福山雅治『音楽を通して自分が何者であるかを伝え続ける表現者』(後編)人生を変えるJ-POP[第30回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回は、俳優としても歌手としても非常に人気の高い福山雅治を取り上げます。最近では、全盲のFBI捜査官を演じた『ラストマン』が話題になりました。福山雅治といえば、『容疑者Xの献身』や『ガリレオ』『そして父になる』など、優れた演技力で多くのヒット作を持ちます。また、シンガーソングライターとしても『桜坂』や『最愛』などの代表曲を持つアーティストとして有名です。そんな福山雅治の魅力がどこにあるのか、彼の楽曲作りのスタンスや歌声から探っていきたいと思います。
(前編はこちらから)
実は、自作曲がなかった状態からのスタートだった
今でこそ、シンガーソングライターとして名を馳せている福山雅治ですが、アミューズのオーディションに受かった時には、1曲も自作の曲がなかったと発言しています。
高校時代から、コピーバンドを組み、長渕剛や浜田省吾、THE MODS などの影響を受けていた彼は、憧れの表現者は皆地方出身者という中で、自身も長崎という場所からどこかへ行かなければ何も変わらない、と感じていたとのこと。
単に都会への憧れ、というような軽い気持ちではなく、自分は一体何者なのか、ということを確かめる為に都会へ出ていく、という気持ちだったと言うのです。(※)
自作曲が1曲もないにもかかわらず、「音楽をやりたい」と言ってオーディションに受かった彼は、「とにかく作るしかない」と曲を作り始めます。
最初の頃は作りながら、少しずつ進捗していく状況だった、とも話しています。
楽曲によって、歌声を使い分けていく
今回、私は、彼の楽曲をデビュー曲から聴き直してみました。彼の歌声の特徴は、鼻にかかった甘い歌声なのですが、これがデビュー曲『追憶の雨の中』では、ほぼ聴こえてこないのです。
全く自作曲がなかったと言う彼ですが、デビュー曲のこの曲から彼は作っています。この曲はロックテイストの曲で、どちらかと言えば、ハードロックに近いような楽曲です。デビュー曲として、インパクトの強いロック曲を選んだということなのかもしれません。
この曲に於いて、彼の歌声はパワフルで幅のある響きをしています。全体に歌声の響きは太くソフトです。また、ビブラートはほぼなく、鼻にかかった彼の特徴である甘い響きの歌声はどこにも聴こえて来ず、男性的な力強い歌声なのです。響きは、ストレートで幅があり、やや混濁しています。混濁しているためにソフトな歌声という印象を与える声です。
歌い方は、音階に対して素直に真っ直ぐ音を取っていくという手法です。即ち、パワフルな幅のある歌声をしっかり出して素直に歌った、という印象の曲なのです。
また、この印象は、彼の存在を一気に広めていった『IT’S ONLY LOVE』(1994年) や『HELLO』(1995年)の歌声にも共通していると言えます。
この2つの楽曲は、『追憶の雨の中』よりも曲全体に明るい雰囲気が漂います。
明るめの音色の張りのある歌声が全体を覆い、デビュー曲ほど、響きに混濁は見られません。歌い方は相変わらず素直でパワフルですが、明るい印象です。
これらの楽曲に対し、1992年発売の『Good night』はポップス調の楽曲で、歌い方も上記の楽曲とは全く異なります。
この曲は、冒頭から軽い訥々とした語り口調で歌い始めています。また、彼の歌声の特徴である甘い響きの歌声があちこちのフレーズに顔を覗かせています。即ち、ロック調の歌声とは違う甘い響きの歌声なのです。
このように、彼はデビューした早い時期から、自分の作る楽曲のテイストによって歌い方や歌声そのものを使い分ける工夫をしていた、ということが言えるかもしれません。
この訥々とした歌声は、その後の楽曲の中で、彼の特徴を位置付けるものになっていきます。
なぜ、彼の発する歌詞は、心に深く刻まれるのか
特に2000年の『桜坂』と2008年の『最愛』は、その代表的な楽曲と言えるかもしれません。
