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なぜ私はダサいのか?


QJweb連載コラム

【バツイチアラフォーの幸せだけじゃない日常】

更新されました。

https://qjweb.jp/column/97800/

事務所の先輩たちから「服装がホームレス」だと言われる私がなぜダサいのかを追求。
読んでもらえるととても嬉しいし、アクセスしてくれるだけでもアナタは私を救います。

ヤフーニュースやスマートニュースにも掲載されています。

コメント欄は相変わらずですが…(ヤフコメ民に生きがいを与えてる私、エライぞ!)

さて、noteでは元ネタとなった原稿を掲載します。QJwebではだいぶカットしているのでけっこう違うと思う。

コチラです。

なぜ私はダサいのか?

私はオシャレが苦手だ。
嫌いという意味ではなく、得意ではないという意味だ。もっと簡単に言うとダサいのである。

ダサさに加えて、ここ10年ほどは特に無頓着で、40歳の既婚者だが母親が買ってきた洋服ばかり着ている。

事務所の先輩達からも、「そのスニーカーと服合ってないよ」「メイクと服おかしくない?」「いつもホームレスみたいな格好してるよね」と散々な言われようだ。3人以上の先輩に別々のタイミングで言われてるので、たぶん本当にダサいのだろう。

なぜ私がダサいのか?
その問題と向き合ってみようと思う。

昔はオシャレになりたかったし、オシャレだと言われたかったし、何よりオシャレが好きだった。

高校生のころは雑誌に掲載されているブランドのお店を探しにラフォーレ原宿や渋谷109にも行っていたし、芸人始めたての22,23歳頃もマルイや伊勢丹などで洋服を買ったりしていた。

“オシャレな写真だけをアップする”と言うテーマで始めたインスタは、最初こそ背伸びして頑張っていたものの、月に一度アップするかしないかくらいに頻度が落ちた。オシャレから遠ざかって生きているのに身の丈に合わない目標を掲げてしまったせいだろう。
そもそもインスタのコンセプトに飲まれた感もあり、私がやってる全SNSの中で一番フォロワーが少ない。その時点で力の入れ方を間違えているのも失敗しているのも目に見えている。

しかし、私の中で一番理想の自分は、他人の目を気にすることなく生きることだった。
18歳のころ、東京へ向かう電車の中でふと思ったことだが、今でもハッキリと覚えている。
そんな理想を抱くぐらいなので、昔から自分がしたいからオシャレをするわけではなく、他人にどう思われたいかで洋服を選んでいたかもしれない。

自我が芽生え、思春期を迎え、自分で服を選んだりするようになってきっと30年近く経つだろう。
私がダサいのにはちゃんと理由がある。

その1、楽な服が一番好き。

オシャレは我慢だとよく聞くが、私はとにかく楽なのが好き。
キツいのも嫌だ。ぴったぴたで動きづらいのも嫌だ。金具が当たって痛いのも嫌だ。素材がチクチクして気になるのも嫌だ。
高級で汚さないかヒヤヒヤするのも嫌だ。
アイロンをかけなきゃシワが目立つような服も嫌だ。
結果、汚れてもよい動きやすくゆったりした洋服を着ることになる。

その2、安い服が好き。

1000円以上の服はめったに買わないし、2000円以上は3年に1度くらい。(推しのグッズTシャツなどは除く)
昔、GUCCIのサングラスを購入して一か月もたたないうちになくしたことがあるトラウマ。
高くても似合ってなければ評価は低い。
昔はこれを身に着けているから大丈夫、という自己満足が自信に繋がっていたところはある。

その3、超機能性重視

夏に限って言えば、もちろん暑いのが嫌だ。楽ちんなTシャツしか着ない。汗染みが見えやすい色のTシャツは気を遣うので白か黒しか着ない。
仕事や運動などで着替えが必要な場合、現場にちゃんとした更衣室がなく、トイレでしか着替えられない場合、狭いところで着替えるのが嫌だしトイレの床に洋服の裾が付いたり、落としたりするのが嫌なので基本どこでも着替えられるようにひらひらのロングスカート。最近スカートをはくようになって女性らしくなったと言われたが、可愛いから履いているのではなく、着替えに便利だから。
そして私は三度の飯よりポケットが大好き。
女性のスカートやパンツはシルエットを大切にするという名目でポケットがついてないことが多い。
これが本当にストレスで、ハンカチでもスマホでもスッとポケットに入れられた方が便利に決まっている。
メルカリで「ワンピース ポケット」で検索し600円で購入した商品にポケットが付いておらず返品したくらいポケットが大事だ。
私は500㎖のペットボトルや折りたたみ傘までポケットに入れる。
もちろんその分ポケットは不格好に膨れ上がるが、見た目の美しさより過ごしやすさ便利さを重視してしまう。 

