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【本】森を見る力

 インターネットの発達によって、様々な情報が手軽に得られるようになりました。一方で、様々な情報を得るなかでどうでもいいような些細な事に気が行ってしまい、議論の場では揚げ足を取ることだけに注力してしまう。目の前の問題の根本的な原因を考えるわけもなく、対症療法のような対策しか出せない。それでは、何も変わらない。細かいことに気が行き過ぎている。木を森を見る以前に枝や葉1つにしか目がむいていない。全体を見ようではないか、そういう本です。

■便利になって

27p自分の経験で「危険」を感じることが、教育の持つ力なのではないか。
29p社会システムは完全さを求めて今日も一直線に進化していく。そのことによる恩恵が、自分自身で生きるという力を奪っていくのでは、社会が進歩していく意味がない。

 便利な社会になって、身の周りから危険が排除されいていく。安全は世の中になってきました。しかし、危険から安全に変わった事に気がつくのは、元々の危険を知っていた人だけです。元の危険を知らないと、何が危険なのか知らないままになってしまいます。ここまで来たら危険、ここからは保証できない、この先は自分の力で何とかする。便利な世の中になった一方で、自分で生きていくための力を奪っているのではと警鐘を鳴らすところから話が始まります。

■団塊の世代

46p団塊世代が、定年退職を迎えた。多くの団塊世代は、普通に学校を卒業し、企業社会に入り、障害を組織の中で過ごしてきたのである。
48p組織の中で出世した人ほど、組織的な行動しか出来なくなっている。そうした老人たちが大量に世の中に放たれたのである。
83p日本は優秀な製造技術と優秀なマーケティング調査能力によって高度成長を果たしたのだということを思い返すべきである。ものを作る楽しさと、相手に喜んでもらう商品を提供出来る嬉しさを、企業は、もう一度、思い出すべきではないだろうか。

 団塊の世代を批判している話ではありません。高度経済成長が終わり、日本が世界に冠たる経済大国になった頃から働き始めた世代、団塊の世代の定年退職を迎えています。昭和の時代、成長を目指して邁進する日本と日本企業に属していた人々は、その組織に入社して、その会社のカラーに染まり、時にはプライベートも犠牲にしながら働いてきました。ひたすらに組織のための一員できました。退職すると、もう組織の人間ではありません。ですが、もう何十年も組織の中にいたので、個人としての生活の仕方がよく分からない。すぐキレる、文句を言う、偉そうというのは組織の中で自分より下の立場の人間がいて、見た目には素直に自分に従うのが当たり前だと思っているからです。その団塊の世代は、まだ働けるほど元気です。実は身体を動かしたくてしょうがないかもしれません。


 一方で、組織のほうはと言うと、グローバル競争で価格は中国製と争い、デザインは欧米企業と争い、とにかく目先の利益を確保しなければ組織を維持することも難しくなっています。元々日本企業のウリは、ムダと言われるほどの緻密な製造技術による質の高さでした。この十年、二十年の間も価格やクールな外見ではなく、実直に高い品質を求め続けていたら良かったかもしれません。技術者をリストラして一時的な利益を出す経営者や、直営を止めてフランチャイズにより損益は店舗任せにしてしまう社長など、目先の利益に意識がむいてしまい、返って数年後には大きな問題を発生させてしまう状態も散見します。


 まだまだ働きたい団塊の世代と元来日本企業がもっていた緻密な製造技術を、もう一度出会わせてみてはどうでしょうか。もう引退した彼らからしたら給与よりも働ける場所と、実直に作業に打ち込める環境があれば良いはずです。60歳で定年退職してサヨナラはもう違います。

■一方で若者は

129p集団自殺をする若者たち。社会性を放棄して引きこもる若者たち。彼らに対して、精神的な弱さを指摘することはたやすい。
131pニートは社会生活を参加することを拒否しているわけだが、それは逃避ではない。むしろ、彼は普通に大学を出て企業に就職する若者よりも、真剣に人生や社会の事について向かい合ったのだと思う。
132p僕はニートの青年たちとホリエモンの間に共通の資質を感じる。それは社会に対する徹底的なニヒリズムだ。社会に何も期待しないという諦念のようなものである。

