矢沢永吉『50年、変わらない歌声を披露し続けるロック界の帝王』(後編)人生を変えるJ-POP[第41回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
新年の年明けは、ロックの帝王矢沢永吉を扱います。一昨年にデビュー50周年を迎え、74歳という年齢を感じさせないパワフルなステージを展開し続ける矢沢永吉のデビューから現在に至る経緯と多くのファンを捉えて離さない彼の魅力について書いてみたいと思います。
(前編はこちらから)
歌声を音質鑑定してみると…50年以上続けられた秘密
矢沢永吉は現在74歳。1972年にデビューして以来、50年以上、歌い続けてきたことになります。それも、ロックという非常にハードな分野の歌を、です。
声帯のことだけを考えると、ロックは声帯にとっては負荷の大きい分野の歌で、特に彼のようにハードロックの場合は、声帯の負担は並大抵のものではないだろうと考えます。
ですが、1972年当時の歌声と現在の歌声を聴き比べてみても、それほど大きな差異を感じませんこれが矢沢永吉という人の並外れた強みであることは間違いないでしょう。
矢沢永吉の歌声を音質鑑定してみると、以下のような特徴を持つことがわかります。
声域は男性の中声区のバリトン
全体に少しブレスの混じったブリージングボイス
艶のある清涼感のある響き
響きに混濁がある
歌声の芯の部分に濃い響きを持ち、その周囲をブレスの混じった響きが包み込んでいる
芯の部分は鼻腔に響いた甘い響き
中・低音域から高音域まで響きは変わらない
話し声と歌声の響きに差異がない
滑舌が非常に良く、ことばのタンギング(子音のアタック)にブレスが混じることが大きな特徴
彼の声の特徴としては、以上のようなものですが、特に感じるのは、話し声と歌声の差異がほぼ感じられないということです。これが彼が50年以上、歌声を保ち続けている秘訣なのかもしれません。
歌手の歌声には、2つのタイプがある
歌手の歌声には大きく2つのタイプがあって、彼のように話し声と歌声にほぼ差異がない人と、話し声と歌声が全く違う人とがいます。
どちらがいいとか悪いとかではなく、持って生まれた声帯の形状や顔の骨格、軟口蓋の形などが声の響きに影響します。
また、発声の仕方も大きく影響を及ぼすのですが、総じて言えるのは長く歌声を保って歌い続けられている人は、非常に自然体の発声をしている、ということです。
彼の場合、ほぼ地声に近い響きで歌っていると感じますが、その地声自体が、鼻腔に響いて自然体で声帯に負荷をかけない発声になっているために、いつも声が歌声のポジションにあると考えられます。
その為に話し声と歌声に差異を生じることなく、非常に自然な形で歌を歌うことができているのではないかと思うのです。
特に彼の歌うハードロックのジャンルでは、力強いパワフルな歌声が求められる為に、このジャンルのボーカリストは声帯に故障を起こす人が多いのですが、彼の場合、一時的に喉の不調を訴えることはあっても、慢性的な疾患が起きたことがないことは、それだけで奇跡的と言えるかもしれません。(一昨年の喉の不調によるライブ中止は、一過性のものと想像します)
非常に弾力のある伸縮に富んだ声帯を持って生まれた、と言えるかもしれず、その点だけを見ても、彼が天から与えられた「唯一無二の歌声」の持ち主であると言えるでしょう。
彼の歌声には大きな2つの特徴があって、1つは、歌声の響きが独特であるということです。
全体にブレス音の混じったいわゆるブリージングボイスの様相をしているのですが、響きの芯の部分には、濃厚な艶のある響きを持っています。その周囲をブレスが取り巻いていることで、幅のある伸びやかな歌声になっているのが特徴です。
また、彼のことばのタンギングは独特で、子音のアタックにこれもブレス音が混じるのです。その為、非常に明確な日本語の発音をしながら、響きはソフトなタッチになって聞こえてくるという特徴を持ちます。
この2つの特徴によって、ハードロックを歌っているにもかかわらず、非常に耳に心地よい響きが聞こえてくる、ということになるのです。
