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『J-POPを世界に広める存在』(三浦大知)人生を変えるJ-POP[第2回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

「グラミー賞に最も近い日本人」

毎日放送されるNHK朝の連続テレビドラマ。106作目となる『ちむどんどん』は本土復帰50周年を迎える沖縄が舞台です。このドラマの主題歌に三浦大知の『燦燦』が選ばれました。

三浦大知といえば、沖縄のグループ「Folder」を思い出す人もいるかもしれません。当時、9歳だった彼のあどけない笑顔と美しいボーイソプラノでキレのいいダンスを踊っていた姿を覚えている人も少なくないはずです。その頃の記憶に今の彼の姿を重ねてみれば、ダンス、歌が素晴らしいのは当然のように思うかもしれません。

けれども、彼が今のポジションを得ていくのには、いくつもの転機とも言える出会いがありました。「グラミー賞に最も近い日本人」との異名を持つ彼のこれまでの軌跡を辿りながら、彼の音楽や人生を紐解いていきたいと思います。

少年期。そして4年間の休止期

アーティスト三浦大知の誕生を考えるとき、不可欠な要素として彼の少年期があります。

彼は沖縄で生まれ、6歳で「沖縄アクターズスクール」に入り、9歳の時にダンス&ボーカルユニット「Folder」を結成しました。このグループは同年、『パラシューター』でメジャーデビューを果たし、当時の子供番組『ポンキッキーズ』とタイアップしてレギュラー出演していましたので、記憶にある方も多いのではないでしょうか。

彼は、メインボーカルを務め、小学6年生でDAICHIとしてソロ活動も始めます。その頃の彼の歌声はボーイソプラノの綺麗な高音が印象的でした。
しかし、男の子には避けて通れない変声期があります。彼も変声期を迎えたことが一つの転機になりました。

13歳になった彼は変声期を迎えました。この時、彼は一切の芸能活動を休止しています。この変声期をいかに乗り切るかによって、その後の歌手人生が決まると言われるほど、幼少期からデビューしている男の子にとっては、重要な時期になります。

彼は幸運にも一切の芸能活動を休止することが出来ました。事務所によっては、完全に休止させるのではなく、歌うパートを減らしたりしながら乗り切らせるところもあります。

この声変わりというものは、一体どういうものなのか、ということを簡単に説明したいと思います。

男子の変声期は、思春期が始まる11歳頃から14歳頃に身体の第二次性徴期に伴って起こる声帯の変化で、声帯が長く伸びることで今まで話していた声より1オクターブ下がるのが特徴です。完全に男性の声になりきるまでに、3か月から1年程度かかるといわれています。なかには高校生になっても声が安定しない人もいます。

声変わりをしている最中は、声帯の成長に周りの筋肉が追いついていない状況になり、この期間は、全体的に掠れた声やしゃがれた声になりやすく、本人も声が出しづらい状態になります。

そんな時に無理やり声を出そうとすると、声帯が傷つき、変声期が終わっても掠れた声が戻らない、ということにもなり、この期間をどのように過ごすのかということは、後々、歌手を目指す人にとっては、非常に重要なのです。

彼の場合、休止期間が4年余りでした。その間、中学ではバレーボール部に所属し、それと並行してダンスの練習に注力して過ごしました。またこの間にニューヨークに行ったりもしています。

高校生で活動再開。『Keep It Goin’On』でソロデビュー

活動再開は、2004年8月、高校二年生のときです。本名の三浦大知という名前であらためてソロとしての活動を始めました。

ソロデビュー曲は、翌2005年3月発売の『Keep It Goin’On』彼は、日本では当時ほぼ存在していなかった「ソロでR&Bを歌って踊る」というスタイルを自分のコンセプトにしてデビューしました。ただ彼のダンスパフォーマンスや音楽性は、日本の大衆音楽の中ではなかなか浸透しない一面を持っていました。

その頃の日本の聴衆や音楽文化は、彼の高いレベルでのパフォーマンスを理解できなかったのかもしれません。R&B音楽やダンスパフォーマンスの本場であるアメリカの方が先に彼に高い評価を与えていました。

また日本でも一部のダンス関係者や若い世代を中心とした本物志向の音楽好きの人達の間では、彼の存在が徐々に知られ始めてはいたのです。

2016年に発表された『仮面ライダーエグゼイド』のテーマソングである『EXCITE』のヒットは、さらに若者を中心に彼の存在が浸透していくきっかけになったのではなかったかと思います。今でも彼のファンに若い男性が多いのは、彼のダンスパフォーマンスの素晴らしさに多くの人が魅了されているからでしょう。

日本中にその存在を知らしめた2019年2月

そんな彼の存在が広く日本の聴衆に知られるようになったきっかけは、2019年2月に行われた「天皇陛下御在位三十年記念式典」です。この記念式典で彼は天皇陛下(現上皇さま)が作詞され、皇后美智子さま(現上皇后さま)が作曲された『歌声の響』を記念演奏しました。

この曲は、天皇陛下が皇太子時代に、美智子さまと共に沖縄にあるハンセン病療養所を訪れた際、入所者から船出歌の『だんじょかれよし』を歌って見送られた時の情景が描かれ、それに対し、後日、天皇陛下が同園に贈られた沖縄の伝統的な定型詩、琉歌に美智子さまが曲をつけたもので、今でも同園で歌われているというものです。

この歌を彼は、非常に丁寧に、かつコンディションの素晴らしい歌声で披露しました。彼の持論である「日本語を大切に歌いたい」という気持ちが全面に溢れ、非常に感動的な歌になったのです。

