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「ジブン探しの再デザイン」とはなにか -その思想を問い直す-

みなさんは、「ジブン探し」と聞くと、ダサい。と思うだろうか。フラフラして、好きなことして、でも結局やりたいことも見つからない、、なんていうネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれない。2000年初頭頃に、じぶん探しというワードは特に流行したが、その後なんだかダサいという風潮が出てきているように感じるのは僕だけだろうか。

かくいう僕も、自分に迷い、自分が何者かということがわからず、ぐちゃぐちゃするし、不安になることがよくある。でもさ、、なかなか自分がわからない、探してます。って言えなくない?、、笑

だから僕は、いま声を大にして言いたい。

「ジブン探し、大いにしていこうぜ!」

と。だってさ、ジブン探しをしない人なんていないし、人生ぜんぶジブン探しの連続だと思うから。

今回は、僕が掲げている「ジブン探しの再デザイン」というものが一体何なのか、しっかり言葉にしてこなかったので書いておこうと思う。

◆ジブン探しの再デザインとは

ジブン探しの再デザインとは、一体なんなのだろうか。というかそもそも再デザインというからには、もともとは何か改善すべき点があるといういうことである。イエス、従来の自分探しの概念は大いに変わる必要がある。

簡単に言えば、「ジブン探し」から「ジブンづくり」へのパラダイムシフト、ということである。

①探す→作るへ
②単元的から多元的自己へ
③経験と振り返りの両立
文脈に位置付ける
⑤一人ではやらない
⑥エンタメ化
⑦答えではなく、問いベース

これらの、7つの要素が欠け合わさったジブン探しがなされるべきだよね。というのが今回のいいたいこと。

①探す→作るへ

自分"探し"という言葉が指し示すように、自分とは「探すもの」という前提がありそうだ。しかし、自分というものは、探さない。

ジブンとは、

「つくる」ものであり、「気づく」もの

である。

これは、自己というものは「ない」、という前提に僕がたっているからだ。詳しくは、多元的循環自己(『多元的自己の心理学』杉浦健, 2017)という概念を参照してほしいのだけれど、「自己とは、他者との関係の中で立ち現れる行為の循環の軌跡」といわれている。つまり、自己という固定的なものがあるわけではなく、他者との関係や状況、場面に応じて流動的に構成され、その環境や他者への行為と、外部からのフィードバックによって強化される軌跡の総体が私、ということである。(これを「自己の構成性」といったり)。

そうなってくると、固定的な自分を探すという行為はナンセンスであって、むしろ自分を作る。そしてその自分に気づく。という方が適切といえる。(固定的自己→構成的/流動的自己)

②単元的から多元的自己へ

自分探しという言葉が少しナンセンスな理由の2つ目が、自分探しという言葉が"一つの正解のような私"を想定していることだと思う。

ポストモダン社会においては、複数の自己の在り方を感じる「多元的自己」や「分人」という考えが主流となっているといえる。これは、一人ひとりが多様な時代になり、自分の関わるコミュニティが複数化/断片化し、振舞う自分が場面によって変化するようになったことが要因としてあげられる(『「若者」とは誰か』浅野智彦, 2015、『私とは何か』平野啓一郎, 2012)。今まで(近代まで)は、エリクソンのアイデンティティ論を始めとして、自分は単一的に統合されるのがよい状態であり、自分がたくさんある、という状態はある種病理的なものとして扱われていた。

しかし、もはや自分は一つでなくていい。それぞれの場面によって異なるキャラや振る舞いを見せるその私のどれもが「私」であり、一つに限定する必要はない。

こうした時代においては、ジブン探しは、一つの正解を探すという様相は呈さないといえる。

経験と振り返りの両立

自分探しというと、なにか旅に出て、なんとなく自分というものが見える、というものがイメージされるのではないだろうか。これはむしろとてつもなくジブン探しからかけ離れているといってもいいかもしれない。

ジブン探し/づくりとは、経験と適切な振り返りによってなされるものだからだ。

人は毎日数えきれないほどたくさんの経験をしている。朝起きて、ご飯を食べて、いろいろなものを見て、話して、感じて、寝る。そして、少なからず心が動く。しかし大体の場合、人は"経験の未消化状態"である。つまり、経験してもそれが自分を知ることに使われていないということだ。ご飯は食べたら消化するのに、経験はめったに消化しない。経験を消化するという行為が、振り返りとなる。(Korthargen「ALACTモデル」参照)

「何が起きたのか、何を考えていたのか、どう感じていたのか、何を望んでいたのか」「それは何を大切にしたいからか」など、そうした問を通して、自分への気づきを得ること。これがジブン探しには必要不可欠である。このプロセスなくして、ただ旅に出て、色んな所に行ってもそれは中途半端でしかない。

こうした自分自身に対して考え、自己内対話を重ねることは簡単ではないことが、ジブン探しが難しいとされる要因である。ジブン探しのための振り返りの内容は、場面と目的により多岐にわたるのでここでの言及は避けるが、大切なのは自分について振り返る機会をどれだけ多く持ち、体系的に自分について理解するか、である。

④文脈に位置付ける

振り返りを重ねていくと、自分についての知識が増えていく。これが自分を構成する要素そのものであるし、ジブン探しの目的そのものである。でも、ただ自分についての知識を得るだけなら、心理テストなどを受ければよい話。でもそれだけではよくない理由は、ジブン探しにおいては、自分に関する知識を"文脈"の中に位置づける必要があるからである。

