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B’z『JAPANハードロックを世界に押し広げ続けるトップランナー』(後編)人生を変えるJ-POP[第26回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

今回は日本が世界に誇るロックバンド「B’z」を扱います。B’zはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク(英語版)」に殿堂入りしたバンドであり、その音楽と実力は日本のみならず、世界から認められている存在です。彼らの30年以上にわたる活動の歴史と60歳を前にして、なおパワフルな歌声を披露しているボーカリスト稲葉浩志の歌声の魅力に迫っていきたいと思います。

(前編はこちらから)

津山市の思い出

B’zの稲葉浩志は岡山県津山市出身。実は、クラシック畑出身の私は、J-POPに何の興味も持っていなかった1990年頃だったかに彼の名前だけは知っていました。なぜなら非常に個人的な話ですが、津山は私の母方の故郷で幼い頃から行き慣れた場所だったからです。

伯父が帰省した母を連れて彼の実家が営む化粧品店に出向いた折、彼の生写真をもらったとかで母から彼の写真を渡されたことがあります。

でも残念ながら、その頃、子育て真最中の私は何の興味もなく、写真もそのうちどこかにやってしまう始末。ファンの人が聞いたら、さぞ、お怒りを買いそうなことですね。

ですが、その時、稲葉浩志という名前と爽やかな彼の笑顔だけは記憶に残ったのです。

それから30年ほど経ち、数年前に津山を訪れた時、津山駅のターミナルに稲葉浩志の大きな画像の入った垂れ幕があったのを覚えています。ああ、そういえば、津山の出身だったなぁ、と。彼が出た津山高校は私の従兄弟も出た学校で県内でも有数の進学校。

そんなこともあって、今回の連載は、非常に懐かしい匂いのする情報ばかりでした。

と、脱線気味な話題はこれくらいにして、B’zの音楽を紐解いていきたいと思います。

稲葉の独特な歌詞づくり

B’zの楽曲は作詞を稲葉が、作曲を松本が行っています。即ち、2人の共同作業で成り立っているのです。

ですが、この作詞に関して、最初は大変だったと稲葉は話しています。

「……最初の辺りはもう苦闘の歴史ですね。『……大変なことがいろいろあるけど頑張るぞ』みたいな(笑)。当時のプロデューサーの長戸(大幸)さんにチェックしてもらって、1枚目の時はそんなに言われることもなくて、『とりあえずやっちゃえ』みたいな感じでやって。レコード会社のディレクターの人たちにも見てもらって、出来上がった感じなんですよね。だから、『一人の天才がデビューした』とか、そういうんじゃないんですよ、全然」(WEBザテレビジョン/2023.2.27

作詞が必ずしも得意でなかった彼は、最初は、松本の曲に適当な英単語を無理やりはめ込み、音楽の流れが悪くならないように仮歌を完成させる。その次にその適当な英単語を日本語に置き換えて歌詞を完成させていく、という作り方をしていたとか。これがなかなかピッタリ来る日本語がなくて苦労したとのこと。

松本も稲葉も洋楽の影響を強く受けて育ってきています。即ち、松本の音楽には当時の洋楽の影響が色濃く出ていたのでしょう。その音楽に日本語の歌詞をつけていくことへの違和感のようなものが稲葉の中にあったのかもしれません。

最初の頃は、訳のわからない適当な英単語をつけて曲の雰囲気を自分に落とし込み、それを日本語に訳す、みたいな、そんな感じだったのでしょうか。
語感が全く異なる英語を日本語の言葉に置き換えるのは、非常に苦労したと感じます。

「……洋楽がメインだったんで、日本語でカチっとさせちゃうと、言葉の響きがなくなってしまうのが嫌だったんです。意味があるのが嫌だったのかもしれないんですけど(笑)」(同前

日本語は歌に最も適さない言語と言われており、英語は、単語そのものに強弱や緩急のリズムを持ちます。英語の歌詞が浮かぶくらい英語にピッタリの音楽に緩急も強弱のリズムもない平坦な発音の日本語を当てはめていくのは至難の業だったろうと想像するのです。

それでも、最初の頃は、スタッフや長戸大幸の力を借りながら、みんなで出し合った言葉を稲葉が家に持ち帰り、もう一度、自分の中に落とし込んで歌詞をつけていく、というような陰の共同作業による歌詞作りもしたように話しているのです。(同前

