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常時脳内マルチタスク状態でどうにも集中力が無いのである(5000字位)

前書き

この記事は思い出したように何日もかけて書いているのだが、そうこうしている間にTwitterでこんなポストが流れてきた。
あれ?これもう私書く事なくね?と思ったけど、勿体ないのでこのまま書き進めます。




何にせよ、タイトルの通り

なのである。
これが強迫症由来なのか、他に何が持っているのかは謎である。
あと、実はこれ、誰でもそうなのかどうかも私には不明である。
だが、自分ではものすごーく困っているというか煩わしくてたまらないので、記事にする事にした次第です。

思えば小学生の頃からそうだった。
とにかく集中が出来ない。何かしら考えてしまう。
小学生の頃にそろばん教室に通っていたが、その時からそうだった。そろばんを弾いていても、他の人のスピードが気になってそっちに気を取られてしまう。他には「うっわあ伝票めくりにくっ!うっわあ」と思ってたり。
高校生の頃にはワープロ部でワープロを叩いていたが、その時も微妙にやってる事が他人事と言うか、周りの様子が気になってタイピングに集中する事が出来なかった。
社会人になってからは、仕事しつつ、同時に創作のネタを考えていたりもしている。あらゆる音声や動画、画像が無秩序に頭に浮かぶ。やりたくてやっているのではない、勝手に浮かんでくるのだ。そして時にはうっかり、そっちにかまけてしまう。



症状

とにもかくにも、目の前の事に集中するという事が出来ない。
目の前の事をやりつつ、同時に、頭の中では音楽が流れていたり、読んだ漫画の内容や小説の一節やゲームや動画の1シーンが浮かんだり、過去にあった嫌な事が勝手に蘇ってきてイライラさせてきたり。上記の通りに創作のネタが浮かんできたりもするし、それこそnoteで記事にしたい事の文面が浮かんで来たりもする。本当に無秩序で、瞬間的にどんどん切り替わり再生されるのだ。
「あ、あれやらなきゃだった」と、目の前の事とは全然関係ない事を不意に思い出したりもする。
音楽や漫画や動画の再生に関しては「お前それは10年以上触ってないだろう」なものまでどこからか掘り起こされる。
勿論、同時に仕事の段取りも行うし、強迫症の強迫観念との応酬もある。場合によっては仕事の為に周りの会話に聞き耳を立てていたりもする。

取り敢えずこれらの勝手に浮かんでくるあれこれを「自生思考」と呼んでいる。
これ、専門用語的には統合失調症の症状の事を指しているが、そっちでは無いと思いたい。他に該当する症状は無いし。
言葉の響きから「侵入思考では?」と思った事もあるのだが、こっちは強迫観念の仲間と言った方が正しい。これとも違う気がする。
取り敢えず、面倒なのでこの記事では「自生思考」と呼ぶ事にする。

なおこの自生思考はほぼ常時ぐるぐるしている訳だが、極めて少ない、もしくは完全に消え去る時がある。
それが、「好きな事に集中している時」。そう、仕事から離れてぼんやりスマホを見ている時、ゲームをしている時、読書(漫画含む)をしている時、ネサフしている時、などなど。何ともご都合主義な症状である。好きな事の中でも、ある程度能動的に何かしている時が多い。
なお、コンサートやライブの参戦はこれには含まれないらしい。元々それらの最中に考え事をしてしまって鑑賞に集中出来ない事はあったのだが、一度、好きなバンドのライブの最中にふと「私は何でこんなに音の大きいところにいるんだろう」と思ってしまったのが何気にトラウマで、コロナ禍も手伝ってライブ参戦を躊躇ってはや数年になってしまっている。



症状から疑われる事

まあ、発達障害の中でも特にAHDHDですよね! ぽんぽん思考が飛んで集中や注意から意識がそれがちなところが。
なのだが、私はWAIS-4を過去に受けた際に「積極的に(発達障害を)疑う事はできない」というお墨付きを頂いている。
なので、少なくとも診断が簡単についちゃうレベルの状態では無いと。
敢えて言うなら「ADHDの傾向がある」だろうか。