その4、お母さんが服を買ってくる。

母が買ってくる服がめちゃくちゃオシャレかと言うと、そんなことはない。母は予防線を張って「部屋着にしてね」と言う。
ずいぶん昔に私の洋服は買わなくていいという旨を伝えたが、親心なのか買い物依存症の言い訳なのか、会うたびに洋服をもらう。ひと夏で3.4枚のTシャツをもらう。
気に入って頻繁に着ているものもあれば、全く趣味じゃない時もあるし、サイズが絶妙に合わないことも多い。
私もその場で「いらない!」と投げ捨てるほど鬼畜ではないし、SDGsを尊重したいのでむやみに捨てたりもできない。
一度、本気で洋服を買うのを叱ったら、「酒もタバコもやらず趣味もないんだから買い物くらい好きにさせろ!」と怒られたので、母が選んだ洋服を着ることくらいしか今している親孝行はない。果たしてそれも親孝行と言えるのかはさておき…。

その5、好みがない。

元々、女性の服にあまり興味がなく、メンズやユニセックスなものばかりだった。ブランドの洋服を購入していた時もメンズのものが多かった。
今も本音を言えばボーイッシュな格好をしていたいが、年を重ねて、男に間違えられるのに疲れてしまった。
女性トイレや女性用車両で語気強めに注意されたり、若い頃はそれも全部ネタとしてそれも一つの経験だ。と納得していたが、40歳にもなるとそれにだんだん疲弊してしまった。もうお腹いっぱいですよと、いつまで間違えられるんだよもう飽きたよとうんざりしてくる。悪いことしていないのに気を遣うし、むしろ間違えられたらバレないように演じなきゃとすら思っていた。
こだわりが薄れてきているのと同時に、好きな服を着たいと言う気持ちより、間違えられるわずらわしさから解放されたいと言う気持ちが勝っただけだ。
多様性の時代に反する発言で申し訳ないが、
女性の服に興味がない→オシャレなものを選ぶ情熱がない→なんでもいい→ダサい。という結果に至っている。

以上の5点を踏まえると、楽ちんで安くてポケットがあってお母さんが買ってきた服で女に見えるもの。

合理的に考えた上で、ダサくなってしまっているだけで、合理的であればオシャレしたい。

奮起し、思い切って買ってみても上記5点のどれかが理由で合わないことが多い。
結果、どうせ着ないという統計が取れてしまっているため、買わないに至る。

さらにダサい理由はまだある。

自慢するほどではないが私はそこそこスタイルはいい方だ。
身長も173㎝と高くて細身。
そのおごりが私をよりダサくさせている。
私自身が裸一貫でカッコ良ければ、別に着るものはどうでもいい。
そう考えると、ブランド物を買っていた頃は、今より10キロ太っていたり、片想い中だったり、何かしらの劣等感を抱いていた時だ。

デブだったころはアジアンテイストの洋服で個性派を演じで正解が分からない状況を作っていたし、ボーイッシュな格好してた頃は女性らしさから逸脱することで、女の格付けから降りてた節もある。

今は誰にどう見られようが気にしない。絶対的に愛してくれる旦那さんがいる。
そう思うと冒頭で話した「他人の目を気にせず生きる」という理想の生き方ができるようになったのかもしれない。
年を取ることにむちゃくちゃ怯えていた私だが、40代って悪くない。むしろ生きやすい。

開き直った40代は心が楽だし、毎日がむちゃくちゃ楽ちんで楽しい。

おまけ


※最近、SHEINでめためた安い服を買いそろえて再びオシャレインスタ頑張ってるのでチェックしてみてね!

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