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飲み込まれる意識

ここ数年?十年くらい?睡眠と時間と体力と意識の戦いが続いている。
人生が無限ではなく、有限なものであることを理解したから。

家にはベッドがない。
すなわち、寝る時は「よし、これから寝る」と覚悟して、
或いは、「今日を終わらせる」ことに意識的になることで、
布団を敷くのである。

ところが、僕にはそれが至難の技なのだ。
並大抵のことではない。

僕はまだ寝る訳にはいかないのだ。と毎晩思う。
しかし、睡眠をとることが嫌いかというと、そうでもない。
不眠症になったこともない。

だが、眠ってしまう自分を呪いながら、
意識が飲み込まれていく、
そして朝起きてがっかりするというわけだ。

だから電気も消せない。

決められない。自分では終わらせられない。
人生の終わりもこんな感じなのかもしれない。

どこかの劇作家が睡眠は死の予行演習だとか何とか言ってたような、
言ってなかったような。

冬はいけない。
炬燵なんて出していると大変だ。

昨日なんて、
いい加減、炬燵から脱出せねばと思い片付けて、使えないように隅に追いやってみた。すると、ストーブつけて毛布に包まってカーペットで眠ってしまった。
もちろん部屋の電気は朝までつけっぱなしだ。

こんな30歳になるなんてきいてないよ。

僕は生活力のないダメな人間だ、みたいな自意識の積み重ねも惰性に変わり、
何も感じなくなってきつつある。
去年の目標は〈丁寧に生きる〉だったが、まったく達成できなかった。

人に自分を大切にしなさい。とよく言われるが、大切にしていないわけではない。
むしろ積み重なった自意識、自己愛が今の自分の状況を生んでいるようにも思う。

完璧主義者は完璧にはなれない。
でも開き直ってほどほどにも生きられない。
満足している自分に対する不安感もある。

人に囲まれていると一人になりたい、
一人になりすぎると人と喋りたい、

自己矛盾と惰性、許せなさ、たまの暴力性、
唯一の望みは、その許せなさながいつか爆発して、
他者に向かっていかないことだ。


みたいなことを演劇にしたことがある。
多様な誤読が生まれないのは私の実力不足だろう。
まだ執着しているのなら、書くしかない。

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