海さんに報告していると言うスタンス。自分でもおかんの言うてることワケわからんわって言うところにおかんの説明に対する怒りを含んでいるわけです。誰でも一度はある、おかんに対する怒り。一方、内海さんは駒場さん又は駒場さんの母に対する怒りがあるんですけど、なぜかコーンフレークに対する怒りをブツけにくるわけです!これは話術として凄い!

その前の見取り図のネタの中に盛山さんが「生徒に手を出しそうな数学教師」って罵った後に「10代相手にいきがんな」っていう下りがあるんですけど、これはもうリリーさんにいってるんじゃなくて「生徒に手を出しそうな数学教師」に対して言ってます。これは怒りを相方ではなくて第三者にずらしてます。この「怒りずらし」が話術としてはいいと思っていて、こうすることで何か一方的に一人の人間を攻めている感じが少し和らぐ(ような気がする)んですよね。

内海さんは終始怒るんですけど、

駒場さんに怒る→コーンフレークに怒る→自己完結をするけど駒場さんにまた否定されるのでまた怒る

の繰り返し。これが雪だるま式に笑い量が増えていくのでハマり出したら止まらない。コーンフレークへの怒りを挟むことでお笑いのブレーキにならない。コーンフレークへの怒りは特にみんなが馴染みのある映像が思い浮かぶので、余計な疑問や思考をせずに聞いていれば自然と頭に絵が見えるので本当に邪魔にならない。ここで客心はリセットされるのでまた漫才に新鮮な気持ちで駒場さんの言葉を聞くことができる。それをテンポよくリズムよく、島田洋七さんの声でやられるんだから…。

この「怒りずらし」をすることにより、ミルクボーイの二人には怒りをぶつけ合っているのに、怒りは相手の方をむいていない、喧嘩なのに喧嘩じゃない感じが生まれていて、最後まで楽しく見れました。

ぺこぱもそういえば松陰寺さんが怒ってるんだけど別にしゅうぺいさんに怒ってるわけじゃないところがあったので、総じてそこが新しいところだったのではないかと思います。

漫才の基本ルールとしては、観客の標準回答ルールを壊すのがボケで、そこに対してツッコミには怒りが生まれるんだけど、この怒りを違うところに反らしにいくというのがすごく新しいと思いませんか?これが話術だと思いましたよ。

この技術は今後流行ると思いますし、どんどん出てくると思います。
明日に続く

#漫才日記  #話術 #素人分析 #ミルクボーイ #お笑い #役立つ #ネタ #ボケ #ツッコミ #傑作


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?