文脈に位置付けるとはどういうことか。それは、自分がどういう背景と状況の中でその行動をとり、どういった流れでその価値観や強みが形成されていったかを、物語のように説明する試みである。

物語化することがどうして必要かというと、そうして物語化することで、自分に関するバラバラな知識というものが構造化され、一つの線に編みなおされるからである。そこで生まれる物語自体が自分を表すものとなる。

自分について物語化して文脈に位置付けるには、"語ること"が必要。この語られた自分に関する物語は、ナラティブ・アイデンティティ(物語自己)というもので、自分について他者に語るその物語そのものが私と他者が認識する私そのものである。これは、自分がもやーっとなんとなく思っているものではなくて、実際に言葉となって立ち現れてくるその物語自体が重要であるといえる。

そして、この語りには、実は他者が必要不可欠である。それは自分についてどう語るかは、誰に話すかによって変わってくるものであるからで、誰に話すかで変わる私の物語がむしろ、②の多元的な自己を表すことともなる。

⑤一人ではやらない

自分探しはなんとなく、一人でフラッと出かけるイメージがある(僕だけ?)。でも目的を考えるとそれはちょっと非現実的。まず第一に③でも挙げたように、経験した後振り返る必要があるわけだが、一人で深く振り返りを行うのは少し負担が大きい。また第二に、④に示した文脈に位置付ける行為「語り」には、他者が必要不可欠である。よって、ジブン探しを一人でしようとするのはとてもナンセンスだといえる。

ここでは、自分がやってみたいと思う経験を一緒にしてくれる仲間や、自分がした経験を一緒になって振り返ってくれるメンターや友人が必要であることを意味している。

経験や価値観をベースに、適切なジブン探し仲間をマッチングすることが、意外とこれからの世の中には重要かもしれない。

⑥エンタメ化

ここ部分で僕が言いたいのは、「自分を知るって、超楽しいことなんだよ!」であり、「せっかくのジブン探し、楽しもうよ!」ということ。自分を知るって、超楽しいことだ、と切実に思うし、楽しんでもらいたい。

実際のところ、ほぼすべての人生にはジブン探しをする機会がある。多くの人にとって特に大きな機会は、就活といえるだろう。その就活の中の自己分析とそれに伴う葛藤は、自己を顧みて、自分とはなんなのだろうか、と問いかける点で、自分探しといっても問題ない。

そんな多くの人が通る自分探しだが、あまり楽しい話を聞かない。聞こえてくるのは、「めんどくさい」「難しい」「やり方がわからない」といった悩みばかり。ここに、大きな問題が横たわっている気がする。自己分析などが苦痛となるのはなぜだろうか。それは、時間がかかるからとか、過去の深堀ばかりでつまらないからだったり、自分が納得いくものにならないからだったり、あとは自分が分析できる経験がないと感じるからかもしれない。

「ジブン探しは楽しい。」

でも僕はこれをまた、声を大にして言いたい。

楽しくないなら、楽しくすればいいんだ。③にあったように、ジブン探しは、「経験」と「振り返り」によって、自己への理解を深め、不安を解消することだから、経験を楽しく行えるようにして、かつ、振り返りを興味深く楽しい方法で行えればいいと思っている。

経験を楽しいものにするというのは、「やってみたかったこと」をやるという経験をすることだと思う。そしてそこから生じる感情を振り返りながら、新しいやってみたいことを経験していくことで、楽しい経験としていく。

興味深い振り返りとは、振り返りを記述ではなく、表現から行うという工夫や、複数人による協働的なリフレクションを通して語りで行うことである。

(この節は、別記事で詳述することとします。)

⑦答え→問いベース

自分探しでは、なにかを見つけようとする。それは本当の自分(そんなものはない)かもしれないし、やりたいことかもしれない。でも、これからのジブン探しでは、何かが見つかったらゴールというわけではなくて、自分が問いを抱え続けて生きていくということだと思う。自分が追い求めたいものはどんな問いだろうか、と。

これはとても難しい話で。自分が生きたい人生ってどんなものだろう。今気になっていることってなんだろう。そういった自分を駆動させるものが問いで、それを一人ひとりが見つけてはその自分なりの納得解を見出していく旅がジブン探しの旅なのかもしれない。

◆まとめ

以上、①探す→作るへ ②単元的から多元的自己へ ③経験と振り返りの両立 ④文脈に位置付ける ⑤一人ではやらない ⑥エンタメ化 ⑦答え→問い の7つの部分を従来の自分探しから変更し、新しく概念を作りなおすことが、「ジブン探しの再デザイン」である。

これは、もはやジブン探しではなく、「ジブンづくり」(自己形成)である。

こうした、「ジブンづくり」(カタカナ)とする。これは、ジブンというものは、変わるし、どんどんアップデートされるものだからである。

こうした新しいジブン探しの在り方を提示することで、「誰もが楽しくジブン探しを行える環境を作っていく」。そして、「自分を知るってオモシロイ」、ということを伝えるのが、ぼくと、Reflection.Labのミッションである。

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以上。長々とお付き合い頂き、本当に有難うございました!

(共感したら、是非連絡ください!笑)

ご意見などもお待ちしております。



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