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年末年始、時の流れの中でぼんやりごちゃごちゃ思考する

年末年始は二年ぶりに故郷へ帰ることができた。
去年はコロナで母の仕事のこともあり断念。これまで年末年始をあの家、あの町で過ごさなかったことがなかったので区切りなく二年がざっと流れた感じでしんどかったので帰れてよかった。
いつまでも同じというわけにはいかない。
地元と福岡を往復するたびに切ない。

家が小さく感じる。
風景と記憶が一致しない。
自分が余所者に感じる。

でも、あの町が正真正銘、自分の故郷なんだと思う。
やっぱり実家へ「帰る」のだ。

弟(犬)にも会えた。
高校生の頃に家族になった彼も今ではおじさん。いつまで元気でいて欲しいし、毎年帰るたびに喜んで出迎えて欲しい。けれどいつかは終わりがくるんだろう。最近はお庭のウッドデッキを行き来するのも少し大変らしい。はぁ。
そういえば、前に家で飼っていた犬が死んでしまった時は一生分泣いたのだった。あんなに自分が泣くなんて信じられないくらい。また、あんな想いをすることになるのかな。

出会いも別れも引き受けて、しっかり自分の足で歩いて生きていきたいモノです。


そういえば、趣味でカメラを始めた話をすると、母が昔使っていたフィルムカメラを譲り受けることになった。

MINOLTA  MAC-7

まだ使える状態なのかは不明。。
これは昔、母とバードウォッチングをしに公園に出かけた時に使った。


母から譲ってもらった望遠のレンズと一眼レフ

これは、運動会とかで記録用で使っていたらしい。

記憶の宿った物を継承するというのは、自分にとっては特別なことだ。本でもカメラでも服でも。(だから物が捨てられず部屋が汚いのか、、)

演劇でも、前に使った小道具を何回も何回も別の作品で使ったりしている。

最近はそめごころの展示作品で使うカセットデッキをかった。いまさらカセットテープやCD、MDが好きになってきた。レコードは扱ったことがないが、エセハルキストなので憧れだけはある。

朽ちて残っていく物が好きだ。
身体性を感じる物が好きだ。
俳優の身体ならいつまででもみていられるし。

どんどん古くなって、使い込まれて、自分の身体の一部、人生と一体となる物。
俳優をみていても、丁寧に使い込まれている人の身体は良いモノだ。
自分はどのくらい、自分を使い込んでいるのかな。
だから父母の還暦のお祝いは革のキーケースをプレゼントしたのかな。

話があっちこっち。
まとめる気がないだけだけど。

なんだか、
実家で聞いた認知症になったご近所さんの話と自分の祖母の晩年と両親のこれからのことを想像していたこと演劇のことが自分の中でごちゃまぜになってしまっているようだ。

とにかく、時の流れと上手に付き合いながら、家族や大切な人の尊厳を守れるくらいの大人になりたいものです。

すっかり変わってきた地元の駅

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