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なぜ席を譲るのか?

とある土曜日に引越しがあり、大荷物を持って電車に乗車していた。
午後2時という絶妙に蒸し暑い夏の東京は、電車に乗ると突発的な冷気に襲われ、車内は少し肌寒いぐらいになる。
少しすると停車駅のホームからベビーカーに子供を乗せた妊婦さん、お婆さんと幼い少年の4人家族が自分の前に乗ってきた。
土曜日にどこか家族で出掛けた帰りなのか、子供たちが笑顔ではしゃいでおり見ていてすごく微笑ましかった。
しばらくすると電車が走り出したのだが、妊婦さんとその家族は車内で立ちっぱなしにさせられていた。
素早く周りを見回しながら「え?誰も席譲らないの???」と心の中で驚嘆した。
周りにいた席に座っていた乗客たちはスマホを見るなり、読書をするなり、気づく様子すらない。
妊婦さんは見るから辛そうに、揺れる車内で壁にもたれかかったり、何度もお腹をさすったり、額から汗が噴き出ていた。
誰も気づかない、それとも気づいてるのに気づかないフリをしていたのだ。
それほどスマホに写っている情報が面白いのだろうか。
目の前の状況に突然激しい嫌悪感を覚えた。
だが、そんな自分は「誰か気づけ」と願うことしかできなかった。ただ突っ立ってる無力な自分にも同時に嫌悪感を抱いた。
目の前の問題に対して何もできない悔しさとこの状況が可笑しくてたまらなかった。
自分は学校で必要な人に席を譲ることはもちろん習ったし、親からも常識として学んだ。おそらく電車に座る多くの人が同じように交通機関では席を譲ること学んだのではないだろうか。
では、なぜ見たのに見なかったフリをするのだろうか?
車内の誰かが譲ると思っているからなのだろうか?
それとも、偽善者だと思われたくないから譲らないのだろうか?
はたまた、自分とは関係ないと思っているからだろうか?

もしスマホが発明されなかったらこの現象が起きなかったのだろうか?もし東京以外の場所だったら違う結果になっているのだろうか。

どうしても目の前の現状を飲み込めなかった。

なぜ人は席を誰かに譲るのか、
そして譲る必要はあるのか、
人間にとって優しさとは何か
ぜひみんなにも考えてほしい問いの一つだ。

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