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【本】セックスボランティア

 障害者の性に関する本です。性とはいかなるものなのか、生々しい障害者の暮らしも交えながら、障害者の性の実情を紹介しています。介護や支援の場では昔から直面していたはずです。ですが、現場の方はなかなか表に出すことができない、一方で障害者との関わりが薄い方は問題の存在自体を知りえない状況でした。河合さんのこの本により、障害者の性という問題は介護の場から切ることのできないものだと、初めて表に出てくることができました。

ただ、漫然と障害者の性をタブー視してないもののように扱う現実に、また障害者の恋愛を美談として褒めたたえる風潮に、疑問を持っていた。

 障害者を支援することすら、健常者どうしで生活している人にはなかなか関わりのない話です。時たまドキュメンタリーで見かけることがあるくらいで、自分の家族に介護や支援が必要になる時は、高齢の家族をかかえた時くらいでしょうあ。ですが、それは障害者ではなく老人介護の類になります。10代や20代から中年まで、それ以上の年齢でも身体障害者は、身体こそ不自由をともないますが、精神面では健常者と同じ方々も多いはずです。彼ら・彼女らが身体障害者であるがゆえに性欲は持たない、と考えるのはおかしな話です。精神面では何ら健常者と変わらないのですから、介護してくれる人々に性の世話や支援をしてもらおうとは頼めません。彼らの多くは性欲を発散することなく生活を送らざるをえないのです。

 また、性欲と切れないものが恋愛感情です。彼らであっても、恋愛感情を異性に抱くことは自然なはずです。障害者同士の恋愛やパートナに障害者を選んだ方々をあえて褒めたたえるのは、なぜでしょうか。それは、「じゃあ、もうひとりじゃないから介護はパートナにやってもらってね。こちらには目を向けないでね。」という考えが実はあるのだと思います。これは私の偏見です。

障害者の性を考える上で、「ボランティア」ではなくて、ビジネスで行ったほうがいい、と考える人もいる。

 障害者の性を支援する、と社会全体で認識されていけば、今の介護のようにボランティアの力を借りるということも広く行われていくのでしょう。しかし、今の介護の業務のなかに性を支援するものは含まれていないようです。自分の性パートナでない患者の性を自分の手で介護していくのは、介護現場の方も苦痛を伴うことになるでしょう。どうしても性欲を満たしたいのであれば、本人が強く希望して性風俗店のサービスを受けるしか方法はありません。今の障害者の性を取り巻く環境ではビジネスで解決するしかないのかもしれません。性風俗店を利用するということは性感染症をもつ危険もあり、患者の生活の質を落としかねない可能性を含んでいます。

「性は生きる根本だ」と言っていた言葉の「性」には、セックスや性行為だけでなくて、もっと広い人と人との親密性や愛情としての「性」という意味があったのだろうか。

 障害者の性は単に性欲を満たせてないだけ、という問題ではないことを河合さんは述べています。健常者であっても、好きな人や愛する人と性行為をして初めて欲が満たされます。男性であれば射精するだけ、女性であればオーガズムを感じるだけでは充分な欲は満たせません。障害者であっても同じで、性風俗のサービスを受けているから性欲を満たせているかと問えば、けっしてそうではないのです。人は社会の中で生きており、他人との摩擦や触れ合いを通じて自分が生きていることを実感します。親密な人と裸で触れ合い自分自身の存在を実感しながら性行為をする、それが出来て初めて性欲が満たされていくのです。

 現代人の傾向として、薄い人間関係しかもたない、恋人は必要無い、結婚なんてムダと考えていると、チラホラ聞きます。もしかすると、「自分は他人と親密な関係や愛情を育んでいくことなんて出来やしない・・・。」と自分や社会に諦めをもっている。他人とうまく関係と作れない、自分の生きるということは一体なんなのだろう、と疑問に思いながらも解決できずにいる。でも性欲自体はあるので、性欲の発散方法はとなると、性欲はアニメやマンガ、アダルトビデオや風俗が解決しているのも事実です。これは、『もっと広い人と人との親密性や愛情としての「性」』が欠けて『生きる根本』が不安定になっているから起きている。障害者の性に限らず、日本人の多くが実は『生きる根本』を見出だせなくなってきて、苦悩しているのかもしれないと感じました。




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