どんなに高音の声を張り上げる歌であっても、聴いている側は、よくありがちな「喉を締め付けられる」という不快感を感じなくて済むのは、この歌声の特徴のおかげだと感じます。
また、この歌声は、音の響きが横に綺麗に流れていく、という特徴を持ちます。この為、彼の楽曲は、どの曲を取っても、縦刻みのハードな音楽にならず、横に綺麗に音楽がながれていく、ということによって、非常にメロディックな音楽になっているのです。
ハードロックにありがちな、歌声が縦刻みにプツン、プツンと切れて、鋭角に響いてくるということがないのも彼の特徴と言えるでしょう。
この歌声が長く人々に愛着を湧かせ、「80代になっても歌い続けて欲しい」と言わせる所以だと感じます。
「矢沢スタイル」で応援し続ける人たち
また、彼が50年、歌い続けてこられた理由に、長く彼を応援し続けているファンの存在があります。この中には、「矢沢スタイル」と呼ばれる独特のファッションで身を着飾ってライブ会場に来る熱心なファンがいます。
この「矢沢スタイル」というのは、男性であれば、白のスーツ姿が多く、スーツのどこかに赤の刺繍で「yazawa」と入っている人が多いです。矢沢永吉のライブ用のスーツ、ということですね。そして、これらのファンの中には、髪も矢沢風カットにし、中には白い帽子を被る人もいるとか。
さらに外観だけでなく、彼の生き方や考え方そのものに共感し、「yazawa」になりきって、彼と共に人生を過ごしていくファンも数多くいるのです。男性のファンが多いのも、彼の生き様そのものが「ロックでカッコいい」と感じている人が多い証拠ですね。
また、女性ではチャイナドレスの着用率が高いそうです。これは彼の楽曲に『チャイナタウン』や『China Girl』『チャイナ』といったものが多いことが理由のようです。
一時期、特攻服にリーゼントという風体で威圧的だったり、旗振りや飲酒をしながらライブに参加するという過激な私設応援団がいたようですが、公式より、「周囲を威圧するような服装の方は入場お断り」というお知らせが出され、今は、とにかくマナー良く!ということが大前提のようです。
「ロック」というと、どうしても「過激!」というイメージが付き纏いますが、マナー良く応援する、というスタイルが定着しているのも、長く活動が続けられる秘訣なのでしょう。
アーティストの著作権や肖像権のしくみをつくった先駆け
彼がもう一つ取り組んだことに、自身の作る楽曲の著作権と自身の肖像権を自分のものにする、ということがあります。
それは、ソロとしての活動をし始めた1978年頃のことです。当時、音楽業界では、レコード会社や音楽出版社が楽曲の権利を有し、CDをどんなに売り上げてもアーティストにはほとんど利益が還元されない仕組みになっていました。
その状況を変えるために、彼は、自分自身で音楽出版社を立ち上げ、著作権だけでなく、グッズの売上販売なども管理し、自らが音楽ビジネスを展開できる仕組みを作ったのです。
この仕組みのモデルになったのが、ビートルズが立ち上げた『アップル・コア』だったとのことで、このことにより、その後、彼はプロダクションの手を借りずに、彼自身の手でライブからツアーなど何もかもを行なっていくスタイルへと変わっていくのです。
このスタイルは、前回、連載で書いた『THE LAST ROCKSTARS』のYOSHIKIなども同様のシステムを取っています。
このように、早くからアーティスト自身が、自分が作ったもの、自分に関するものの権利を自分に帰属させる仕組みを作る。それによって収益を自分の元に集中させ、自由にやりたいことを実現する、というスタイルが少しずつ広がっていく先駆けになったパイオニア的存在としても、彼が果たしている役割は大きいと感じます。
昨年12月には、一昨年、喉の不調で実現できなかった日本武道館150回目の記念ライブを実現させ、変わらない歌声を披露しました。
いよいよ多くのファンが望む「80代になっても歌い続けて欲しい」という願いが現実味を帯びてきています。
これからも彼が歌声を維持し続け、日本のロック界の「帝王」として、パワフルな歌声を披露し続けることを願っています。