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おともだち

「感動するような感じじゃなくてよかったー笑、そんな演出だったらちょっとがっかりだったからね」

あるイベントのライブビューイングの帰りに聞こえてきた声

中学生1年生の頃、友達に勧められたラジオのイベントだった。
その友達は漫画やアニメ、ゲーム、音楽のカルチャーが好きなやつで
いつも4人で過ごす友達メンバーの中でセンスがあるやつなんだなーと思っていた。
その友達は4人でいるときと、自分と二人でいるときだと雰囲気が違って
お互い人見知りの感じがありつつも本音で話せるような感じがして
二人でいるときとの会話が好きだった。
よく話していたのが、音楽と好きな映画だった。
その友達が面白いといったものは見たり聞いたりするようにしていた。
自分にセンスがないと思っていたから
その友達が進めてくれた星野源は今でも人生で一番好きなアーティストだ。

そんな友達が勧められたラジオ
そもそもラジオを聴くという行為自体もあまりしたことがなかった
初めてラジオを聞いたときは新鮮で、とてもワクワクしていたのを覚えている。その時、友達が勧めてくれたラジオにはあまりハマることはなかったが、ラジオを聴くという行為にハマった。自分の年代ではラジオを聴いている人も少なく、少し特別感を感じていた。
今でもたまにふとその時のことを思い出すことがある。

中学時代の自分は部活で忙しく、4人のメンバーで集まることが徐々になくなっていった。
自分以外の3人のメンバーは帰宅部と剣道部(比較的楽な部活)だったため3人で遊ぶことが多かったらしい。
自分だけ仲間はずれのような感覚がして、悲しかった。
そこから徐々に疎遠になるが、
たまにその友達と下校時間がかぶったりすると一緒に帰るときに映画や音楽の話ができた。そんな時間が楽しかった。

高校では別々の高校になり、自分が地方の大学に行くことになってからはほとんど連絡を取らなくなっていた。その大学に決めた理由は担任に勧めれたからだった。

なんの目標がなく大学生になった自分はバイトや、テスト、友達との遊び
どこにでもいるようなthe日本の大学生のテンプレートとして生きていた。ラジオも徐々に聞かなくなっていった。大学生活を謳歌していた自分だが
3年生の最後のテストの7日前、スノボに行き利き手を骨折してしまった。
そのテストは進級のかかったテストで、落とすと留年してしまうものだった。授業も一番前で受講し、勉強もしていた。泣きながら左手でテスト勉強をして利き手じゃない手でテストを受けた。結果は不合格。
その科目の単位が取れなかったため留年した。

今までレールの敷かれた人生を歩んできた。
これからもその上を進むのだと思っていた。
そのレールが嫌だなと思いつつも。
でももうそのレールにすら戻れないのか。
この先の人生は真っ暗だと本気で思っていた。

親になんて言おう。
お金のこと。
いろんな不安が入り交じり、途方に暮れた。
誰ともしゃべれなかった。しゃべらなかった。
誰とも会いたくなかった。
自分は周りの人にこう思われてるんじゃないか
かわいそうな奴だ
後悔と自分への叱責が頭の中をずっとぐるぐると回っていた。

そんなとき、ふとラジオを聞いた。
中学の時友達が勧めてくれたラジオ。
ラジオを聴いているときは頭の中がうるさくなかった。
今まで、長い間聞いてこなかったが今の自分の状況がそのパーソナリティの悩みや、問題と重なったように感じられて
そのパーソナリティと昔からの友達のように感じられた。
そのパーソナリティは悩みの後に自分なりにもがいてどうにか回答を見つけようとして、色んなことを試していた。周りの人を気にしているのに、気にしないふりをして
周りに変だといわれても、自分なりの答えを出していた。
不格好でもダサいといわれても
人としてかっこいいと思った。
そのパーソナリティが「没頭する」というネガティブに勝つための回答を見つけていた。
手前みそながらその考えを拝借して自分の生活に取り入れてみることにした。この一年を無駄にはできない何かしなければという思いがあったのだと思う。

自分は、悩んでいる人が何かを変えたいと思う人はまず腕立て伏せをはじめるのだと思っている。
没頭することの一つとして筋トレを始めた。
最初は家で腕立て、腹筋、スクワットを30回ずつ3セットやることを3か月やることを目標にした。人生で初めて自分が自分のために建てた目標だった。
最初は10回やる程度でも疲れていたが1か月続けると、それが苦ではなくなってきた。
生きてきて初めて、成長しているという感覚が味わえた。
今までの人生で自分で決めて、自分の成長を味わう感覚が初めて実感できた。
そこから3か月間で体重が85kg→70㎏まで落ちて体形が変わった。
こんなに変わるものなのかと自分でも驚いた。
さらに、ジムに通うようになり、ベンチプレスで100kg上げるという目標も立てた。
目標って小さくてよくて、没頭したいことを探してただやる。没頭する。
そうしたらまたやりたいことが出てくる。
そんな最初から肩ひじ張らずに考えればいいのかと学んだ。

