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写真集と「新しい」メディア:新しい技能と形態 (写真集1) / 制作日誌2

写真集を編んだ。写真集を写真集として編むのは、初めてのことだ。 一度だけ写真を用いて展示をしたことがある。A4の厚手の用紙の真ん中に、正方形の画像を印刷して10枚ほど展示をした。その頃は制作が本当に嫌だった。だから構成なんてまともに考えられなかった。 スマートフォンで編む写真集は、独特だ。サイズとページ数、掲載写真を決め、テンプレートで配置位置を決める。編集画面を見ながら配置していき、プレビュー画面を見ながら調整していく。 人物を掲載することは決まっていた。ある写真を見

    • お知らせ : <芸術私批評online>

      <お知らせ> 非専門家による批評=既存の「批評」の枠組みではななく、ごく個人的な体系によって書かれた批評 を「私批評」と定義し、執筆された私批評を公開するメディアを運営しています。 芸術私批評online | 非専門家の芸術批評が読めるWEBメディアhttp://geijutsushihihyo.online/ 企画自体は二年前からあるのですが、サイト構築をせず放置していたのを、最近リニューアルし直しています。 未だ未完成なサイトですが、みなさまのご意見・ご感想など頂

      • 心地良い物語と <人の形をした人> : 映画版「キャッツ」1

        映画版「キャッツ」は、私たちが普段、いかに「気持ちの良い映像」ばかりを見させられているかに気付かされる、前衛映画だった。 ストーリーの存在しない詩を舞台として成立させるため、グリザベラというキャラクターとわずかな「舞台装置」を付与した舞台版「キャッツ」。その舞台を映画に据え置くため、映画版「キャッツ」では様々な工夫が凝らされている。 その様々な工夫は、少しずつ外れていく技術的制約の中で、私たちがこれまで見たことのない映画体験をもたらしてくれた。 この映画でもっとも混乱す

        • 含まれる時間:テーマ・時間 (写真集3) / 制作日誌5

          写真集をそれから2冊編んだ。全部で3冊。 最初の写真集を編みながら、写真集にはテーマが必要なのだと感じた。2冊目からは最終的な構成を頭で考えながら写真を選べるようになった。余計な要素は除いて、見せたいものを見せることに集中できるような構成にした。 編集の妙だ。 それに従い、写真の不足も見えてくる。枚数や構図など。この作業に伴って撮影する写真も変わるだろう。編みながら撮る。撮りながら編む。この作業の中でブラッシュアップが行われるのか。 3冊の写真集の中で、最もうまくいっ

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          アクリル絵具と冗長性 (アクリル絵画1) / 制作日誌4

          粘土の彩色のためにアクリル絵具を使った。絵具を使うのは何年ぶりだろうか。いつも絵具を使うたびに思うのは、絵を描き終わった後の、色の試し描きに使った紙が一番綺麗だということだ。 アクリル絵の具は、冗長な画材だ。さらには、時間を巻き戻すこともできる。これまでは透明水彩や、アクリルを水で伸ばして使っていた。色を混色しながら重ねていく。白も重ねることができる。何度でもやり直すことができる。これは面白い発見だった。 色が混じっていくのが好きだ。パレットの上で混ざる色を思い思いに取り

          アクリル絵具と冗長性 (アクリル絵画1) / 制作日誌4

          写真の体験 : 写真集とスマートフォン (写真集2) / 制作日誌3

          実際に写真集が届くと、予想以上に予想と違い、驚いた。 フリックではなくページを捲るという動作、サイズ。ディスプレイではなく紙であるということ。解像度。プレビューと諸条件から想定していたよりも違ったものになっていた。特に解像度は、小さなディスプレイのスマートフォンで見るよりもかなりシビアなドットとなり紙面に浮き出ていた。解像度が違うということは、予想よりもはるかに影響を及ぼす。 写真集で写真を見るということは、スマートフォンで見るよりも大げさに見える。次のページに到るまでの

          写真の体験 : 写真集とスマートフォン (写真集2) / 制作日誌3

          造形と身体:推測と超越(粘土1) / 制作日誌1

          久し振りに粘土を取り出して造形をした。単純な制作なら十年ぶり、それ以外のものも含めると半年ぶりくらいだろうか。 粘土を扱うと、自分の身体と粘土がかけ離れていることに愕然とする。普段スマートフォンを覗く時のように、ディスプレイに表示されるキーボードをフリックする時のように、意志と身体が一致してタイプを生み出すことを許さない。粘土は、常に私の外部である。今は手のひらに収まるような大きさだが、これがもしも、自分の身長よりも大きな塊だったらどうだろうか。 粘土を捏ね、造形する。造

          造形と身体:推測と超越(粘土1) / 制作日誌1