森山直太朗『ポケットサイズの楽曲に音楽の本質を叩き込む』(前編)人生を変えるJ-POP[第46回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
桜の季節になりました。この季節になると思い出す曲の1つに森山直太朗の『さくら』があります。ということで、ベタですが、今回は、森山直太朗を扱います。彼の独特の世界観や魅力について、書いてみたいと思います。
音楽一家に生まれて
森山直太朗は、今年、48歳。言わずと知れた森山良子の息子です。また、祖父はジャズトランペット奏者の森山久で、従兄弟の伯父にかまやつひろしがいるという音楽一家に生まれました。
そんな環境の中で育った彼は、常に音楽が身近にあり、その後、音楽の道に入っていくのは、ごく自然な流れだったかもしれません。
幼少期は当たり前のように昭和歌謡曲を聴いて育ったとのこと。2歳の頃には、当時、流行っていた石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』(1977年)のサビの最後の♪ああああ~、を母と姉が奪い合って歌うのを聴きながら、そのうち自分も参加してどんどんアレンジして、しまいには原型を留めないほどの歌になって歌うのが楽しかったと言います。(※)
その光景を想像しただけでも、いかに楽しく音楽に触れ合う日常だったのかがわかるエピソードですね。
彼は、「男だからって裏声を出すことに羞恥心がなかったのはこの曲のおかげ」と話しています。(※)
そんなふうに歌うことに関して、自由な環境の中で育った彼ですが、意外なことに幼い頃から高校時代までは本気でプロサッカー選手になることを目標にサッカーに取り組んでいたとか。
結局、その目標は叶いませんでしたが、本気で物事に取り組むという精神は、彼の音楽への向き合い方に生かされてきたように思います。
自由な家庭環境の下、家族から音楽を強要されたことがなかったことも良かったのでしょう。ただ、母親の音楽仲間で家族同様の付き合いの玉置浩二やかまやつひろしが自宅を訪れては、酒に酔った勢いで「直太朗、なんか歌え!」と絡まれるのだけは辟易していたようですが…笑
サッカー選手になることを諦めた彼が本気で音楽に向き合い始めたのは大学に進学した19歳の頃。サッカー部の1年後輩で友人でもあった御徒町凧に、高校の文化祭で披露する歌の作曲を頼まれたことが彼が音楽活動を始めるきっかけになったとのこと。
その後は、あちこちで路上ライブをしながら、音楽の腕を磨いていくということになるのですが、そんな彼を母親の森山良子が観客に紛れて観にいっては、後で厳しい指摘をしていたというのも親子ならではのエピソードかもしれません。(※)
ちなみに実家のお風呂で鼻歌を歌っていてピッチがずれると母親が入ってきて「ピッチが甘い」とか「語尾が流れている」と注意されたとか。彼の正確な音程は、そういう環境のもと、作られていったんですね。
そんな彼は2002年10月にミニアルバム「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」でメジャーデビューを果たしました。
2003年には、『さくら』をリリースします。この曲は、「乾いた歌は魚の餌にちょうどいい」の収録曲をシングルカットしたものなのですが、ディレクターの「桜の季節に合わせて出したい」という余りにベタなアイデアに彼は反対したとか。
彼の中には、“人がやってないことをやりたい”という思いがあり、当時(2000年初頭)、流行っていたR&Bや打ち込み系の音楽に反して、あえてフォークソングで勝負したいという思いでした。
そういう意味から考えると、「桜の季節だから『さくら』を出そう」というディレクターの安易なアイデアには反発する気持ちがあったのかもしれません。
ですが、この曲は、彼の思惑に反して、大ヒットを飛ばし、年末のNHK紅白歌合戦に出場することになりました。2003年に独唱バージョンとしてリリースした後、2019年に再度、リリースしています。その時は、オーケストラの伴奏に乗せて歌っています。
彼は、ギター一本、ピアノの弾き語りで歌えたり、アカペラで歌えるようなポケットサイズの小さな楽曲を作る、ということをモットーにしていて、歌声だけで勝負出来る楽曲として合唱曲『さくら』があったようです。(※)
2003年版では、ピアノの伴奏だけの楽曲で、まさに持ち運びができるポケットサイズのどこでも口ずさめる楽曲なのですが、2019年版では、管弦楽の伴奏によって、スケールの大きな楽曲に生まれ変わっています。
音の重なりが曲に深みや広がりを与える壮大な楽曲に仕上がっていて、アレンジが変わると、曲の風体も変わるということを感じさせるものになっています。
これは、『さくら』だけでなく、山崎育三郎に提供した『君に伝えたいこと』やAIに提供した『アルデバラン』にも共通することなのですが、彼自身は、「歌声だけで勝負できる曲」であり、持ち運びのできる楽曲というモットーに従って作ったように思います。
しかし、これらの楽曲も、アレンジ次第で、雰囲気の変わる楽曲で、管弦楽の伴奏になるとスケールが大きくなる、という印象を持ちます。
すなわち、彼の楽曲は、どのようなアレンジにも耐え得るだけの骨格のしっかりした作りになっている、という印象を持つのです。
ですから、どの曲も、歌手がソロでギターやピアノ伴奏だけで歌うも良し、フルオーケストラに合唱団を従えて、合唱バージョンの壮大なスケール感で歌うのも良し、という楽曲になるのです。これが森山直太朗の楽曲の大きな特徴だと感じました。
それは、やはり、幼少期から優れたミュージシャンたちが出入りする家庭で、当たり前のように音楽が溢れた日常を送り、当たり前のように歌を口ずさむ、という環境の中、音楽の本質というものが身体に染み込んで育ってきた、と言えるでしょう。
そういう環境の下で育った人の音楽は、無意識に感覚的に、しっかりしたものになっていると私は思います。
環境というものが、繰り返し、繰り返し、人間に与えていく影響がいかに大きいか、ということを物語っている、と感じました。
後編では、彼独特の楽曲のタイトルの魅力や、ユニークな楽曲。さらには、歌手森山直太朗の歌声の魅力について、書いていきたいと思います。