あと、個人的な考えでは、一部の自生思考はイヤーワームの亜種みたいなものではないかと思っている。イヤーワームが音楽なら、自生思考はそれの画像、映像版では?という事である。イヤーワームは強迫症の人が経験しやすいみたいだし。
でも色んなものが無作為に浮かび上がる辺りは、やはりADHD的である。
どちらにせよ「ただただひたすらめんどくさくて疲れる」代物である事に変わりはない。



弊害

  1. 無駄に頭が疲れる。やりたくもない脳内マルチタスクをやっているのだから、必要以上に疲れる。頭の中が混乱してしまう。困る。

  2. うっかりミスの量産。考えなくても良い事を考えながら本来の作業を行うのだから、注意力が下がる。それによって変なミスや直前で気づくようなミス未遂が増える。

  3. 自己肯定感が下がる。ミスやミス未遂を量産すると「これだから私は」「集中も出来ないのか私は」「集中出来ないしミスしかけるとか私は」と落ち込む。宜しく無い。

  4. 症状のところにも書いた通り、好きな事をやっている時は自生思考が起こり辛い。それもあって、「単なる怠け癖では」と凹んでしまう。実際は、やるべき事をやるべき時に集中しようとしても、中々出来ないのを何度も繰り返しているのだが。

余談だが、集中できない事による作業スピードの遅れは、私の場合は余り無かったりする。集中できなくて他の作業に浮気しちゃうとなると話は別だが、仕事で単純作業しつつ頭の中は別世界という感じなら、実はそんなにスピードに違いは無い。有難いと言えば有難いが、それはそれで「もっと集中してやれ自分」と自分にダメ出しの原因になる。どっちにせよ地獄。


強迫症や抑鬱傾向との嫌過ぎる親和性

私は強迫症の中でも加害恐怖と確認行為などを持っている。前者は「私はもしかして今仕事をミスして会社に迷惑をかけたのでは(もしくは未来にかけてしまうのでは)なかろうか」的な感じ、後者は「迷惑かけちゃだめだ、本当に合っていたか確認しなければ」からの、文字通り確認を無意味に繰り返し、しかもそれを止められないといった感じである。
私の場合ではあるが、前者からの後者への流れになる。なお、現時点は治療により確認行為自体は少なめとなっている。

そしてこの加害恐怖は、ほんの小さな違和感から育ってしまう。「あれ? このやり方で良かったっけ?」という、小さな違和感。
更にこの違和感は、集中していない時に限って起こりやすいのである。特に作業について深く考えずに意識が他所に行っている状態で仕事をしていて、ふと「あれ?(以下略)」となる事が多い。
ここまででお分かり頂けただろうか。そう、自生思考で頭の中がふわふわとしているほぼ常時が、加害恐怖の引き金となる。集中しようと力むのと、集中が思い通りにならないのも手伝って、控えめに言って地獄である。

また、これだけ意識がふわふわとあちこちに行く癖して、ネガティブ思考だけはガッツリ集中モードになる。一度ハマると、メタ認知で抜け出さない限りスパイラルの蟻地獄。どうしてそこに限ってそうなの。困る。



医者に言われたこと

この自生思考との付き合いは長かったが、ある時から「いや流石に世の中の人全部がこんな苦しみながら集中しようとしてるってのはおかしいんじゃないの?」と思い、強迫症を診てもらっている医者に相談した事が何度かある。と言うか、診察の際に持参するメモにはほぼ毎回、自生思考の強さの状態などについて書いている。
医者からは「まあ確かに私はそこまで苦労せずにスッと集中出来ますね」と言われる一方、同時に「そういう自生思考があっても、そういうものだと思って、仕事の時は勝手に手が動いて何とかなるようになるのが理想ですね」とも言われた。
(私は製造の仕事で、更にそこまで緻密な作業はしていないので、そこを踏まえた発言になります)
つまり、「じゃあ、その集中力の無さを何とかしましょうか!」という流れにはならなかったという事である。

