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自傷行為

今回は自傷行為に関して深く書く。しかし私は決して自傷行為を勧めないし、むしろやめられるならばやめるべきだ、とも思う。

自殺行為と自傷行為

この二つは混合されやすい、というのはどのサイトでも言っている。これは正しい。しかし同時に間違っていると私は思う。自傷行為をさせている原因を放っておくと、今度は自殺企図に至るからだ。それだけでなく、本人はただの自傷行為だと思っていても、それがエスカレートした結果、死に至ってしまうこともある。だからこそ混合されやすいのだろう。個人的には混合していいと思う。そういった行為をする人の中には、生を実感するために行っている人や、切ることで自分を罰せたと感じることで今日も生きることができる人がいる。「生きるためにやっている」のだとしても、だ。結果的に死に近づく行為であることに間違いはないし、なによりも、それをしなきゃ生き残れないことこそがおかしいのだ。そもそも普通は自傷行為なんてせずに大人になり、寿命や事故死といった死に方をしていく。そんな中自分を傷つけているのは普通ではないのだと私は思う。

役割

「助けてほしい」自傷行為を言葉にすると、結局はこの一言に落ち着くのではないだろうか。というよりは、私はこの言葉に落ち着く。「私はこんなにつらい」でもいいかもしれない。いやでも「こんなやつ罰せられて当然」ともいえる。どうやら私にとっての自傷行為は様々な役割を担っているらしい。そう、役割なのだ。だからこそ簡単に取り上げるべきものではないし、簡単にやめられるものでもない。その自傷行為が担っている役割を別の何かに置き換えることが出来ていって初めて自傷行為を卒業するのではないだろうか。

リスカなどの自傷行為ばかりが悪とされる

私の両親はヘビースモーカーで、母親はアルコール大好きマンだ。きっと肝臓を壊しているに違いない。少なくとも両親の肺やそこ周辺の臓器を痛めつけていることに変わりはない。それは自傷行為とは違うのだろうか。実際にリスカなどをやってきた人間からすると同じに感じる。ではなぜそれらは許されて、一般的な自傷行為は悪とされるのか、疑問だ。目に見えるからだろうか?切ることは血などが見えるし、薬を飲めば正気を失った姿を見ることになる。根性焼きなども目に見える。それが「自傷行為は悪」とされている原因なのだろうか。というかそもそも自傷行為は悪とされている、というのは私の勝手な思い込みなのだろうか。でも悪でなかったら怒られないだろう、とは思う。「したいと思った」という話をしただけで父親にすごく怒られた。だからきっとしたいと思う自分も、してしまう自分も悪い子で、ダメな子なのだろう。

出来の悪い子でごめんね。

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