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実写版『ヲタクに恋は難しい』に引き継がれた『電車男』の功罪

 元々観に行くつもりはなかったが、実写版『ヲタクに恋は難しい』を観てきた。本作に対する酷評がかなり目立ったからだ。僕はあまりに酷評が目立つと一体どんな映画なのかと興味が湧き、観に行くつもりがなかった映画でも観に行くことが多々ある。それで実写版『ヲタクに恋は難しい』を観てきた訳だ。

 それで実際どうだったのかというと、はっきり言って全く面白くなかった。僕は原作コミック、ノイタミナ枠で放送されたテレビアニメの両方に目を通しているが、それらに対するリスペクトの欠如が際立っていたように思う。鑑賞中に一体何を見せられているのか分からなくなったことが何度もあったし、「これは俺が脚本書いた方が面白いものが出来上がるに違いない」という錯覚さえ抱いた。これは原作において魅力的な4人のキャラクターの絡みをほぼ全て削ぎ落として、顔芸と奇声、笑えないギャグに走ったことと、『ラ・ラ・ランド』のエピゴーネンと思われるようなミュージカルシーンのせいだろう。そしてそのミュージカルシーンも異様に長いのだ。
 
そもそも『ヲタクに恋は難しい』という作品に、ミュージカルの要素など必要あるだろうか。僕は無いと思う。制作陣にとってはオタクの恋愛模様以上にミュージカル要素が重要だったのかも知れない。しかしそれならオリジナルできちんとやればよかったのではないか。良くも悪くも福田雄一監督は現在の日本映画界を代表する売れっ子な監督なのだからやりようはあるだろう。本作の原作をベースにしてミュージカル映画をやる必要は絶対に無かった。

 そして本作に対する批判で最も目立つのが「オタクに対する蔑視」というものだが、僕は正直そこはあまり感じることは無かった。確かに本作で描かれていたオタクという生き物は、オタクと思われる僕の目から見てもどこか異様ではあった。しかし福田監督はじめ、ほとんどの制作スタッフは確信犯的にオタクをバカにするつもりはなかったのではないかと推測する。彼らは単純に日本のオタク文化というものに無知なだけだからと思うからだ。
 本作で描かれるオタクは全てステレオタイプなオタクな訳だが、そのオタク像の源流はやはり2005年7月から9月にかけてフジテレビ系列で放送され、平均視聴率21%を記録したドラマ版『電車男』にあるだろう。ドラマ版『電車男』は映画版と異なりオタクの主人公を押井守作品などが好きなオタクではなく、より”萌え”などを好む秋葉系のオタクとして描いている。そしてドラマ版『電車男』ではオタクを徹底的にダサくてキモい存在として描いた。高視聴率を記録したドラマ版『電車男』は結果としてオタク=ダサくてキモいというレッテルを非オタクの人々の中に醸成した。実際当時まだオタクではなかった小学生の僕は、オタクという生き物は皆ドラマ版『電車男』に登場する主人公のような人間なのだと、自らがオタクになるまで認識していたものだ。そしてドラマ版『電車男』で描かれたオタク像は、実写版『ヲタクに恋は難しい』にまで引き継がれた。登場人物こそ美男美女で、服装には清潔感もあり、それなりの大企業に勤めていそうではあるが、それを除けば15年も前のドラマ版『電車男』に登場する秋葉系を好むオタク達と変わりはない。

 このようなことから僕は福田監督はじめ、制作側は今でもオタクという生き物は『電車男』に登場するオタク達と変わらないと思っていただけのように思う。確信犯的に蔑視している訳ではなく、良くも悪くも単純にオタク文化に無知なだけだ(それ自体が蔑視であるという意見もあるかも知れないが)。少なくともオタクを題材にした映画を撮るのであれば、もっとオタク文化を研究する必要はあったと思う。しかし所詮は『電車男』を引き継いでいるだけで志の高い仕事をしようとする気はなかったのかもしれないが。

 過剰な顔芸と奇声、異様に長いミュージカル、そしてドラマ版『電車男』から引き継いだステレオタイプなオタク像。これらが合わさり単純に面白くない映画だった。久々に1400円(レイトショー価格)と120分という時間をドブに捨てた。ただ『ヲタクに恋は難しい』の原作コミックとアニメ版は面白く素敵な作品なので、実写版のみを観て楽しめなかった人も、まだ目を通してなければ原作までは否定しないで欲しい。

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