個人的には「そんなぁ」だったが、恐らく、WAIS-4の結果の通り、私に少なくとも露骨に(その道のプロが「何とかせなあかんやろこいつ」と思う程度に)ADHDや発達障害の傾向があるようには見えなかった→無闇に薬を使うよりも、傾向と共存していく方が良いと考えたとか、そういう事ではなかろうかと思っている。
もしくは森田療法で言う「雑念恐怖」状態であると思われた、もしくは実際そういう状態であるかか。
森田療法に関しては本を斜め読みした程度なのでよく分からないし、診てもらっている医者が森田療法を活用しているかどうかは分からないが。
ただ、森田療法にしろ認知行動療法にしろ、不安や何かがあってもそれはそれとしてやるべき事をやりましょう的な考え方はあるようなので、医者もそういう方向なのかなとは思った。

なお、何度か食い下がると「お薬飲んでみます?」と聞かれた事はある。もしADHD方面の薬ならストラテラとかになるのかな? あの薬に関しては副作用もあるとか合う合わないとかもあると聞きかじった事があるので、結局「い、いや、薬までは……」と辞退した。
私としても「ハイッ!薬!飲みます!」とはならなかった辺り、それなりに困っているし支障も出ているけど、心の底ではまだ完全に参っていないのだという事だろう。
強迫症で受診した時は即「じゃあお薬出しますね」となったし、私も「薬!飲みます!」と、飲むのを躊躇わなかったので。



自分なりの対策

そんな訳で、自生思考に関しては行動療法と言うか「深く気にしないで行こうぜ」となった。
気にならないんならそもそも相談しないんですけどね!
取り敢えず、下記みたいな感じで対処している。

・「あーまた自生思考がやってきたよー」とメタ認知する。
 強迫観念が来た時と同じですね。上手く行けば自生思考を中断できる。

・自生思考をそっと脇によける。
 上手く行く時は行く。無理な時は無理。

・「私は今◯◯(作業内容など)している」と心のなかで言い聞かせる。
 何か本でも見た気がする方法。

・自生思考が流れるままにして、それはそれとして仕事はする。
 上手く行く時は行く。ただMP消費は激しい。疲れる。長時間は無理。

・諦めちゃって暫く自生思考に身を任せる。仕事はする。
 前者が仕事>自生思考なら、こっちは自生思考>仕事。

・どちらかと言うと単に集中力が無い時向けだけど(と言うか仕事中は出来ない事だけど)、音楽を流す。冒頭のポストと同様ですね。そっちに注意力の一部が向いて意識が四方八方に拡散する事が減るので、その分集中できる。なお、これが歌や配信や音声のラジオ番組になると、MPが少ない私は言葉を処理しようという動きでMPを使いすぎてしまって、疲れて気持ち悪くなります。なので基本インストゥルメンタルか外国語限定。

こんな感じです。経験上、自生思考の撲滅は無理。恐らく頭の中の構造による欠陥みたいなものなので。下手にそこにこだわって完璧主義になるのも宜しく無いと思っている。
それなら適度に共存する方が気持ち的にはラクかもなと、医者に言われて気づきました。
本当は医者の言う通り、自生思考が流れてても勝手に手が動いてくれりゃ良いのですが、それは強迫症と無縁の場合の最適解なんですよね。私の場合、前述の通りに、些細な思考の隙間から強迫観念の種が出来てしまうので。
めんどくさいな、強迫症。

なお、自生思考持ちの反則技として、強迫観念が育ちそうな時は自生思考に敢えて身を任せるという手段を取る事がある。強迫観念から意識が逸れれば、不安はそれ以上強くならないし、運が良ければ消失するので。
これも一種の持ちつ持たれつ。強迫観念も自生思考も、無いのが一番良いんですけどね。



終わりに

そんな訳で。
自生思考に関してはたまにTwitterではぼやいてたのですが「本当に本当にほんとーーーに、めんどくさいんですよこれ!」という主張でした。
共存していくのがコスパ的にも最適解とは言え、やっぱりめんどくさいですよ自生思考。以前TVで暗算の達人って人が出ていて、それで間近でサンバのカーニバルをやってても黙々と暗算をこなしているのを見て「羨ましいなあ」と心から思ったものです。あれの半分でもいいから集中力が欲しい。
この記事も2023年末から書いていました。
個人的にものすごい文字数になったので驚きです。
お読み頂いた方、有難うございました。

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