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明滅の記憶

このまま全部消しちゃえばいいと思った。
手に入るものなんか最初から何も望んでいなかったのに、私ら全員結局ただのヒトであって体も性も失えないのに、勝手に期待して勝手に失望して肥大化した自己愛をぶつけあって、そういうのすべてくだらないと思った。電脳世界に魂を預けたところで根底はなにも変わらない。つかれてしまった。主義も思想も持ってない、あんなに失いたいと喚いていたのに身体だけが残ってる、感情ですら手放しちゃったし、私はわたしを諦めた。
私の傀儡。嫌いな音楽聴いてる友達、Instagramみたいな生活、流行りの肉声邦ロック、淡い茶色やベージュの服、それらをおままごとみたいに並べてく。幸せそうだね、って、当たり前だろそう見せてんだよ必死になって、だってこんな不細工が真正面から戦ったところで勝てないし、不幸ぶったところで誰が救ってくれるというんですか。だから私はそれがどんなにサイアクな方法だろうと賢く器用に生きる、そればかり考えていた頃に戻るだけの話だ。おぼこなフリして出会ったばかりの大人に口説かれたりして、ああなんかもうこれでいいんだ、って、私も好きです愛してますって、口に含んだペニスに歯を立ててごめん全然慣れてないのなんて嘘ついて、このままわたしを噛み殺しちゃって、そうして適当に幸せになって、きっとつまんねー人とつまんねー結婚とかして地元に戻っちゃったりして子供を産んで。今の私ならやれる気がする、そしたらちょっとは愛せるようになるかもしれない、そう思ったりした。
けれど馬鹿みたいに好きだよ好きだよって繰り返しながらビタビタ腰を打ち付けている男を目の前にするとそれはやっぱり違うとわかる。〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、それは私の望んだ名ではないけどたしかにこの世で貰った私の名前で、大事に、けれど征服するような響きをもった甘い声で呼ばれるたびに(お前にわたしの何が分かるっていうの)と叫び出したくなるし、まるでお姫様にするみたいにねっとりとした恭しさをもって恋人繋ぎをさせられるたび、気持ちが悪くてその手を千切りたくなる。思えば保育園のお遊戯会でも私がやりたがっていたのはもちろんお姫様でもなければ魔女でも村人でもなく、ただのナレーターだった。そこに出てくる人間たちになることなんかに興味はなくて、物語や言葉そのものが好きだった。私は私の見えている景色をただ妄言のように繰り返す、それだけがよくて、あまり意味の無い文字列にしかなりたくなかったなぁって、ぼうっと天井を見ながら思い出す。自分の存在の荷重に耐えきれなくて、自殺ばかりを唱えて人を不快にさせたり傷つけたり。こんなに醜くなったって、それでもまだ生きてしまう、物語になることを諦められずにいてしまう。罰してくださいと唱えてたって神様なんて来てくれない。それでもすべての重さを暗んだ身体で抱えたままに、これからもずっとひとりで歩いていくということ。それだけはわかる、わかるよ。

(以下は断片的な日記です。)


もう言葉も出ないんです。本を読んでも音楽を聴いてもなにも響かなかった、詩的なツイートが煩わしくて仕方なかった、全ての声がノイズに聞こえる、小さな言葉で泣いてしまった、一番好きだった歌集を開いてもなにも感じなかった。死んだ方がいいよこんなのもう無理だよ、と言って命を絶つほどの元気も勇気も何も無かった。生きるのに必要なものはあるはずなのにずっと虚しくて、死にたいとも言えなくて、贅沢だ、と思いながらただ心を殺して体を動かして、干枯らびるのを待っているだけの日が続いてる。


またひとつテストを飛ばした。たちあがれない。私このまままた失っていくのかな。


地元にいた頃の私はもっとすべてを諦めていた。来る者拒まず去るものも取り上げられるものも追わずみたいな気持ちで生きていて、なのに東北を出てちょっとした自由を知って、だんだん狂っていってしまった。好きなものへの好きが段々肥大化して執着に変わっていった。夜も昼も上手く来ないのが悪化して、ずっと涙が止まらなくなって、ギリギリで、けれど賢く保ってたはずの自分の輪郭がほんとうに崩れ始めた。自分以外誰も悪くないのに好きな人達ばかり傷付けて、これ以上このまま生きていくのが怖かった。好きだった数人と距離を置くことになって、だから本当は少し安心した。散々傷つけたくせに許してもらえるなんて思ってないけど、私はあなたといられて楽しかったですと、ありがとうございましたと、言えばよかったなとか、それも自己愛で、ごめんなさい。私からはもうなにも言えることはないです。


