AI『後に続くものに平和を伝え続けるミュージシャン』(後編)人生を変えるJ-POP[第37回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回は、女性シンガーAI(アイ)を扱います。『Story』や『アルデバラン』などのヒット曲を持つ彼女ですが、近年、歌手活動に留まらず、音楽を通して世界に平和を訴えかけるなど、積極的に自分の考えを発信しています。また、2人の子供を持つ母親としての側面と歌手としての活動の両立に奮闘しながら、自らの行動で次世代へのメッセージを伝える彼女の魅力についても迫っていきたいと思います。
(前編はこちら)
『アルデバラン』ができるまでの、ドラマチック・ストーリー
AIと言えば、力強い歌声とパワフルなパフォーマンス、そしてR&Bやヒップホップなどのソウル系の個性的なミュージシャンというイメージを抱きがちではないでしょうか。
ですが、そのイメージを大きく変え、どの世代にも受け入れられるシンガーとしてポピュラーな位置に立ったのが『アルデバラン』だったと思います。
『アルデバラン』は、朝のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の主題歌です。このドラマは、母、娘、孫という昭和から令和までの100年を生き抜いた3代にわたる家族の歴史を描いた作品です。
戦争という抗えない出来事によって翻弄され、離れ離れになった家族が、再会し、1つの家族になっていく物語を描いたもので、その時代、その時代を精一杯、家族を守ために生き抜いていく女性の姿が印象的なドラマでした。
このドラマの冒頭に流れるのが、主題歌の『アルデバラン』です。
AIは、最初、自分に連続ドラマの主題歌が依頼されたとき、NHKの担当の人から、『三世代百年のファミリーヒストリーの主題歌を』ということを聞いて、自分の家族の物語にも通じるものがある、と思ったそうです。
なぜなら、彼女の母方の祖母はイタリア人で様々な困難を乗り越えて生きてきた人だったからです(※)。そういう思いもあって、楽曲制作には非常に熱が入ったとか。
全部で9曲ほど、作ってはスタッフに聞いてもらう、を繰り返したそうですが、どうしても納得のいくものにならない。
そんなときに、スタッフの方から、「直太朗くん(森山直太朗)に書いてもらうのはどうか」という話が出たそうです。スタッフは、以前に森山直太朗が山崎育三郎に書いた作品『君に伝えたいこと』を聴いていて、AIにも合いそうだと思ったとのこと(※)。
そういう経緯もあって、森山直太朗にオファーをすると快諾してくれたと言います。しかし、連ドラの主題歌とは言わずに依頼したとか。
彼女は、この曲の冒頭の歌詞「君と私は仲良くなれるかな この世界が終わるその前に」をみた瞬間に、「この曲だ!」と思ったそうです。
この歌詞からは、離れ離れになった人々が再会出来るかどうか、という物語のテーマにピッタリのものを感じたと言います。ですが、歌詞に「ペテン」とか「愛しい人」「紡いだ心の糸」「逢えないときの静寂」など自分では絶対に書かないことばが出てきて、本当に歌えるだろうかと思ったとも。
彼が、「AIちゃんなら絶対歌えるよ!」と言ってくれたことで自信を持つことができ、デモテープをNHKの担当者に提示したところ、OKが出たのです。
このとき、実は、彼女は、この曲が森山直太朗の曲だとは言わずにNHKに提供しました。
「誰が聴いてもいいと思ってもらえるような歌を届けたい。曲の良さで勝負したい」と思う気持ちからだったと言います。
NHKには、誰が作ったのかを言わず、森山直太朗には、連ドラの主題歌であることを伝えず、「AIに歌って欲しい」という曲を提供してもらい、「本当にいい歌を伝えたい」という彼女の強い思いから、『アルデバラン』は誕生したのです。
名曲の裏には、ミジンコがいた!?
