生まれ変わり

コインランドリーで本を読んでいた。
仕事の新人歓迎が終わった帰りにサウナに行き、一週間の疲れを飛ばした。
心地よい疲労感に包まれながら帰路についていた
運転中、いつもラジオを聴いている。

星野源がファミレスでラジオをしたらしい
そんな情報をSNSやらネットニュースやらで手にいれたので
居ても立っても居られず、運転中にラジコで聞いた。

家に着いた
まだラジオは途中
洗濯物があるわけではない
ただコインランドリーの外にあるベンチが好きだから行く
あ、本も持って行って読もう

ベンチの横には灰皿が置いてある
赤い一斗缶に白い文字で吸い殻入れと書いてある
ザ灰皿
春の夜風にあたりながら本を読む
時刻は23時30分になろうとしている
本を読み始める
君のクイズ
「クイズに正解することが、自分の人生を肯定することにつながる」
主人公は早押しクイズが得意でテレビ番組の大会の常連になるほどの実力者
あるテレビ番組のクイズ大会に出場し決勝へ進出
決勝の相手は、天才といわれている高学歴大学生
優勝賞金1000万円をかけた決勝戦で対戦相手が問題が読まれる前に
回答をする
その問題は正解となり、主人公が敗北
ありえない早押しに主人公とその大会の出場者たちが"ヤラセ"を疑うところからはじまる物語

「クイズに正解することが、自分の人生を肯定することにつながる」
この本の中に出てきた言葉が自分の中に滞留した

自分は音楽が好きだ
音楽自体が、そのときの聞いている空間が、天気が、自分が
音楽を聴くとき
いつどこで誰とどうやって聞いいたか
聞いている曲とその状況が結びついて
自分の中に記憶される
だから
曲を聴いたときに場面や状況が浮かぶことが多い

こういう現象は多くの人が感じているのではないかと思っている

コインランドリーでぼーっとしながら本を読んでいると
聞いていたラジオから
それではお聞きくださいという言葉が聞こえた
さっきまで現実と本の中を行ったり来たり
境界がぼんやりとしていたのに
急に世界の音と景色が消えて
ラジオの声だけが脳内に響いた
その次の瞬間
優しい声と、包み込むようなギターの音が耳から入ってきた

中学生のころに住んでいたアパートの自室
秋、夜、心地よい風と、網戸を通り抜けて部屋に入ってくるコオロギの鳴き声
初めて買ったヘッドホン
おじいちゃんからもらったラジオ
勉強机、蛍光灯、試験勉強

目の前には開いた小説の文字がぼんやりと見えているが
意味は全く入ってこない
現在には自分がいない

気持ちいい感覚
耳心地
世界にはそれしかない

曲にはそんな力がある。
現在と過去を一瞬でつなげるワームホール

何かしなければ、書かなければと思い立ち
ゆっくりとその場から、家まで帰る。コインランドリーに青い乗用車が入ってくる
よかった
嫌いなあいつが来る前にこの場をはなれることができた
あいつとはコインランドリーの常連客で
いつもそいつと椅子取りゲームのごとく
コインランドリーのベンチを取り合う

アジア系の外国人だろう
紙たばこの灰をベンチの下におとす
とても腹が立つ
顔を見ただけで、青い乗用車を見ただけでイラつく
反抗期に親に対して抱く気持ちと似ている
相手を罵倒する言葉が脳内を満たしていく 
中学生の頃は頭に浮かんでいた言葉をそのまま親にぶつけていたのだろうか
いや、自分はそんなことをする勇気さえなく
どうにか耐えてやり過ごしていた

自分も灰を地面に落とすことはあるし、
ポイ捨てだってしたこともある
お前だってそうじゃないか
これは自分なんだ
こいつは俺なのかと思うとがっかりする
自分のことを棚に上げて他人の行為に対して
抑えられないくらいイラつく自分に嫌気がさす
せっかくいい日だったのにと思う

悪口や陰口はだめだとずっとおもっていた
大学生の頃、悪口やグチや噂話
自分がネガティブだと感じたものをとにかく外に出さないようにした
そんな聖人君主いないのに
すると周りの人との接し方が急にわからなくなり
喋れなくなってしまった
みんなネガティブの出し方が上手だ
出す場面と程度と表現の仕方を弁えている
どこで学んだのだろうか

自分は周りにはピュアとか真面目とか、単純と言われることがある
その期待に応えようとしてしまう自分がいる
取り繕って嘘を言う
出来るフリをする
ピュアだったら嘘言わないだろ、自分よ
正直になりたい
正直になるにはどうすればいい?
要領よく生きるためにはどうすればいい?
誰も教えてくれないし、正解がない
残るのは後悔ばかりだ
嘆くだけで現状は変わらないが書くことによって
可視化できる
可視化して認識、理解することを成長として括ってくれるほど社会は優しくないことは知っている
だから自分だけでも許してあげよう

自分を肯定してあげよう
自分の過去も今もいいこともネガティブなことも
丸ごとひっくるめて

所信表明にはなんの意味もないし、
結局は行動がすべて何でしょう
散々、自己啓発本とSNSを本業にしている人の言葉を聞いてきた。

自分はそうはなりたくない
わかりやすいから入ってきやすいが、すぐ抜けていく

だから何か作りたい
やっぱりしてしまう
また所信表明をする
まだインスタの自己啓発系アカウントのほうがマシ
だって彼らは行動しているから
お前は何も出していないくせに口では言う

それが自分をよく見せたいと偽っていること
正直になりたいんだったらすぐ動けば?

それができてないからずっとモヤモヤしてゴリゴリ夢中
そして何もしなかった後悔だけを将来に運んでいく
それだけは嫌だ
生まれ変わっても同じだ
今世でやらなかった後悔は来世に持っていくことになる
動かないと
なんか出せ真似でもいい
変でもいい、ダサくていい
押せ、描け、出せ、会え、やれ
一番効率がいいのは感情を入れずにただ現実を見て偽り無く動くこと
考えて所信表明することじゃない
それで死ねれば最高

偽っている自分殺して、正直に傷つき続けろ
いい加減今世
で生まれ変わりたい

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