それでも相変わらず没頭タイムから抜けるとネガティブは襲ってくる。

それでもそのネガティブが少しは対抗できるようになった。筋トレを継続できている、できた自分がいたという自信がついたから。
そんな些細なことでいいんだと思う。

でもやっぱり、没頭だけではどうにもならないこともある。
就活の時期になると、今まで没頭に充てていた時間が無くなっていく。
そこでまた悩み、徐々に病み始める。
自分を責め始める。

ここからは自分でもがきながら考えるしかない。
そこで自分がとった方法は助けを求めることだった。
今までカッコつけたいのか見栄を張りたいのかわからないのだが、人に助けを求めるのが難しかった。
助けを求めて見放されるのが怖かったから。自分の恥ずかしいところを見られるのが怖かったから。

だが、考えてみればそのパーソナリティは毎週自分の心の内をさらけ出して、世の中のさらし者になっていた。
そんな傷つきながら、悩みながらでも進む姿勢がかっこよかったんじゃないか

自分もかっこ悪くてもいいから、傷つきながらでも進もうと思えた。
最後は、投げやりではなく、度胸なんだと思った。

色んな人を頼るようにすると、みんな優しく助けてくれた。
本当にいい友達や人たちに囲まれていた。
自分も何か困っている人がいたら助けられる人間になりたいと思った。

現在社会人になって丸二年がたつ
就職した会社は、工場内の自動化をするための設備を作っている会社で、自分は開発職として働いている。
締め切りが近い開発案件に全く手を付けられておらずおそらく締め切りに間に合わない。
それのせいで上司が不機嫌になって自分へのあたりが強い。
自分が仕事が遅いのと、ほかの対応案件に追われているというのが要因だ。
上司に相談することが怖いのと、資料の作成のミスを指摘され、怒られるのが怖いんだと思う。先延ばしの癖があるからそういうことが起きる。

そんな頭の中がもやもやした状態で、あるイベントのライブビューイングに行った。
そのイベントは最高だった。パーソナリティが登場したときは泣きそうになって必死に涙をこらえた。
没頭できた。途中から会場全体が一体になって一つの生命体のような感覚があった。自分もその一部のような。
ずっとこの時間が続けばいいと思った。

そのイベントが終わり、映画館からぞろぞろと人が出ていく。
自分は余韻に浸りながら、映画館から出ていく。
周りにはいろんな人がいた。
自分と同じように、余韻に浸りながら歩いている人
友達やカップルとしゃべりながら出ていくひと
色んな人がいたがみんなにこにこしていた。

歩いていくと徐々に人が少なくなっていった。
みんなそれぞれの日常に戻っていく
その途中で、2人組の男性が何かしゃべりながら歩いている。
どうやらイベントを見ていた人だ
そのうちの一人が「感動するような感じじゃなくてよかったー笑、そんな演出だったらちょっとがっかりだったからね」
その言葉を聞いたときに自分はそうは思はなかった。なぜなら自分はとても感動したから。
自分は今まで好きなものを笑われたり、馬鹿にされたりしたときに腹が立っっていたのだが、その言葉を聞いたときになんとも思わなかった。
なぜだろう、自分もそう思ってるからなのか?とも思ったが、今の自分の感情からそんな言葉は出てこないとわかりきっていた。
自分はこのイベントをみて最高だったし感動した。
多分、他人がどういおうと自分の中で最高だったと感じたことに自信があったから
度胸のようなものが付いたのだろう。

今三連休の初めにこの文章を書いている。
仕事のことが頭の中にちらつく、上司に腹が立つ。自分が今の職に向いてないんじゃないか?転職したほうがいいかもしれない。そもそも自分が本当は何がしたかったのか?いろんなことがぐるぐるしている。たぶんこの答えを出すには時間がかかる。でも考えることをやめない。
自分がやりたいことを考えて、それを実行する。
これじゃないと後々後悔すると思う。
今自分には
考えて試して没頭することと
傷つきながらすすむかっこいい度胸を付けたい。

あと、助けてくれる
おともだちも

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