また、この頃、流行っていたユーミンや桑田佳祐の歌詞を見ながら、参考に出来ないぐらい、ただ、凄いな〜、と思っていたとか。彼らと稲葉の歌詞のつけ方には根本的な大きな違いがあるのかもしれません。

日本のハードロックの「LOUDNESS」の大ファンで影響は受けても、その頃のハードロックの特色であるダークなイメージには行かなかったと話す稲葉の歌詞の作り方は、独自の路線を歩き始めたと言えるでしょう。

ここにB’zがハードロックでありながら、多くの人に受けた秘密があるように感じるのです。ハードロックでありながら、音楽全体が滑らかで人の心に自然に入り込んでくる。そんな世界がB’zの音楽のように感じるのです。

B’zの世界は音の美しさの世界でもある

苦しみながらも歌詞を自分の体感から言葉を選び、それを自身で歌う。松本の作り出す音楽の世界の美しさをそのまま稲葉の歌声が具現化する。このスタイルがB’zの最強のコンセプトです。

そして松本のギターの美しいトーンをそのまま歌声に引き継いで音楽の世界を成立させていく。B’zの世界は音の美しさの世界でもあるのです。

稲葉浩志は現在59歳。声の音質は鼻にかかった明るいハイトーンボイスです。少し鼻にかかった甘い響きが特徴で、その響きは基本的に低音域から高音域まで変わることはありません。

また終始、どの音域もミックスボイスで歌っているのも特徴で、高音域のファルセットやヘッドボイス、また低音域のチェストボイスなどもほぼ使わずに歌うスタイルを貫いています。

若い頃から40代頃までの歌声は、今と比べると全体に少し幅があり、やや太い響きをしているのがわかります。ただ、響きの核になっている鼻にかかった甘さや伸びやかさは変わりません。50代以降になると、全体的に少し声が痩せた印象を持ちます。

これが、長年のハードな歌によって、声帯自身が加齢と共に硬くなり伸縮が悪くなっている印象を持ちます。特に高音部の歌声になると、若い頃には見られなかった、喉に力を入れて下から突くような発声が見られるのは、彼自身も声帯の反応が昔ほど柔軟でない、というのを感じているのかもしれません。

それでも59歳という年齢から考えれば、驚異的な伸びとハイトーンを保っていると言えるでしょう。これは、ひとえに彼が自分の声帯を徹底的に管理している証でもあります。

世界にJ-POPを伝えていく存在として…

2004年に彼は声帯の手術を受けています。彼が40歳のときですね。声帯の手術に多いポリープや結節というものではなく、声帯の水膨れ、というものでした。

前年のツアーも併せて年間150回ほどのステージをこなしている最中の出来事でした。声帯が水膨れを起こすというのは、声帯を酷使し過ぎたときに起こる現象で、2時間、3時間のライブをこなすと普通、声帯は真っ赤に充血しています。

これは声を発する行為自体が、声帯の粘膜を擦り合わせることで成り立っているものですから、大声で歌うのは、それに輪をかけて声帯を強く擦り合わせたり、伸縮させたりするということになります。すなわち歌うことを2時間、3時間と長時間行うことは、声帯に非常に大きな負担をかけることになるのです。

ライブ中は、大抵、2、3日連続で日程が組まれますから、声帯の充血が完全に取れないまま、次のライブを歌う、ということが繰り返されるのです。
これは、高校野球のピッチャーが試合の連続日程で肩を壊すのと同じように、ライブの日程が連続で詰め込まれているほど、声帯が故障する確率は高くなるのです。

特に彼のようなハードロック歌手にとって長時間のライブでの声帯の負担は半端ではありません。

彼は、この手術以降、非常に喉の管理に気を遣うようになりました。禁酒禁煙はもちろんのこと、冷房は極力使わない、楽屋では扉の隙間に目張りをして冷気が入らないようにする。冷たい飲み物は夏でも飲まない、加湿器を4台、楽屋に持ち込み吸入を欠かさない、など、業界でもストイックに喉を管理することで有名です。

これから60という年代を迎え、彼が加齢という難題を解決しながら、伸びやかな歌声でB’zの世界を多くの人に伝えていくことを願っています。世界にJ-POPを押し出す存在として、若い世代に影響を与え続けるバンドであって欲しいと思うのです。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