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NFT.NYC2022にて

NFT.NYC に参加してみて

こんにちは、pinealの徳原です。今回はNFT.NYCというイベントに参加してきたのでそれについて。NFT.NYCというNFTに関するイベントでは、コミュニティの力というテーマがよくディスカッションされていた。そこで語られるコミュニティには強い熱量があり、コミュニティに所属するメンバーはそれぞれ何らかの意思を持った個人であり、その集積から偶発的な発展が生まれていく、そんなものだった。素晴らしい。ただ、「私自身割と意見がある方だが、あまりコミュニティに参加するということがないな」「なんとなく日本で聞くコミュニティってもっと緩いつながりな気がするな」と同時に感じてしまった。

政治や社会の専門家ではないので本当にそうかは分からないが、これはやはり民主主義を起点として発展した国とそうでない国とでの違いなんだろうと思う。ヘーゲルが提唱していたアウフヘーベンのように、議論を重ねることでより上位の解をし、民衆の力で政治や社会を動かしてきた欧米諸国と違って、日本はモノゴトの推進を少数のリーダーに依存してきた。これは、日本で急成長を遂げた起業家(ソフトバンク、楽天、ユニクロなど)がみんな超トップダウン型であることからも言えると思う。

私は意見を言うことが好きだし、ディスカッションすることが何よりも好物である。なぜ自分がそういった嗜好性を持ったのかは分からない、少し異端ではあると思う。そんな私が思う日本においてのコミュニティは、なんとなくだが「ディスカッションのプロセスを経ず合意形成に向かっていく、なんとなくふわふわした感じ」を覚えてしまう。

でも日本のコミュニティが優れている部分もあると思う。それはみんながトップダウンなオーダーに従う、ということだ。そうすると強いリーダーが必要となる。でも、強いリーダーが人である必要はないと思う。信じられるゴールと、強固なディシプリンがあればそれでコミュニティは成立する。ブロックチェーンのスマートコントラクトを軸とするDAO(知らない人はググってみてください!)は、そういった意味で日本において強力に力を発揮する可能性を秘めている。日本ならではのコミュニティのディシプリンを、スマートコントラクトでいかに定義するか、社会科学の先生と一度議論してみたい。

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