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12歳で右翼になった少年

 かつての僕のことである。僕は小学6年の頃に右翼的な人間となった。今でこそ江藤淳や小林秀雄、エドマンド・バークといった先人を尊敬しているが、僕が右に傾いたのは保守派からの影響を受けてなどではない。原因はプラモデルである。

 僕の祖父は模型作りが趣味だった人で、ある日模型店に一緒について行った際、零式艦上戦闘機、いわゆる零戦のハセガワ製の1/72スケールのプラモデルを買ってもらった。そして完成したプラモデルと、箱絵の零戦のイラストは12歳の僕の目には異様にカッコよく映った。買ってもらったプラモデルは次の写真の製品だ。

 それから僕はプラモデルと日本軍の戦闘機や艦船に魅了された。最初はプラモデルを完成させることと、純粋に戦闘機や艦船のビジュアルが好きだったわけだが、徐々に「この戦闘機はどこで戦ったんだろうか」、「この船はどこで戦ったんだろうか」といったことに興味を持ち、大東亜戦争の戦史を調べ始め、太平洋の島々で起こった各戦闘や当時の日米両軍の指揮官などの知識が自然と増えていった。そして次は「なぜこの戦争は始まってしまったのか」ということに関心を抱いた。当時の政治状況などを調べていくうちに、「大東亜戦争は正義の戦争であった!」という結論に至り、こうして12歳の右翼少年が誕生した。

 中学1年にもなるとその右翼ぶりはますます加速し、第1次安倍政権が誕生した際は熱烈に歓迎したことを覚えている。学校での朝読書の時間に安倍首相の『美しい国へ』という本を読んで感銘し「憲法9条は絶対に改正すべきである」という考えをさらに強固なものにした。今思えば『美しい国へ』は大した本ではないと思うが、「憲法9条は絶対に改正すべきである」という考えは当時から変わってはいない。それから高校を卒業する辺りまで、ある意味ネトウヨ的な人間として育った。しかし友人たちとの交流関係においては政治的な話などを一切してこなかった為、僕の周りから友人たちが去っていくこともなく、本当に助かったと思っている。

 大学に入ってからは古典や名著といわれる類の本を読むようになり、リベラル的な知識も取り入れて、ネトウヨ的な幼稚なものからは決別した。しかし僕は今でも自分は右側の人間だと思っているし、右か左かと聞かれることがあれば率直に右だと答える。今でも憲法改正を夢見る気持ちは、12歳の頃から変わっていない。


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