この演奏によって、彼の存在は広く内外に知られ、また、世代を超えて老若男女、多くの人に知られる存在になりました。さらに何のパフォーマンスもなく歌う彼の姿は、彼が歌手としても優れた歌唱力の持ち主であることを証明したのです。

マイケル・ジャクソンと「チキンライス」

彼の音楽の世界観に大きな影響を与えているのがマイケル・ジャクソンの存在です。前回取り上げた藤井風も大きな影響を受けたアーティストとして名前を挙げているマイケル・ジャクソンですが、彼は8歳の頃に初めて買ったCDがマイケルのものであり、それを今でも大切に持っているとのこと。

彼がマイケルを初めて観たのは『ブラック・オア・ホワイト』のミュージックビデオで、マイケルがいろいろな国に移動しながらパフォーマンスしている姿を見て、「何をやってもマイケルはマイケルで、それはすごくオリジナルなことであり、自分もそういうオリジナルな人間になりたいと思った」と話しています。

マイケルのダンスや音楽を模倣するというのではなく、彼は彼の「歌って踊る」というスタイルを貫くことでオリジナリティーを確立し、同じ高さの山まで登りたい、と言っているのです。

マイケルが彼のアーティストとしての”動”の部分、「歌って踊る」というスタイルに大きな影響を与えたのに対し、”静”の部分である「言葉の表現」で大きな影響を受けたのが『チキンライス』という楽曲です。

『チキンライス』はダウンタウンの松本人志が作詞し、槇原敬之が作曲した楽曲です。洋楽ばかり聴いていた時期に、彼はこの楽曲を聴き、日本語の素晴らしさを知ったと語っています。『チキンライス』は松本人志の実体験を描いた歌ですが、幼い頃のクリスマスの思い出を綴った歌で、なんとも言えない温かさに溢れた歌です。

この歌から彼は、日本語には微妙な表現の出来る素晴らしさがあることを痛感し、「自分も日本人であるからには母国語を大事にしたい」と考えるようになったとのこと。「歌詞を書くときは、先ず全部日本語で書くことにしており、言葉との向き合い方が変わった」と話しています。

相反する世界を1つにする最高のパフォーマー

彼の音楽を考える時、大きな二つのキーワードがあると私は考えます。
それはダンスパフォーマンスに表されるエンターテイメント的な一面と、アルバム『球体』に表されている世界です。この二つの世界は、まるで相反するかのように印象が異なります。

三浦大知といえば、日本の優れたトップダンサーであり、「踊りながら歌う」というスタイルをまさに確立した人であり、彼の右に出る存在はいません。

そのスタイルは、徹底した妥協のないパフォーマーとして、観客に最高のものを観せる為にあくまでもストイックにその世界を追求する、というスタイルを貫いています。

無音ダンスに表されるような最高のテクニックを駆使した世界、そしてバックダンサーにs**t kingz(シットキングス)という世界最高峰のダンサー陣を従えて作り出す世界は、彼のオリジナルに溢れていて、それでいて、どこまでも楽しく聴衆を飽きさせないものです。

「今日も三浦大知と音楽で繋がりましょう」というセリフで始まるライブは、彼の曲を全く知らなくても、心から楽しめる空間です。彼は、会場にいる人達全員を巻き込んで、音の空間を作り上げます。その場所にいること自体が、”音楽”という音の洪水に包まれるのです。

エンターテイナーとして抜群の才能を発揮する。それが三浦大知の世界です。このエンターテインメントの世界に対し、『球体』の表す世界は、エンターテインメントの様相を呈しながら、それよりも独特の哲学観を感じさせる世界です。

Nao'ymt(矢的直明)の描く世界

彼の音楽の世界を支えている最大の存在は、Nao'ymt(矢的直明)という作詞作曲家です。Nao'ymtは、R&Bコーラスグループ「Jine」のメンバーで作詞作曲、トラッキングメイク、コーラスアレンジなど全て手掛ける音楽プロデューサーとしても多方面に活躍しているクリエイターです。

彼とのコラボ曲は非常に多く、近年のヒット曲である『Blizzard』『Backwards』以前にも『Inside Your Head』『Anchor』『Unlock』などの楽曲を手がけています。

「僕はNaoさんの曲を歌うために生きているといっても過言ではないくらいNaoさんの曲が本当に好きでNaoさんの世界観の中で生きていければいいかな、というくらい好き」と話すほど彼はNao’ymtに傾倒しています。アルバム『球体』はそういう中で、Nao’ymtが描く世界を完全に体現したもの、という印象が強いです。

『球体』はそれまでの三浦大知の表現してきた”動”と”静”の一体化した世界として捉えることができると言えるでしょう。

「序詞」「円環」「硝子壜」「閾」「淡水魚」「テレパシー」「飛行船」「対岸の掟」「嚢」「胞子」「誘蛾灯」「綴化」「クレーター」「独白」「世界」「朝が来るのではなく、夜が明けるだけ」「おかえり」というタイトルからもわかるように、このアルバムの描く世界観は、ある時は乾いた都会の風景を、ある時は水中の中に潜った魚のように、そして、ある時は広い空に浮かぶ雄大な景色を、まるで一つの純文学の物語を読むかのように私たちに提示してくるのです。

それは、今までの彼の音の洪水や、ダンスパフォーマンスに見られる躍動感と非常にバランスの取れた哲学的な世界との融合を感じさせるものなのです。

後編に続く)

久道りょう(松島耒仁子)
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