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希死念慮すら受動的。

この記事の前日、精神的にダウンして会社を休んだ。
まあ、前々から無理はあった。諸々の無理の中でも古いものを探ると半年以上前から色々あったし、仕事は毎日強迫観念と脳内他動的な何かで色々ぐるぐるした状態のWアタックの上に手が遅いので常に全力だし、それのお陰の疲れ&強迫観念と応酬する為に強いられる8時間以上睡眠で平日にプライベートな時間なんて殆ど無いし。
普段余りにも人生を楽しめてないので、GWは少々無茶をした。これが理由としてそこそこ大きいのがツッコミどころではあるが、GW明けも仕事で色々とあった。
ついでに30年以上自分ではまともに掃除した事の無い自室を、急遽数週間の土日のみで片付ける必要が発生した。なので土日も殆どゆっくりできなかった。
諸々が積み重なって、昨日休んだ訳である。


で、本日出勤したところ、配置換えを告げられた。
強迫観念が特に強くなる仕事から外されたので本来なら素直に喜べば良いところだが、元々マイナス思考&マイナス思考に至るだけの嬉しくない実績持ち(今までに左遷的扱いとかクビとか色々あったんですよ)の私はたちまち不安に襲われた。

「何か大きな失敗をして、『こいつは駄目だ』と見限られたのでは?」と。

単なる疑念に過ぎないのだが、わざわざ「何でこの仕事から外されたんですか? 私、何かしましたか?」と聞く訳にもいかない。
そんなの、めちゃくちゃめんどくさい奴じゃないですか。
強迫症持ちなのはカミングアウトしているし、1年ちょっと前には症状がフィーバーして、実際にかなりめんどくさい奴になってたし。
これ以上、めんどくさい奴認定される事を自分からする訳にもいかない。
疎まれるのも嫌だし。
と言うか、一部の人には何か一方的に疎まれてる感じがするし、既にやや孤立状態で、中学高校と人間関係で良い記憶が無い私は組織で孤立する事を怯えているので、そんな状態を自ら助長する行動は出来なかった。


そんなこんなで疑念を抱きつつ仕事している間に、マイナス思考はどんどん深まっていく。

「役立たずの私は、会社にいない方が良いのでは?」
「こんなに迷惑かけている私は、辞めた方が良いのでは?」
「社会的に役に立たない私は、死んだ方が良いのでは?」
と。


そう、私の希死念慮は、積極的では無いのである。
別に「死にたい」と思う訳ではない。
これ、希死念慮って言って良いのか? よく分からん。
あくまでも「死んだ方が『良いのでは』?」なのだ。
他には「歩いてる内にそこら辺の車に轢かれねえかなあ」とか、今の職場では無いが「自分に全く非が無い社内事故で死なねえかなあ」とか。
何と言うか、思考が極端になっても「自分」が無い。
何なんだろう、これ。
別に情けないとか、そういう事は思わないが、ただ「私、ほんとに自分ってものがないんだなあ」って。
死にたいかどうかも自分じゃ決められないらしい。
いや、決めちゃうよりは良いのかもしれんけど。


ただこれ、「死んだ方が良いのでは?」と思う事自体が、一種のセーフティネットの気がしている。
その思考回路に逃げ込む事で、何と言うか、一息ついているところもある。
一息ついても、決して気分は楽ではないが。ネガティブな方向に思考が行って、それを続けるだけで明らかにメンタルは削れているのだが。
でもこの思考回路とは、かれこれ20年ほどの付き合いなのである(因みに当時の職場での激務でだった)。
一定以上しんどくなったら逃げ込むシェルターになってしまっている気がする。
実際、「死んだ方が良いのでは?」以上の事を具体的に考える事は殆ど無い。
暫くそこに浸ったら「でも、そしたら体の不自由な母はどうすんのさ」「可愛い姪っ子甥っ子達が自死遺族になっちまうぞ」「ほーらほらほらほら、まーたこの思考に陥ってる。はいメタ認知メタ認知!」と浮上し始めるのだ。

そしてまた、強迫観念やら脳内他動からの音楽などの再生やら走馬灯の様な記憶の再生、勝手に浮かぶ考え事へと思考は戻っていく。
その間も手は動いていて仕事も進んでいる。
いやこれ、書いたら実感するが、本当に頭の中が騒がしいな。よく仕事してるな自分。


元々、そこまで楽しい人生では無い。
上記の通り、強迫症持ち、そこはかとなくグレーゾーンで実際に仕事の成果も人に比べて常に芳しくない、それを自覚していて理不尽な屈辱だと思っている、体力も無ければ自由に出来る時間も無いしでプライベートも殆ど無い、ついでに経済的にも芳しくない(今の給料以前に、強迫症で7年もの間を時短勤務で過ごしていたので、本当に先立つものが無い)。
正直、このまま楽しみも無くすり減らしながら生きていくのにげんなりする。現実的な目で見れば未来には絶望しか無い。特に金銭的なやつな!(親指と人差指で丸を作りつつ)
「気楽にいきましょうや」ってのが無理なのである。気楽に出来るのは色んな意味で「普通」以上の人の特権であり、諸々が並以下で、地面にめり込んだネガティブ思考の私には無理なのだ。
なので、明日からも事あるごとに希死念慮がやってくるだろう。
今まで通り、やって来るのが禄に進展しない中途半端な希死念慮であり続けてくれる事を願うばかりだ。



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