 団塊の世代が引退を迎える一方で、若者は若者で苦労しています。団塊の世代はうまく定年できましたが、シャープや日本航空という大企業ですら経営危機になり、東芝のように会計を誤魔化しているのを見ると将来は不安です。大企業に入っても、自分の力では及ばないパワーによって自分の人生がだめになってしまうかもしれない。就職活動に失敗して、新卒で企業に入れなければ暗い人生が続いてしまう。そう考えた時、働くこととは何なんでしょうか。

 ではなにもしない。決して働きたくないわけでもなく、教育を受けたくないわけでもない。何かしたところで結局メリットがないと思うと世の中で生きる自分の人生を諦めてしまいます。諦めた時に、次にどうするか。筆者はニートとホリエモンを挙げています。じゃあもう勝手にやりたいようにやるわ、がホリエモン。じゃあもう何もしないわ、がニート。

 ホリエモンはよく、自分のやりたいようにやればいい、とおっしゃっています。これも、この先の人生何が起こるか分からないのだから、周囲の声なんか気にせずに自分で好きな道を拓いて進んでいけ。ということなのでしょう。世の中を諦めた若者の中でも生き方はいくつかあるが、何もしないのも立派な選択肢になっているということがうかがえます。

■インターネットを使って

207p IT技術とは、共同体を脱出した先に人間が築こうとしている生活環境のインフラ技術である。
213pインターネットとは、最終的には、ひとりひとりを結ぶP2P(Peer to Peer)の方向に進んでいるからである。いわゆる「中抜き」の構造である。
226p僕はインターネットの基本コンセプトを簡単に4つに分類している。「中抜き」「つながりっぱなし」「発信者負担」「P2P(Peer to Peer)」である。
228pインターネット以後の世界では、仕事と遊びが混在しているライフスタイルが増大するだろう。「仕事のような遊び。遊びのような仕事」が、一番格好良く楽しいものになっていくだろう。

 かつて、生き物は海の中にいました。体内に十分な水分を蓄えることにより、陸上に上がって進化しました。陸に上がった生き物は水中と同じく群れをなして生きてきました。そこで、人類は社会、文明を築き上げました。インターネットの登場でさらに新たな局面に入り始めました。こんどは、社会を自分の中に取り込むようになったのです。

 今までは、社会が自分を律してくれていましたが、これからその存在が自分は中にあるようになります。もうなっています。違法行為をネットにあげる、SNSで暴言を吐くといことはよく見ます。今までは、周囲の仲間や大人といった、社会がそれを防止する役割を担っていました。その役割を自分で持たなければならない、しかも小学生中学生くらいから。倫理やモラルのことは以上ですが、働き方やビジネスも自分の中に取り込めるようになりました。組織に属さないで仕事をする人も多くなりました。

 組織に属さないということは、組織の意向に合わせて仕事する必要がなくなったということです。自分の好きなことが自由にできる環境になったのです。そして、その人がやる好きな事を別の誰かが欲しがる、共通の好きな事や遊びが仲介者なくダイレクトにつながります。「中抜き」とはそういう意味です。
 
 好きな事を仕事にする、って聞くとプロスポーツ選手や漫画家のように超競争が激しい世界のようにおもえます。これは競争相手が日本中いいるという前提です。そうではなくて、地元地域でスポーツ教室を開く、小さなイラスト屋さんになるのであれば競争はなくなります。しかも、自分の手が届く範囲に相手がいるのです。筆者はこれからは、もっと地域の範囲に活動の場が狭まってくると考えています。
 
 この本を読んでみると、インターネットの中の話よりも今後世の中がどう変わっていくのか筆者なりの推測や希望がで溢れています。これから数十年、いや数年で自分はどんな世の中を生きていくのだろうかワクワクしました。

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