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再びサッカーができるその日まで。

今の社会情勢は2011年の東日本大震災がどうしても思い起こされます。
当時僕は大学生で神奈川県におり、直接的には被害は受けてないものの、
家族がいわきにいて、どうすることもできない自分が
歯痒かったのを覚えてます。

翌日に開催予定だったみんなで準備してたフットサルイベントは中止。
大学の卒業式ももちろん中止。
復興ボランティアに行こうにも、
逆に足手まといになってしまうとの情報もあり行けず。

世の中が自粛ムードになっていき、先行きが見えない不安に襲われながら
何もできず、何も動けず、悶々と過ごした記憶があります。

震災後、三浦知良選手がこんな言葉を残していて

生きているとはどういうことなのだろう。サッカーをする意味とは何なのだろう。見つめ直さずにはいられない日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」。試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。

サッカーをやっている場合じゃないよなと思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じている。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
ーー 生きるための明るさを  2011年03月25日(金)ーー

この言葉を読んだ時に、強烈に心に刺さったのは覚えてますし
3月29日に行われた復興支援チャリティーマッチでのプレーは
観てて泣いてしまいました。

僕はどれだけサッカーというものに救われたのだろう。

各所での様々な復興に向けてのアクションや時間の経過と共に、
自粛ムードも少しずつ払拭されてきたところに @shinagawa18さんから、
もう一度フットサルイベントを開催しようと招集してもらい、
チャリティーフットサル大会の開催に向かって動き出しました。

僕自身は何もやれなかったですが、それでもほんの少しですが、
イベントを通してスポーツの本質に触れれた気がして、
そういった経験が僕のベースにあるのかなと思ってます。



今の情勢をふまえ三浦知良選手は下記のように記してました。

いま僕らが置かれている状況は、9年前の東日本大震災のころと似ているかもしれない。あの時も感じたことだけど、そこではスポーツが「なくてもいいもの」に思えてくる。まず人命を守る、マスクなど必需品を行き渡らせる。比べれば自分たちの価値ははかなく、自粛に次ぐ自粛へと傾くのも無理もない。

それでも時がたち、不安も拭われたならムードも変わってくるはず。健康なら元気に体を動かそう、遊んだっていいんだ、と。スポーツを通じて競い合い、勝ち負けに喜び、泣き、怒って、笑う。そうした楽しみも生きるうえでは必要だろうから。閉塞したままではいられず、明るさを求めたくなるのが、生き物としての人間の本質じゃないのかな。
ーー モラルの線引き 2020年03月13日(金)ーー

サッカーってやると楽しくて、観る人を魅了して、でも負けたら悔しくて。
そんな最高なサッカーなんだけど、

それでも今はサッカーなんてしている状況ではないのかもしれない。
一人ひとりの責任ある行動が、事態を収束させることに繋がっています。

命より大切なものはない。
優先順位を間違わず、自分自身にできることを。
また元気に最高なサッカーができるようになる日まで。

皆さんの安全を第一に。力を合わせて一緒に乗り越えましょう。


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