ウーウー族とAIと不穏な未来と
このツイート。
同じ感覚を持っている。ただ、憐れみが強い。
なまじ作文と識字ができてしまうからこそ、喋れるからこそ、その苦しみは産まれるんじゃないか
なんてつい思ってしまう“ウーウー族”が、この国にはたくさんいる。
昔、文鳥を飼っていた。
ぶんちゃんは、理不尽極まりない。
近づいてくる割に構おうとすると、激昂し啄んでくる。あとその辺にウンコを撒き散らす。わざわざ僕の上にきて、肩や腕にウンコする。ユニクロだろうが、ヨウジだろうが、見境なく。
ただ当然、ぶんちゃんに“悪意”はない。ウーウー族も多くは一緒だ。
僕はウーウー族のことを“文鳥”だと思っている。だから“良い”し、少し、不憫に思う。
ウーウー族のゼロヒャク思考について
物事にはグラデーションがある。世の中のことも身体に起こることも、0か100かハッキリした事象の方がずっと少ない。
しかしウーウー族は搭載しているCPUのスペック(処理できる情報のキャパ)に難がある。
彼ら彼女らは、この曖昧で複雑な世界を、曖昧で複雑なまま捉えることそのものに強いストレスを感じてしまう。
そこで、代償手段として“ゼロヒャク思考”を用いる。
ウーウー族は物事を0か100か、良いか悪いか、四捨五入して二項対立の構図として単純化し捉える。というか最早、その判断すら他人に任せる。白ですか?黒ですか?効果はありますか?ありませんか?ヤバいですか?ヤバくないですか?ひとに聞く。どっちでもないよ、と答える。
けれど、そうしてキャパの節約をしないと、頭がパンクしてしまう。考えること自体、できれば早くやめたいのだ。“答え”を急ぎ、白か黒かの枠に無理やりはめこむ。コレでOK‥次の問題にいこう、と。んなことをしても、グレーはグレーである。
世の中は複雑で曖昧で、無数の変数が絡み合ったグラデーションにより成り立つことは変わらない。ゼロヒャク思考では、ちっとも捉えられない。結果的にエラーが起こる。起こりまくる。
りんごは果物…バナナは果物…つまりりんご=バナナ!みたいな、あまりにも荒い世界を生きている。概して語彙も乏しく、論理と感情の切り分けも苦手。りんごをみて、これはバナナだろ!と怒ってくる。ウーウー族の人間関係にはとにかくトラブルがつきない。なんかずっと、ウーウー小競り合いをしている。
動画が100万回まわると大勢のウーウー族から質問が来る。ゼロヒャクの回答を求められる。レスバも暇な時は受け付ける。
現代文0点だった?というくらい、文脈と無関係かつ共有されていない前提の話をされる。マクロの話にミクロの話が反証になるわけではないことが理解されていない。会話が成り立たない。教育の敗北を感じる。将棋や遊戯王みたいなやり取りはできず、雑談しても暇はつぶせない。AIの方が、話せる。
言語に聞こえたそれは“鳴き声”だった。たしかに、彼ら彼女らにとっての会話はグルーミングだと思えば、腑に落ちる。犬猫のコミュニケーションにコンテクストもクソもないのはわかる。であれば冒頭の話じゃないが義務教育、別になくて良くね?むしろマイナスじゃね?と思えてくる。
ゼロヒャク思考の使い手ウーウー族か、それ以外かで、みえる世界は違う。ファミコンとPS5くらい明度も彩度も解像度も違う。彼ら彼女らがみているグラデーションなきモノクロの世界では「4と5」も「2と8」も全部「0と10」に映る。なので基本、食い違う。いつもどこでもウーウーウーウー大騒ぎ。
ウンコが届き、加速する分断
単一民族ゆえのムラ社会器質、権威主義。会社に文句を言いつつ、なにもしない。嫌なら辞めればいい。奴隷じゃあるまいし。
