精神障害を抱えた大学生であるということ

高校生までと大学生は大きく違うと私は捉えている。簡単に言ってしまえば、やはり大学生は「自己責任」が増えてくる。障害のせいで一日中なにもできなかったせいで課題が提出できなかったとしても自己責任なのである。

できないこと

私は人よりもできないことが多い。とても多い。まず、よく言えばすべての課題に全力を出し切らないと気が済まない。オブラートを溶かして、本音で言えば、そこそこ手を抜くということができない。皆のように「この辺でいいかな」ができない。それならばそれで全ての課題に全力を尽くせばいいだけの話しなのだが、そこだけで終わらない。100点の課題を作らなければならないということが非常にしんどく感じて、なかなか手を付けることができない。そして結局ギリギリになって課題に手を付けて60点を取るのである。それは私にとって、自分の心にぐさりと刺さる事実なのだ。「ギリギリまで手をつけなかったせいで適当な形になってしまい、それで60点?ほんと駄目だなぁ自分」と繋がっていく。でも今はそれすらもなかなか難しい。本当に何をする気にもなれず、時々動画を見たり、授業資料を見たり、ゲームをしたり。でも結局どれにも何にも集中できなくて、今はそんな自分が大嫌いだ。

私がやるべきこと

今の私がやるべきことは教員とのつながりを大切にすることなのではないかと感じる。教員に連絡を取って、「今こういう状態だから、少し課題提出を遅れさせてください」と頼み、自分の状態を知ってもらう、それはとても重要なことのように感じる。そうやって教員に自分から連絡を取るか否かも「自己責任」なのである。今日も4人ほどの教員にメールを出した。「なんでこんな課題もできないのかなぁ普段だったらちゃんとやれるじゃん」って自己嫌悪しながらもメールを出した。「これで敬語とか間違ってないかな、無礼に当たらないかな」と心配しながらメールを出した。これを書きながら泣いている。今日はメールも出したし課題もこなしたのだ。えらい。たとえそれが普通の人にとっては何気ないことだったり、レベルの低いものであったとしても今の私にとってはとてもハードルが高かった。それをやり切ったのだ。できるかどうかは別として今日はそんな自分をほめてあげたい。

と、頭がパンクした状態で課題をせっせとこなしながら感じた。

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