先ず、『桜坂』に於いて、彼はことばのアクセントをメロディーの展開によって変えていきます。いくつかのフレーズで音程をとるのに、音の下の部分からしゃくり上げて歌う、というテクニックを使っているのです。
これが、ことばの音節に抑揚をつけ、聞き手の耳の中に単語が印象的に残っていくという効果を生み出していくのです。ストレートに言葉を発音するのではなく、彼独特のことばの抑揚をつけることで、伸ばした音の響きが微妙に変わってくるのです。
2008年の『最愛』は、ピアノだけの伴奏で歌っているシンプルで印象的な楽曲です。この曲は、ピアノの控えめな伴奏に乗せて彼の歌声が訥々と聴こえてくるのが特徴です。
この曲で彼は、Aメロ、Bメロでは、細かな音符の動きの中で、音の幅(それぞれの音には幅があります)の下のほうからしゃくり上げて取り、アクセントをつけるという歌い方をしています。これに対し、サビのフレーズのロングトーンでは、音を伸ばしている間に響きに強弱をつけることで単語に抑揚をつけています。
この歌い方によって、リスナーの耳には、その部分が印象強く残っていくということになり、中毒性のあるサビのフレーズと共にことばが深く脳裏に刻み込まれていくのです。
この手法は、その後の2011年の『家族になろうよ』でも多く見られます。サビのフレーズの一部分のことばに強弱の抑揚をつけることで、さらにメロディーの中毒性が高まり、リスナーの耳を捉えて離さない、という現象を生み出しているのです。
若き日の苛立ち、無力感を音楽にぶつけてきた先に
「表現することを諦められなかった」と言う彼は、故郷の長崎を飛び出し、音楽で身を立てることなど不可能と思われる時代に、自分が何者であるかを確かめる為に上京しました。
音楽というものを通して、常に自分が何者であるか、ということを伝え続けてきた表現者ということが言えるかもしれません。
デビュー30周年を記念して発売したアルバムに亡き父親の名前『AKIRA』をつけた彼は、被爆2世という肩書きに対する世間の反応に違和感を持ったと言います。
確かに彼の父親は癌という病に侵され、彼が高校生の時に亡くなります。当時の医療技術では壮絶な闘いをするしかなかった様子を彼は目の当たりにし、さらに看病と自分達の世話に奔走する母親の姿を見て育ちました。
苦しむ父親や、奔走する母親に対して何も自分は出来ない「どうしようもない苛立ちや無力感」を音楽を聴くこと、音楽にぶつけることで解消したという彼は、常に音楽と日常の関わりというものを強く意識し続けてきたと言えるかもしれません。
アルバム『AKIRA』の『革命』という楽曲には、「何のためにこの時代に生まれ来たのか」という歌詞があります。
若い頃には、セックス・ピストルズなどの反体制的な音楽に憧れた時期もあったという彼は、結局、自分が生きてきた「故郷」や、祖父母、父母から脈々と生き継がれている「血」というものを深く感じながら、日常生活の中の音楽に目覚めていったと感じます。
「自分はいったい何者なのか」の問いから紡ぎ出される表現
意識する、しないにかかわらず、時代を代表するアーティストの辿り着く先は、社会性だったり、歴史観だったり、時代背景というものが音楽に影響を及ぼしていくように、彼もまた、それらの存在を強く意識しながら、「自分はいったい何者なのか」ということを求め続ける表現者であると強く感じるのです。
そんな彼が作る楽曲には、そこはかとなく優しい感情が溢れた楽曲が多いです。それは、日常生活を足掻きながらでもなんとか前を向いて生きていこうとする人たちの心に寄り添うものと言えるでしょう。
結婚を機に減ったと言われる女性ファンとは裏腹に、多くの男性ファンの支持を得て、男性ファンだけが参加できるエロトークで有名なライブも開催する彼。
そんな飾らないパーソナリティーで人気を集め、アーティストと俳優という2つの顔を持ち自分を余すところなく伝え続ける福山雅治は、紛れもなく「現代の表現者」と言える存在であり、多くのメッセージを私たちに伝え続けるメッセンジャーなのです。