見出し画像

教育者アラン 第1章 途中まで

[進捗]

第二章途中(p.25)まで読んだ。

人間の世界とお伽噺

・子供には力があるけど、それは他人を利用している。人間を通じてしか物に働きかけられない。そのため泣くか・ねだるかすれば世界を変えることができるという間違いに陥れられる。

・お伽話の世界。お伽噺は人間の観念を語っている。アラジンの「開けゴマ」の例。

つまり子供は、自分のあらゆる苦楽をにぎる至高の守護神たちにお祈りしなければならない。「外的な秩序は人間の秩序と比べると、いわば無視してしかるべきものと見なされる」

・お伽噺のもう一つの特徴は勇気。

この小節はなんか言っていることがよくわからん。

幼少期の発達様式
情感による生活

・情感の定義

「我々が考えたり、計画を立てたり、決断をしたりする際に、程度はともかく何らかの愛憎、喜び、悲しみを印しているものすべて」

・子供は理由もないのに、うれしがったり悲しんだり、好きになったり嫌いになったりする。確かに、昨日まで好きだったのにいきなり嫌いになったりする。

・情動の定義

「体(心臓、肺、筋肉)の中に、意思の許しを得ないで居座り、また突如として思考の色彩を変える運動の律動である」

・単なる気分の動きに過ぎないことを考え過ぎちゃダメ!

ここで、単なる気分の動きに過ぎない子供の動きを、何か意味のあるかのように考えるのは、よくある間違いだ。というのも、かっとなってのしぐさとか不愉快な言葉の裏に、執拗な我意とか感情とかがひそんでいるかのように、どうしても考えたくなるからである。

・子供を支配しているのは恐怖と親への愛。幼少期は愛の時代。子から母への愛はあらゆる愛の雛形。

なぜなら、人は、愛することを選ぶのでもなければ、愛することになる者を選ぶのでもないからであり、真の愛はいつも欲望をはるかに超える

・フロイト批判

「フロイト流に、最初の、そして最も純粋な愛の中には、何か性的な欲望があると考えたがるやからは、どうやら逆さまに考えているようだ。」というのは、大人どうしの愛の中で、本来、幼少期に属するものは、性的な魅力などではなく、喜んで受入れてもらえるこの依存関係、この感謝、この崇拝である、これらが親への敬愛を定義し、愛を求める人間を獣とは違ったものにするからだ、こういう感情がよみがえってくるからこそ、「愛するものは子供に戻る」といえるのだ。

・「家庭のなかの子供は子供本人ではない」ってすごいな。仲間がいないから。

生きとし生けるもの自分と同じ仲間の存在を必要とする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?