今どきスマホひとつあれば簡単に起業できる。勉強もHP作成も開業届の提出も集客すらも、誰しも手に持ってる板1枚で寝転がりながらでもできる。最高の時代だ。あまりにも恵まれている。のに考えも行動もせず、ぬるま湯に浸かり続ける。過労死するまで社畜する。
不満があっても努力しない。暴動すら起こせない。考えない。やってみない。無意味に人目を恐れるだけ。匿名・顔出しなしの「ネットイキり」に勤しむだけ。日本人はそんなヘタレ民族だ。
苦しいのは政治のせい?いやいや、せっかく素晴らしいツールがあるのにウーウー鳴き声をあげる以外なにもしない君のせいじゃないかな。国とは人だから。そりゃあ、国も傾くよ。
Xや各SNSコメント欄において、ウーウー族は内に秘めていた(昔は届けようがなかった)自慢のウンコを日夜投げ散らかしている。賑やかでなによりだ。
しかしそんなコメント欄の治安だが、近年(字義通りの意味で)良くなってきたように感じる方もいるかもしれない。特に発信者は
そう。AIだ。
AIの精度が高まり、ヨウジの上でウンコをするぶんちゃんよろしく悪気なく人倫を踏み外してしまうウーウー族は、最後の拠り所であった「ネットの世界」からもBAN(強制退場)されるようになりつつある。
ROM専(見ているだけの人)にはない感覚かもしれないが、SNSはスポンサーの為に存在し母体は営利企業なのだから、不適切と判断されたものが消されるのは当然だ。
そしてこれは余談かつとても不穏な話だが
現代の戦争では、誰をこの世からBANするか?(誰を殺害するか?)のリストの作成までもAIが担っている。
AIが人の生死すらをジャッジし始めているのだから、司法における審判をAIが担ってもなんら不思議ではない。感情に左右される人間よりも、AIのほうが、ほんとうの意味で公平な判断はできるだろう。
弱者は強者の善意にタダ乗りし、感謝するどころか妬む。日本に元々ある傾向だ。全てをハラスメントとしバカを尊重しすぎる「お気持ち優先社会」と化している。そしてこれらはスマホを手にしたウーウー族によって、年々ひどくなっているように感じる。溝は深まっていく。見える化が進み、ウンコが届くようになり、あきらかに分断は加速している。
AIが台頭し、慈悲的差別もなくなり、公平で平等な世界になればなるほど、基本的に厳しい戦いを強いられるのはウーウー族だ。
居場所がなくなる。空虚な居場所しかなくなる。居場所をなくした寂しい人はだいたい“狂う”。乱世が来る。
先述の通り多くの日本人は何かに文句があっても、公衆便所の落書きのようにネットに書き込みをするのがせいぜいだ(これはこれで悲しい。皮肉ではなく)。けれどそんな日本においても今後いわゆる“無敵の人”は若干増えるのかもしれない。既に“マグマ溜り”があちこちで発生している感覚がある。
少なくともウーウー族以上、無敵の人未満の日常生活レベルの“ヤバい人”とのエンカウント率はここからの十数年で急上昇するだろう。
これはもちろん人口動態の変化や多国籍化など他の様々な因子も介在しての結果ではあると思うが、基本的にはさっきも言ったように、“居場所をなくしたウーウー族”が暴れ出す。いずれにしても、これまで僕たちが享受してきた「安心安全な日本」はきっと保てない。
無敵の人のたまごであるウーウー族との接見は物理的な危険を伴う。彼ら彼女らは理不尽に啄んでくる。理屈は通用しない。何をするかわからない。
ので、それぞれ日頃からシミュレーションするなり、筋トレするなりして乱世に備えましょう。ウーウー族の皆様におかれましては、とりあえずスマホを捨てて、なんかゆっくり本でも読んで、理性を取り戻し、人に成りましょう。
ご馳走さまです!