後から、その事実を知らされた森山直太朗もNHKの担当者も驚いたのは当然ですね。ですが、彼が彼女に歌って欲しいと思って作った歌が、実は、ドラマのストーリーにピッタリだった、というのも、やはり名曲は生まれるべくして生まれる、ということの表れかもしれません。
また、この曲には、もう一つ、面白いエピソードがあって、実は、彼は、この曲を微生物の「ミジンコ」を思って作ったとか。
この曲の原型を作ったのが、2021年の元旦だったそうで、きっかけは、ミジンコのことを中心に、生態系が崩れていることを伝える環境問題の映像を観たことだったそうですが、彼は、「ミジンコと仲良くなれんのかな」みたいな感覚から曲を作り始めたと言います。その為、仮タイトルも最初は『ミジンコ』だったとのこと。
さらに曲のサビの部分の「笑って〜、笑って〜」の歌詞は、「ミジンコ〜、ミジンコ〜」という歌詞だったそうで、あの感動的な歌が、実はミジンコの歌だった、という嘘のような始まりなのです。
ですが、曲を書き進めるうちに、ソウルフルなところも加わって、「これはAIちゃんだな」という曲になったそうです。
彼自身、歌い手としてはノドから手が出るほど歌いたかったそうですが、元々、彼女の歌声を想定して作っていたのもあり、やはり彼女に歌って欲しいということで、さらに歌詞を書き進めていくと、「アルデバラン」という言葉が勝手に降りてきたとのこと。
調べてみるとアラビア語で、「後に続くもの」という意味があり、そこから内容をいろいろ考えたと言います。こうやって、生まれたのが『アルデバラン』でした(※)。
『アルデバラン』の編曲は、AIが依頼をして、斎藤ネコが担当しています。
彼女は、「イントロを聴いただけで、『アルデバラン』とわかるように仕上げて欲しい」と頼んだとか。その願い通り、哀愁の漂う、壮大なストーリーを思わせるようなメロディーのイントロになっています。
楽曲の持つスケールが、この編曲によって一段と増したという印象を与えるものです(※)。
かすれた響きの中心に芯がある響き
この曲を歌う彼女の歌声ですが、元々の持ち味であるパワフルボイスより、柔らかい雰囲気の歌声になっているのが特徴です。
彼女の歌声の音質は、ひと言で言えば、ハスキーボイス。全体に響きが少し掠れています。ですが、特徴的なのは、掠れた響きの中心に芯のある響きが存在していることです。
歌声全体が幅広くハスキーな響きになっているのではなく、少し硬めのストレートボイスの響きの周囲をハスキーな響きが覆っている、という感じの歌声なのです。
そのため、ハスキーさがそれほど耳につかず、中音部や高音部になると、ハスキーさが消えて綺麗な響きになるのも特徴と言えます。
『アルデバラン』は、彼女の歌声の変化が1曲の中で感じ取れる楽曲です。
この曲の歌い出しは、イントロの雰囲気をそのまま受け取った優しい歌声から始まります。穏やかな日々、日常生活を紡ぐ静かな始まりです。彼女の歌声もそのように優しく滑らかで、そして一言一言のことばを丁寧に紡いでいきます。
その日常生活に変化が現れ、歴史の移り変わりの中で翻弄されていく物語をそのまま表しているかのように変化していく中盤のメロディーからは、彼女の歌声も少しずつ力強く変化していきます。
この部分は、音楽がリズミカルに前へ前へと縦に刻みながら進んでいくのに合わせて、彼女の歌声が、その変化に抗うかのように次第にパワフルに力強くなっていきます。
最後の大サビである「笑って〜、笑って〜」からのフレーズは、「君と君の大切な人が幸せであるそのために」という、この楽曲の根幹を成すメッセージが、彼女の力強い歌声で歌い上げられていきます。
この部分は、壮大なメロディーのアレンジに合わせて、彼女の歌声も決然とした直線的で鋭角的な響きになって、こちらに届いてきます。
そこからの最後のソウルフルなパートは、彼女ならではのアレンジですね。
優しいロマンティックなメロディーで静かに始まる楽曲が、メッセージを伝えるうちにどんどん気持ちが高揚し、歌い上げていく変化が、そのまま彼女の歌声に表れている曲で、見事な歌になっています。
「G7広島サミット」でのパフォーマンス
彼女は、結婚、出産というライフステージの変化を通して、ミュージシャンとしてのスタンスにも1人の母親としての温かい眼差しが表れています。
2020年の国際会議「One Young World(OYW)」でオフィシャルアーティストに就任するなどを経て、今年5月、広島で行われた「G7広島サミット2023」などでは、平和を讃えるライブパフォーマンスを実施。
被爆ピアノ演奏とともに地元の学生達と特別に平和記念公園で『Lean on me』を事前収録で演奏したり、『アルデバラン』を合唱演奏しました(※)。
たった1人のアーティストと出会うことで人生が変わる人がいるように、歌手もまた、たった1曲との出会いが人生を変えていくことがあります。
『アルデバラン』との出会いは、歌手AIが平和のメッセンジャーとして音楽活動する原動力になっていると言えるでしょう。