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しっくりくる時

古着屋の前でタバコを吸っている店員に憧れていた。ただ自分はその人になれるような人生を過ごしていないし、その人になろうと努力する勇気を持ち合わせていない。
だから一生その人のようにはなれないのだと思う。

憧れと諦めの気持ちが頭の中を駆け巡る。
そんなことをいろんな場所で思う。
例えば、楽器屋の試奏コーナー、本屋で平積みされている自己啓発本の前、インスタのストーリーズ。

自分と他者を切り離さずに、今の自分からの延長線上を夢想する。どれもしっくりこない。

子供の頃はしっくりくる感覚はあったのだろうか?もう覚えていない。ただ色々な人たちと接していく中で、居心地の良さや、苦手な空間や身体的な違いにより
自分が思う自分というものを作り上げていく。
空間や、他者には型があると感じる。
その空間(所属する組織や団体も含む)や他者と触れ合う瞬間に自分の形が変わる感覚。

クッキーの生地が自分だとしたら
他者や空間はクッキー生地をくり抜くための型のようなもの。
クッキー生地が多かったり歪な形をしていたら
型から漏れて上手く切り取れなかったりする。
基本的には上手く形取ることは出来ないし
絶対に完璧に形どることは出来ないが、たまにかなり高い精度で切り抜く事ができる。その時に自分が今しっくりくる空間があるのだと認識しているような気がする。

無理やり型に合わせようと、生地をこねすぎるとクッキーの味が落ちたり、熱がうまく通らずに生焼けになる。結果味が落ちたり、最悪の場合欠けたりする。
生地の材料や配分は、生まれながらにして持っているものだから変えることは出来ない。

だからなんだと言えばそれまでだ。
だけど他者や空間の型に合わせて自分の生地をこねる作業は辛い。
それが憧れた型であっても。自分の形を変えるのは自分の形を否定する事だから。
では、形を変える努力をせずにそのままの生地でいればいい。
そうなると暇だ。何もしてない苦痛に耐えられない。自分を騙しながら生きていくには、まだ時間が多すぎる。

じゃあどうすればいいのか。

生地をハンマーで叩いてみる。
生地が思いもよらぬ方向へ飛び出る。どの型にも当てはまらなくなってしまったが
他の人とは違う形が出来上がった。どこにもない唯一無二の形。もうこの生地をくりぬける型はこの世にはないかもしれない。クッキーとして焼き上がることはないかもしれない。

ただそれは自分にとって
しっくりくる形だった。

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