しにたい、それしかない。


仮想的な自殺、借り物の生、私なんて元よりどこにも無いのに私は私を殺したい。消えていなくちゃ堪らない。


ドライフラワーを買ってきて部屋に飾った。ドライフラワーを部屋に飾るなんて行為は"それっぽ"すぎて今まで避けていたけど、生花を扱う器にないのは分かっていたし、自分が人間であることを忘れられる何かをとにかく部屋に増やしたかった。三種類くらい買ってきた、そのうちひとつの赤い花の、その閉じきっている蕾が嫌で、開かせようとしたら割れてしまった。乾ききっている花弁が開くわけはないのだと、分かっていたのに無理やりこじ開けようとして壊した。こういうことばかりだ。


アカウントを消して丁度2週間経った。Twitterを見なくなって精神がちょっとだけいい。今日は大阪でNGフェスがあった日だった。といって今回は行けなかったけれど、来年こそは絶対に行きたい。なつもののきもの。


眩暈がする眩暈がする眩暈がする、おまえが格好つけてよくいう言葉、創作物になった日々。クラクラと失敗ばっかり輝いていて目が眩む。東京に生まれることができなかったこと、校庭で顔からコケて鼻先低くなっちゃったこと、アンパンマンって揶揄われた笑顔を貼り付けたまま廊下に零れた牛乳拭いていたこと、あの時多機能トイレで膜をあげちゃったこと、せんせいの前で泣けなくて抱きつけないまま卒業したこと、受験戦争負けちゃったこと、ずっと一緒にいたかった人と寝てしまったこと、黒いエレキを選べなかったこと、夏をまだ続けていたいと願ってしまって海で花束捨てられなかったこと、結局あの子と同じ言葉を吐き捨てたこと、えろい気持ちでにんにくラーメン食べちゃったこと、あの日自撮りを送っちゃったこと。 盲目的な愛をぶつけて、あなたのこころを傷つけたこと。


スピノザやシモーヌヴェイユの本を読んでいる。哲学書は私の頭じゃ分からないと思っていたし何度も挫折しそうになっているけれど、今は人間なんかに関わるよりも分からない言葉を浴びることの方がずっとずっと心地がいい。

これだけ人間嫌いみたいなことを言っているのに人を信じてしまうのが自分の悪癖だって気付いた。もうそういうのやめた、ほんとに辞めた。私にしか私は守れないし、私がすべてを預けるべき人間なんて存在しない。いつも心にサボテンを。


神聖かまってちゃんのライブ映像を見たら本当に良くて泣いてしまったし、私はこんなところで何やってるんだろうと思って、ちゃんと生きようと決めた。
イヤホンを高めのやつに新調して、BGMじゃなく正面から音楽を聴き始めた。憎くてにくくて仕方なかった人の名前を忘れていた。好きな匂いの柔軟剤を見つけた。髪をボブまで切ってインナーカラーを黒に戻して、巫女のバイトをしながら年を越した。御籤を渡し続ける機械になって、神聖、信仰、崇拝、そういうことばかり考えている。人から貰った券を使って、久々に過食の部品としてじゃなくコンビニのツインシューを食べたらちゃんと甘い味がした。 あ、生きてるなって思った。親の前でしか着なかった服を段ボールに詰めた。 2ヶ月前まで顔可愛いやつ地獄に堕ちろくらいの気持ちで見てていた女の写真を久しぶりに見たら、もうそんなに羨ましくもなかった。買い溜めていた歌集も読み始めたし、また短歌をやりたいなと思えてきた。回復している。


一人で眺める鴨川がすきだ。大きな水の流れを前にして人が無力であること、それはやっぱり恐ろしいけど、たまに小さな救いにもなる。小学校のプールの時間に見た、水中のあの音を失った世界に比べたら、人間なんて全てノイズだ。

明滅、明滅、明滅を繰り返し、どんどんクリアになっていく。わたし大丈夫、まだやれる。腹を決めれば傀儡を解いて唾棄してく、壁の造花が静になる。棘のない指で手繰り寄せてく、この身を抱いて脚広げれば、雪の降らない地に立っている。
もうすこしだけ、ここで生きてもいいですか。

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