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私がロボットである必要性

曲を聞いて

 今日久しぶりに号泣してしまった。とある曲を聞いたのだ。
 MOROHAさんの『革命』という曲。

一回二回負けた位で折れちまうプライドならもう捨てた

MOROHA-革命

悩んでいたこと

 なぜ泣いたのかと聞かれれば、タイミングが重なった、というのが本音だ。普段であれば「いい曲だな」で終わっていたと思う。ただ、ちょうど私は「私が私である必要性」について悩んでいた。
 小説に関して添削していただいている、という話は前回書いたと思う。それで逆に悩んでしまっているのだ。その方に言われた修正ポイントをWordの黄色の蛍光ペンでチェックしているのだが、昨日確認したらほとんどが黄色だった。どの文もセリフも、流れも黄色。つまるところ、私が考えた文章はほとんど残っていなかった。

私が私である必要性

 それって言ってしまえば私が書いたものではないと言えるのではないだろうか。私ではなくその方が考えた文であり、小説であり、作品なのだ。私は何もしていないし、できていない。
「修正は一緒に考えているじゃん」
 その方はそう言うかもしれない。ただ私としては、私の好みの文章、流れではなく、その人が好きそうな言葉を選んでいるに過ぎない。付け加えるならば、それすらも大抵は却下されているのが現状だ。
 だから、私が私である必要性が今のところないのだ。

友人に言われたこと

 私はどうしたらいいのかわからず、前、友人に相談したことがある。その時は「無料で編集者がついてるって思ったらお得じゃない?」と言われて素直に納得した。「確かに普通はお金を払ったり、デビューしなければつかない編集者がついていると考えれば自分は恵まれている」、と。
 ただその結果、私が私である必要性がなくなってしまったのだからとんだ笑い話である。

だからこそ

 MOROHAさんの曲を聞いて思った。今、私は試されている。まだまだプライドを捨てきれていなかったのだ。私は編集の方にプライドをへし折られている最中であり、その程度で折れるプライドなどは将来の私にとっては必要ない。もし何かしら小説でお金を稼げるようになったとして、それが仮に商業だとして、私はその時思いっきりべっこべこにプライドを折られるのだ。むしろ、今のままではその未来にたどり着くことすらできないだろう。
 だからこそ、私は私がいまだに変なプライドを持っていることに気づかされ、それを捨てたからこそステージに立っている人を見て泣いたのだ。

最後に

 私はまだまだプライドを捨てきれないと思う。私の文章を読んでほしい、私の作品を読んでほしいと思ってしまうだろう。
 けれどそんな私はこの世に要らないのだ。「私が私である必要性」がなくていいのだ。「私がロボットである必要性」すらあるだろう。その方がこの世にとって良いし、私はより良い作品を「書ける」から。
 なんて、「私」にとっては寂しくて悲しい事実にこの記事を書いていて気づいてしまい、また泣いてしまった。たぶんMOROHAさんの言いたかった、伝えたかったことを曲解しているのはわかっている。けれどそう思わずにはいられないのだ。
 泣くの、やめたいなぁ。

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